私どものところにはよくコレクションの寄贈の申し入れがある。誰でも自分が一所懸命集めた標本を、これからの研究に役立てたいと願い、そのためには博物館へ納めるのが最も適当と考えるのは当然のことで、私どももこういう標本を受け入れて研究資料の増加をはかりたいと考えている。
ところが、いざ標本を受け入れてみると、これを研究資料として整理するのに途方にくれる場合が少なくない。どういう点に問題があるかを記して、これから標本を作る際の参考としたい。
最も頻繁に出くわすことで、最も資料化をさまたげることは、ラベルが入っていないことである。個人の標本は、たいてい新聞紙にはさんで保存されている。台紙に貼られた標本は受け入れる標本室の規格に合わないので、新聞紙に入ったままの方が都合がよい。しかしながらそれにラベルが入っているものはほとんどなく、標本の諸データは新聞紙上に走り書きされている。こういう記事を切り取って貼りつけるという作業は、型式が定まっていないのでずいぶん手間がかかるうえ、標本自体を大変見にくいものにしてしまう。
そのうえこれらの記事は、最小限の情報としても不十分なものであり、おまけに略記されていることが多いので、そのままでは研究資料として役に立たない。たとえば採集者名はほとんどの場合記されていないから、これはこちらで記入せねばならない。第三者にわからないような略号は、わかる限りほん訳しておかねばならない。
ラベルに最小限の情報、つまり産地、日付、採集者名がちゃんと記されていれば、これを貼るだけでことは済むし、利用者が誤判読しないで済む。従って標本を作るならば、必ずラベルを入れてもらいたいのである。標本がたまってからラベルを作ろうとしても、記事が多様になって作れるものではない。ラベルというとチャンと印刷された格調高いものを考えたがるが、そんなものを言っているのではない。適当な紙片に前記の最小限のデータが記されていればよいのである。大きさは名刺大から図書カード大の範囲がよかろう。
ラベルを何枚か作るという作業は意外と厄介であるが、道具があれば容易である。最も有用なのはゴム活字である。ローマ字のゴム活字はハンコ屋や文房具店で売っている。買う時には2セット買うのがよい。1セットでは字数が不足する。後から買い足すと活字の足の長さがそろわず、混用できないのである。これがあれば産地、日付、氏名を組んで一挙にラベルを作ることができる。ローマ字を用いることに抵抗を感じる人もあるだろう。たしかに漢字やカナを用いる方で、日本の資料については含まれる情報量が多いのだが、ゴム活字でやるわけにはゆかないので処理がめんどうになり、結局ラベルを簡単に作るという目的を達せられなくなるだろう。それに研究資料の国際性という面では、ローマ字の方がずっとすぐれていることは明らかである。外国人が日本語で書かれた標本を利用するときには、標本室管理者がそばについて一々ほん訳してやらねばならないので、大変な時間つぶしになるのである。これ以外の方法としてとう写版やアルコール印刷などがあるが、手軽さや個人差がないという点で、ゴム活字の方がすぐれていると思う。
[現在では以上の文は昔話となった。日本語ワープロの発達で、かな漢字混じりにローマ字を加えたラベルは、無意識に作れるようになった。標本数に応じて同じラベルを複数作ることは依然として厄介であるが、これもパソコンに適当なソフトを走らすことで解決している人が多い。]
ローマ字を使うからといって、英語式の書き方をせねばならぬと考える必要はない。日本語のままで同じ語順で十分用は足りる。東京都武蔵野市牟礼を、Mure, Musahino City, Tokyo Metropolisとほん訳しないでも、Tokyo-to, Musashono-shi, Mureでよいし、TOKYO, MUSASHINO, MUREでもよかろう。年月日の順序は人によってまちまちだが、とにかく1枚のラベルだけを見てわかるようにしてもらいたい。年は西暦年を用いてほしい。月と日は一見して区別できるように工夫してもらいたい。例えば3・12と記してあると3月12日なのか12月3日なのかわからない。