□豊国秀夫(編):植物学ラテン語辞典
386pp.1987.至文堂.東京.¥9,000.
植物の学名を扱うためのラテン語の参考書としては、朝比奈・清水の植物薬物学名典範と牧野・清水の植物学名辞典くらいしかなかったが、本書は両者をとりまとめたような本で、期待していた人も多いことだろう。辞典部ではラ-和(約7,800語)とともに、これまで無かった植物学和-ラ辞典(約5,400語)が作られたことで、有用性はずっと大きくなった。物質名や花粉学用語などがふんだんにみられるのも有難い。文法部は50頁で、長野県植物研究会誌に連載された記事を骨子とし、ラテン語に堪能な編者の知識を駆使して、いずれも具体例をあげてわかり易く解説している。植物の新名発表に義務付けられている、ラテン語の記載文や特徴記述(diagnosis-編者訳)の作文は容易なものではないが、本書の出現により、学名のつけ放しをする者は言い訳がしにくくなることだろう。新学名の発表は、混乱をおそれて専門家にまかすべきであるとの意見の人もあるが、私たちはこういう本を参考に誰でも発表できる方がよいと考える。どういう発表のしかたをするかは、本人の教養の問題であろう。
[植物研究雑誌63(2):38(1988)]
□大橋広好(訳):国際植物命名規約 1988
214pp.1992.津村研究所.¥2,500.
1988年に承認された、いわゆるベルリン規約の全訳である。これまで我が国には国際植物命名規約の独立した日本語版はなかった。中井、北村、広江、上村などによる全訳や抄訳が、雑誌や単行本の中に発表されており、研究者の中には勉強をかねて自分の訳本をもっておられる方も少なくない。一方、「学名のことは分類学の専門家にまかせておけばよい」という空気がなかったわけではない。しかしながら今日のように環境保全、絶滅危惧種、ワシントン条約、外来種、開発事前調査など、植物種を扱う多くの社会問題が広範囲に発生し、たくさんの地域同好会誌があって、それらにおいても学名の検討がなされたり新名が現れている状況では、学名というものはもはや分類学者の専売ではなくなってきた。特に、学名の理解なしに和名を扱うことは、いたずらに混乱を招くだけである。国際植物学会議でも、命名規約を各国語に翻訳することが勧告されている。韓国ではすでに、国際植物命名規約(鄭 英男583pp.1986)という大部の本が出版されている。本書の出版はまことに時宜にかなったもので、これによって問題点を誰でも自らチェックすることができるようになった。とは言っても元来が法律用語に近いものなので、文章はそうやさしいものではない。熟読のうえ原文にも当たる必要があるだろう。これらを更に噛みくだいた解説が本誌あたりに載れば、一層の理解に役立つだろう。147頁までが規約本文、以降が各種の索引である。これまでなんとなく原語で済まされていた用語についても、翻訳にあたって新しく工夫され、判別文、公認代置名などの新語がつくられた。当初予定していた出版社が販路の予測がつかずに辞退し、訳者は苦労したようだが、幸いに本誌の発行元の津村研究所のご理解により出版された。書店には出ないものなので、直接申し込まれたい。中身にくらべてきわめて安価なものなので、本書が多くの人の参考に供されることを希望する。
[植物研究雑誌67(4):245(1992)]
□全国自然科学名詞宙定委員会:植物学名詞
192pp.1991.科学出版社.北京.¥3,350.
わが国の学術用語植物学編にあたるもので、3,304件の基本用語を14の分野別に華文英文を対置してある。用語の順序は華文でも英文でもなく、関連性の高い用語をまとめてあるようだ。一語ずつ分野番号と分野内の通し番号がついている。用語説明はなく、注釈欄には別称などが必要に応じて記されている。分野と用語数は次の通りである。総論(216)、植物形態学(595)、植物解剖学(449)、植物胚胎学(261)、藻類学(134)、真菌学(395)、地衣学(77)、蘚苔植物学(40)、植物生理学(374)、植物化学(170)、植物生態学(333)、植物地理学(94)、古植物学(73)、胞粉学(93)。植物学の現況からみて、生理や化学の用語が、他にくらべてずいぶん少ないように思うし、実際、新しい用語はのっていない。遺伝学という分野は見当たらない。これが中国の現状だとすれば、ちょっと首をひねりたくなる。わが国と同様、新展開している分野の用語は消化する暇がなく、言語にそのまま漢字を当てて苦労しているようだ。この点わが国の片カナというのは便利な文字だと思う。一方、現在は使われていない用語もかなり含まれている。巻末に華英索引と英華索引がある。とくにおすすめする文献ではないが、日本での用語を選ぶ時に、文字の使い方の参考にはなる。例えば、abortion 胚育、telome 頂枝、lenticel 皮孔、zygote 合子、abundance 多度、vicarious species 替代種、tetrad 四合花粉。shoot と言う用語は議論が多くて決めかねたと序文にある。
[植物研究雑誌68(1):62-63(1993)]
□日本菌学会(編):菌学用語集
86pp.1996.メディカルパブリッシャー.¥3,000.
文部省学術用語集とはちがって、学会が独自の活動として作ったものである。語数が英和では約4,600件、和英では約5,200件とかなり差がある。この理由は、英和では1つの単語に対応する和文をいくつも並べているのに対して、和英ではすべての和文を見出しとしているためである。和文は用語のよみの50音順であるが、読み方は記されていない。これはよみをつけるべきだった。細胞がサイボウかサイホウかでつっ張り合った記憶がある筈だ。よみはデータベース検索にも必要である。もっとも、学術用語集のような訓令式ローマ字は願い下げである。名詞の他に形容詞が非常に多く取り入れられ、ときには動詞も入っている。これはこれで、論文を書いたり読んだりするときの参考になるだろう。菌学用語だから、他の生物分野の用語とは違う場合がある。たとえばautoclave:オートクレーブ/オートクレーブする〔植物学用語集では高圧滅菌器(オートクレーブ)〕、epiphyte:植物着生生物〔植物学用語集では着生植物〕、incubator:ふ卵器〔植物学用語集では定温器(ふ卵器)〕、sign:標徴〔動物学用語集では記号〕など。植物学用語集ではascusは「子嚢」であるが、本書で「子のう」である。用語集を作るとき感じたことだが、同じ英文でも分野が違えば用語も使うしニュアンスも異なり、「統一」することに無理がある場合が多い。現在、生物関係だけでも動物、植物、遺伝、農学の文部省学術用語集があり、生物教育用語集も学術用語集と離れて検討されている。今回の菌学用語集で、おそらくかなりの異なる表現が出てきたのではあるまいか。もし文部省学術用語集菌学編を作るとなると、これらの多くは半強制的に先行の用法に「統一」させられるおそれがある。私には教科書だの試験のために、1つの外国語に1つの日本語しか対応させないように「統一」するのは無理があるように思う。学術用語集で、分野が違うからと別々な用法を容認していれば、「統一」の理念と離反してしまう。実際には「統一」せねば不都合がある用語はそんなに多くはないはずだから、自然の成り行きにまかせても大したことはなさそうに思う。
[植物研究雑誌71(5):304(1996)]
□万谷幸男(編):植物学名大辞典
B5版.420pp.1995.植物学名大辞典刊行会.¥12,000.
編者は趣味の多肉植物愛好家で、学名の意味に興味をもち、植物全般の小名の意味を多くの文献から書きとめた資料を遺して、1984年亡くなられた。本書は知人有志がその努力が無になるのを惜しんで、遺品を整理し、出資刊行したものである。小名をabc順に並べ、その意味を解説してある。解説は原典からの引用で、とくに新しい解釈などは含まれていないようだが、採録件数はざっと数えて23,000語である。この数は牧野・清水の植物学名辞典が約11,000語であることを思えば、故人の努力のほどが察せられる。学名を調べたり発表したりするときの参考となるだろう。
[植物研究雑誌71(3):178(1996)]
□Bailey L.H.(八坂書房編集部訳):植物の名前のつけかた 植物学入門
238pp.1996.八坂書房.¥2,884.
名前はよく知られているが、訳書の少ない原著者の、How Plants Get Their Names(1933)の全訳である。リンネの二名法の確立に始まり、同定・標本・それを保存する標本館の意義、命名規約とはなしが進み、学名にまつわるエピソードに及ぶ。学名の解説書というと堅苦しい印象があるが、本書は物語り風の柔らかい読み物であり、植物分類学をやらない人でも入ってゆけるだろう。命名規約の部分は最近のものに置き換えて読むべきことは勿論である。訳者の工夫のほども察せられ、このことはあとがきの懇切さにも表れている。約3,000語におよぶ種の形容語一覧には、訳者によると他書にない語彙が含まれているそうで、これまた有用な資料となるだろう。
[植物研究雑誌72(4):253(1997)]
□丹羽基二:日本苗字大辞典
1979+1977+2098pp.1996.芳文館.¥330,000.