外国語にくわしい人によるとちゃんときまった順序があるのだそうだが、いくらどこかにルールがあっても、書く人や見る人がそのつもりでなければ何もならないのだから、そんなルールはアテにはできない。3GATSU 12NICHI とかⅢ12とかMar. 12とか M3D12とか、いやでも区別ができるようにしてもらいたい。「おれは一定のやり方で日付を記しているから、通して見てもらえばわかる」という人は多いが、標本を利用する者はその1枚しか見ないのである。利用する標本にでてくるいろんな採集者の記録法の習性を、一々調べているヒマなどありはしないし、そんなことをしなければ意味のわからない記事などは、無いも同然である。
採集者も、姓と名が判別できるように記してもらいたい。この点日本式に姓が先に来る方が便利なのだが、西洋式の不便な表現と混同されるおそれがあるので、例えばKanai, Hirooとコンマを入れるか、KANAI Hirooと大文字を使うかすればよい。名も略記しないで、どうせ活字を使うのだからフルに入れてほしい。産地の書き方については次回に述べる。
わが国では外国の標本室のように、標本を貼ったり入れたりする標本室管理の専門要員が確保されている所はない。このことは標本整理の仕事が研究者の負担によることが大で、しかもその仕事量は標本数の増加につれて幾何級数的に増加することを意味する。従って自分の標本を研究に役立てたいと思われるなら、相応の配慮をしていただきたいのである。現在東大や科博でとられている標本貼付法はヒートシール法というべきもので、従来の糊つきテープ法より数倍の処理速度があり、これで人手不足や標本量の増加に対応しているが、規格化しにくい標本があると大きなブレーキとなるのである。
「自分の標本にはラベルは入っていないが、すべての標本のデータをノートにとってあるから、ラベルはノートをコピーして切り離せばよい」と言われて標本とノートの提供をうけたが、いざラベルを作ろうとしたらやっぱりだめだったことがある。たしかにノートには標本の全情報が記してあり、しかも分類順にキチンと整理してあった。しかし採集者が本人のものは、それが記されていなかったし、他人の場合は略記であった。そのうえ産地や日付が先行して記されている標本と同じだと「同上」や「〃」となっていた。こういうノートを切り離したとしてもラベルにはならないことは明らかである。だから折角の好意も稔らずに、その標本はオクラ入りとなっている。
[付記:ところが当人は博物館に送ったということで安心してしまい、上の事情を知らせたにもかかわらず、「今に自分が行って標本棚に入れる」と言ったことも忘れて、「自分の標本はすべて科博の標本室に納めた」と公言しているため、それを真に受けてこの標本を調べに来る人がおり、こちらは大変迷惑している。実のところこの標本が標本室に入る見込みは全くないのである。]
最近各地で博物館建設計画が具体化しており、その基礎資料として地元のコレクターの標本を受け入れることを前提としていることが多いが、上に記したことは前もって十分検討し、寄贈者の理解を求めるようおすすめする。
金言「ラベルの入っていない標本はチリ紙交換に出そう」(自分は牧野富太郎級と思っている人は別である。)
[野草46(368):25-27(1979)]
(2)
前回は標本が具えていてほしい最小限の情報とその形式を記した。しかし本当はもっといろいろな情報が入っていた方がよいに決っている。その中でsecond minimumのデータはどんなものか記してみよう。この程度になると標本は単に種のサンプルだの産地の証拠というだけでなく、分類学、生態学、地理学などの研究に積極的に利用することができる。
第1にほしいのは採集番号である。採集番号というのは採集者がその標本に与える一連番号で、重複品には同一番号が与えられていなければならない。各所に分散されている重複品も、採集番号が同じなら引用したり参照したりする時の評価を安心して下すことができる。例えば標本について計測を行なうとする。標本が10枚あり、その内4枚は同一の採集番号がついており、他の6枚は夫々別物とする。もし10枚全部が別物なら、計測値の総計を10で割れば一個当りの平均値がでる。しかし今の場合、4枚は同一個体(又は同一集団)なのだから、上のやり方では1個体の(又は1集団の)値に重みがかゝり過ぎて適当でない。4枚の中から1枚を選ぶなり、4枚についての平均値を出してから他の6枚の値と混ぜて7で割るという方法をとるべきだろう。重複品であることが採集番号で明示されていないとこういう判断ができないので、結果はアイマイなものとなってしまう。