高校国語教師の著者のライフワーク、世界で1番多いといわれる日本人の苗字291,531件を、①よみ順、②頭字画順、③末字画順に配列し、よみとローマ字をつけてある。既製のパタンがなくて、新たに作った漢字は13,000件に達するという。これだけでも国字研究への貢献は大きい。こういう辞典は世界でも最初のものらしい。ユニコードという世界共通文字コードの開発が進んで、文字情報の国際化が達成されれば、こういう辞典は日本のみならず、世界の共通財産となるだろう。苗字は民族のルーツと交流の歴史を反映しているが、その85%は環境としての地名に由来しているという。植物関係の苗字はどれほどあるか、民俗植物学研究の絶好の資料である。3冊で13.5kg、おまけにこの値段では、個人としては無理だろが、各地の図書館に、重要参考図書として購入を要求すればよかろう。
[植物研究雑誌72(4):254(1997)]
□清水建美:図説植物用語事典
323pp.2001.八坂書房.¥3,000.
植物の形や性状といった、分類や同定に用いられる用語約1,400件が収められている。文字だけではわからない形状の説明のため、700点を超える写真や図が付けられ、図や写真だけの頁は87頁におよぶ。図のほとんどは梅林正芳氏の手になり、写真のほとんどは亘理俊次氏の作品である。おかげで、あちこち探さないと見られない植物の細部の良い映像を、この1冊で目にすることができるのはありがたい。昨今は著作権問題もあって、他社の作品に良い図や写真があっても、それを引用しにくい、またさせにくい風潮があるようだが、本書では一々了解を得て利用している。優れた作品をこのように有効利用することは望ましい。学術用語集植物学編増訂版(1990)には解説がなく、生物教育用語集(1998)は学習指導要領に制約された解説なので物足りない。その点本書は著者の永年の経験を踏まえて、自由に記述されている。その代わり、たとえば私がよく観察会で話しの種にする、コゴメウツギやキンモクセイの縦生副芽は、ジャケツイバラとエゴノキで代表されているし、MagnoliaやFicusを特徴づける托葉鞘の記述はない。多くの事典では用語の配列は文字順だが、本書では植物群、習性、花、果実と種子、葉、茎、芽、根、生殖と分けて、それぞれに関連する解説に伴って、用語の和文、英文(単、複数形を示す)が、植物名を挙げて示されている。
著者がまえがきやあとがきで述べているように、名前を聞き、小話しを聞いておわりになるような自然観察会から抜け出して、特徴の観察から入って植物名に行き着くようなスタイルを目指したのが本書である。私も観察会については同じ意見を持っている。けれども盛り沢山で、著者の意図したものよりはむずかしい感じになったようで、形態学の教科書といったところである。分類の研究者が形態を扱うのは当然だが、これ迄は形態学者による形態学の本に頼ってきた。本書はその逆のはじめての例だろう。本書を足場にして、次にはそれこそ観察会に持ち出せるような一般向きのものも工夫してもらいたい。すでに原ら(1986)による植物観察入門などがあるから、それと一線を画するものにしてほしい。付録として、形やつき方を表す用語、突起や毛・腺に関する用語、クロンキスト系による日本産種子植物分類表がある。和分索引、欧文索引がついているが、例示された植物のリストがあるとよかった。野外で見つけた植物、どんなところに着眼点があるかがわかり、更なる観察に役立つからである。
[植物研究雑誌76(5):306(2001)]
□国際園芸学会(著)・大場秀章(監)・栽培植物分類名称研究所(訳): 国際栽培植物命名規約第7版
A5版.159pp.2008.アボック社.¥14,286+税.
特定非営利活動法人栽培植物名称研究所(CULTA)の邦訳委員会(大場秀章(委員長)、今西英雄、大槻葉子、荻巣樹徳、與水肇、森弦一)が、わが国ではじめて全訳を行ったものである.前文(1-2頁)、第Ⅰ部:原則(3-4頁)、第Ⅱ部:規則と勧告(5-53頁)、第Ⅲ部:雑種属の名前(54-56頁)、第Ⅳ部:名前の登録(57頁)、第Ⅴ部:スタンダード標本(58-60頁)、第Ⅵ部:規約の修正(61頁)、附録Ⅰ~Ⅳ(63-99頁)、用語解説(101-128頁)、植物名索引(129-142頁)、事項索引(143-153頁)より成る。9章32条を含む第Ⅱ部が主体である。前文に先立って1995年の前版との異同比較表があるが、216件が示されている。一方1995年版に出ている1980年版との比較表では112件が挙げられており、今回の版で大幅な見直しが行われたことを示している。
第Ⅱ部第I章第1条は、国際植物命名規約との関係を述べている。第2条は、この規約の主対象となるcultivarの定義に関するものだが、この語に対して「栽培品種」という語が用いられている。これについては日本語版あとがきにあるように、本規約の対象範囲が作物も含むので、園芸品種という語よりも適当と思う。栽培品種はさまざまなオリジンや方法で作り出されるものなので、その定義づけと定義に外れるケースが16項目にわたって述べられている。第3条は、栽培植物独特の「グループ」に関するもので、栽培上や鑑賞上の特色から、一まとめに扱うことを認められた分類群で、わが国で「芸」と呼ばれるものに近いことが、フウランを例として示されている(実例8)。また、ランについては独特の品種作出技法が発達しているため、「グレックス」という分類群が特に認められている。第19条には栽培品種名の様式が提示されている。すなわちGeranium pratense ‘Mrs Kendall’のように、国際植物命名規約に則った学名の後に単引用符(‘ ’)で囲まれた先頭が大文字の形容語をつける。またCamellia ‘Shōjō-no-mai’のように、学名部分は属名だけでもよく、potato ‘Cara’のように、普通名が学名で示された植物と同等なものであればそれでもよい。栽培品種であることを示すランク名cv.は用いない。
栽培品種の学名の形容語は、いわゆる土名がそのまま用いられることが多いので、第29条:形容語の翻訳、30条:形容語の翻字、31条:形容語の書換え、32条:形容語の綴りなどの諸条でいろいろな制約が課せられているが、これには十分注意、というより警戒せねばならない。ここには米英語以外の文字をアルファベットに翻字するルールが規定されている。その基本は米国国会図書館発行のALA-LC Romanization Table現行版が基準とされているが、これはローマ字系以外の言語を対象としている。日本語の場合には(31条3項)、やはりこのTableに準拠した「研究社新和英大辞典第三版以後で用いられている修正へボン式ローマ字表記法」に『よらねばならない』としている。これの参考とするため、160頁(この部分は規約外のためか頁表記がない)に、「修正へボン式ローマ字表記一覧」が載せてあり、いくつかの事例が示されている。例えば注2の例として、東京はTōkyōであり、Tôkyô、Toukyouと綴らないと注意書きされている。同様に、si、tu、dzu、syoなども使えない。このヘボン式ローマ字表記には、いくつかの問題がある。
- 文字の上に短線を乗せることで長音を表現し、長音記号を単独で用いたり、文字の上に山形記号を乗せて長音を表す訓令式ローマ字や、長音を記号を用いずに表記する方法を排除していて、やむをえない面もあるが命名の自由度が制約される。
- 160頁の注釈では、東京は「トーキョー」であり「トウキョウ」ではないとしている。つまり、日本語の発音の仕方ばかりでなく、日本語の綴り方まで規定しているように見える。nに続く母音やyを、続けて読まないことを示す「’」記号の使い方についても同様である。これは異文化を否定することにならないだろうか。別にどんな綴りを使おうと、区別ができれば差し支えあるまい。160頁の注釈は勇み足と思う。へボン式でも東京をTokyo、Toukyouと綴れるのだから・・・。
- 長音記号を上乗せした文字は、和文のコード体系では、作字しなければ表現できないので、通用しないばかりか、他の文字に化けてしまう心配がある。欧米文字のコード体系なら可能だが、そのデータは日本国内で和文を交えたシステムで通用するのだろうか?汎用文字コードUNIXが一般化すれば可能になるといわれるが、UNIXの時代になったとき、それまでに作られたデータは生き残れるのか?上付き記号のある文字を使わねばならないような規約の容認は、わが国の当事者に不利益をもたらすのではないだろうか?この文の原稿も、上付き記号のある文字がないばかりか、単引用符も1バイト文字がないために、2バイト文字を使わざるを得なかった。
- 附録Ⅱの種苗登録行政機関一覧の日本関係では、農林水産省生産局種苗課が載っているのみだが、こういう政府機関が訓令式でなく、ヘボン式ローマ字を受け入れるのだろうか?
植物命名規約では学名だけが問題になるが、栽培植物では「学名」とはいえ和名の領域まで入り込んで干渉することになるので、問題が複雑である。ところが本来アルファベットを用いる語では、こういう制約はゆるい。たとえば3条3項(11頁)には、「grexの複数形はgregesであるがしばしばgrexesも書かれる」と、綴りの変異をごく自然に容認している。その上「言語習慣が要求する場合を除き」という前置きで、アポストロフィの使用を認めたり、ハイフンの途中の大文字を許したりしている。「アルファベット以外の文字を使われると印刷や記録が厄介だから、アルファベットで表記してくれ」だけにする方が公平だと思う。
栽培植物の名称は商標登録や特許の対象となるので、自然の植物のそれと違って大きな利益にからむため、名称の異同に神経質にならざるを得ない。上記のような制約は、中国語や韓国語やキリル文字についても規定されている。こういう規定はたぶん、栽培品種名を漢字やハングル文字や日本字で表記されて理解できないため、欧米の市場で勝手に適当な欧字名をつけて流通させる習慣があり、開発者がつけた品種和名の知的所有権が無視されるのを防ごうという思いやりに由来すると受けとめておこう。日本語についての制約事項に中華語や韓語よりも多くの字数を費やしているのは、日本の栽培植物市場の評価が高いことと、日本からの働きかけが多かった結果と思う。1995年の6版(とは書いてないが)では、「日本語にはヘボン式を使え」と書いてあるだけである(28条4項)。ただし日本の栽培品種名に頻出する「琴の糸」の「の」つまり「No」はたいへん目障りらしく、「Koto No Ito」ではなく「Koto-no-ito」と、ハイフンでつないで途中は大文字を使わないことにせよと、わざわざ例を挙げて念を押している。私はこの程度で十分だと思う。ただしそれならば、アルファベット圏の名前についても、同じルールを例外なく使わせる方が公平である。
栽培品種のタイプ標本にあたるものはスタンダード標本と名付けられ、付録にその保存場所のリストがある。しかし栽培品種のような、花の咲き方とか香りとか枝ぶりとかによる違いは、生きた実物を比較せねば判断し切れないだろう。だから、ローマ字名表記の方針はやむを得ないとしても、その綴りまで一々規定しても、それだけの効果があるとは思えない。それよりも、流行に流されながら次々と生産され、アッと言う間に消え去ってしまう「新品種」が流れる国内市場で、余計な規制のために登録手続きが煩雑になる不利益の方が大きいだろう。しかも消え去ってしまってもその栽培品種名はいつまでも残るし、スタンダード標本は上述の理由であまり頼りにならないから、付けられ易い名前が次第に品薄状態になって行くのではなかろうか。もっとも第27条には、名前の再使用の規定があり、もはや栽培されていない、育種素材や種子や遺伝子が保存されていない、その名前が出版物にほとんど用いられない、などの条件を満たせば、名前の再使用が認められることになっている。
栽培植物名をこの規定に沿って学名化するとき、日本名の単なるローマ字化では意味不明でインパクトがないだろう。外国人の感性に訴える名前を工夫する必要がある。われわれは「ポカリスェット」とか「コカコーラ」と聞くと、意味が分からなくてもなんとなく受け入れる習性がある。けれどもよその民族もそうだとは言えない。外国の文学、古典、伝説などの知識をもっと応用した命名を考えたらどうだろう。日本の雅名も、単なるローマ字化ではなく、意訳するような教養と工夫が必要である。園芸界で文学者や詩人や歴史家を動員して講習会をやったら、輸出に貢献するのではあるまいか。観察会や勉強会でも、名前の由来についての解説がよくなされるが、解説者が勉強して、もっとレベルアップすればよい。
あちこちに「第Ⅴ部参照」というような指示があるが、頁の肩の見出しは1-2頁は「前文」、3-4頁は「原則」(この場合Ⅰ部)、5-53頁は「条」(この場合II部)、54-61頁は「部」(この場合Ⅲ~Ⅵ部)、63-99頁は附録となっていて、慣れないとどこに何があるのかわかりにくい。
付録にはⅠ国際栽培品種登録機関、Ⅱ種苗登録行政機関、Ⅲ特定の適用分類群、Ⅳスタンダード標本が保持される場所、のリストがある。Ⅲを除いてはいずれも欧米の機関が圧倒的である。スタンダード標本が保持される機関は、オーストラリア、カナダ、オランダ、ニュージーランド、南アフリカ、英国、米国のみである。これは意思表示した機関が今のところそれだけだ、ということなので、こういう命名規約の必要性を認識するならば、積極的に意思表示をした上、実績を見せねばならないだろう。言うは易く行うは難しである・・・
国際植物命名規約よりはるかに煩雑で、かつ金銭的利害に影響の大きい国際栽培植物命名規約の和訳に取り組んだ、邦訳委員会のご苦労を多とすると共に、これが広く有効に利用されることを期待する。上記しただけでもわかるように、この命名規約自体がわが国の流通市場に与える影響が少なくないので、その改善に関係者がこぞって取り組む必要があるだろう。
[植物研究雑誌83(2):124-126(2008)]
元・国立科学博物館 金井弘夫 著
菊判 / 上製 / 904頁/ 定価15,715円(本体14,286+税)/ ISBN978-4-900358-62-1
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