採集番号は厳密な一連番号である必要はない。あまり近い時期に同一番号がない方がよいという程度で、2桁か3桁の数字を用いればよい。間がとんでも全くかまわない、同一番号をつけた礼を何枚かずつ作っておいて、採集の際に標本につければよいのである。番号札をどうやってつけるかは別に述べる機会があるだろう。
第2に是非記してもらいたいのは産地の海抜高度である。現在科博にある国内標本で、高度の記してあるものは暁天の星よりまだ少ない。どうしてみんな高度をおろそかにするのだろう。これがあると無いとでは標本の利用価値は段ちがいである。高度は地図を見ればわかるし、近頃は小型の高度計も売られているので、少々高価だが利用するとよい。但し1mまで記しても地図や高度計の精度から云って意味はない。100mきざみで十分で、くわしくてもセイゼイ10mどまりである。
第3に産地をチャンと記してもらいたい。こまかい地名のことを云っているのではない。例えば「御岳」とだけ記されている標本は使いものにならない。どこの御岳かわからないからである。日本に一つしかないと思う地名でも、県名くらいは記してもらいたい。ついでに大事なことを云うと、旧国名を用いる悪習はもうやめてもらいたい。「県より国の方が地形的にまとまっていて合理的だ」というのは根拠がない。近畿地方と東北地方の国の大きさと数をくらべてみればわかるだろう。Prov. Kawachiなどと記してあっても「そんなProvinceは地図に出ていないゾ」と外国の研究者に文句を云われるだけである。国際的に用いられている地図に旧国名などのってはいない。第一、我々の中で一つ一つの国の範囲を正確に知っている者がどれくらい居るだろうか?
こまかい方の産地についてはあまり注文をつけないことにする。近頃は産地をかくさなければならない場合さえあるのだから、そのくわしさは採集者の判断にまつ他はない。産地を記す本来の意味は、その植物を再び見出す為と、地図などに産地をプロットする為である。これをくわしく記したいと思うほど地名ではつき合い切れなくなる筈で、正確には経緯度で表現するしかない。或は適当な座標値を用いるのがよい。私が提案しているLocality Index(植物研究雑誌47巻215頁、1972年)はこの為のものである。例えば宮城県小野町長沼と書いてあると誰が見てもこれ以上くわしく書く必要がなさそうだが、アニハカランヤ小野田町には長沼が2ケ所にあって、後の利用者はマゴついてしまう。マゴつくならまだマシで、最初に地図上で見つけた長沼がその産地だと思うのは無理もなかろう。座標による表現は一見とっつき難いが、少なくも行政区画による地点表記の欠点を補うものである。
第4になるべく多くのノートや図をつけて欲しい。花の色や生育地の状況などは従来もよく記されているが、ノートすべきことはこれだけではあるまい。例えば花がどんな方向を向きどんな姿勢をしていたか、おしべやめしべの長さや形がどんなか、どの辺まで土に埋っていたか、茎や根を割ったらどんな構造や色をしていたか、若菜はどんな工合にたゝまれていたかなど、それこそ何でもよい。植物は「重要な形質」ばかりで成り立っているわけではない。「当り前の形質」もわからないと種の実態を組み立てるわけにはゆかないのである。ことばで云い表せないものはスケッチをつけるのがよい。
また記述した現象が採集した個体あるいは観察した部分だけについてのものなのか、他も含めたものなのかがわかるようにしてほしい。おしべが30本と記してあると、すベての花のおしべが30本なのか、たまたま数えた1個の花に30本あったということなのかはわからない。最高と最低をとって24本-32本と記されていても、実際には何本のが何個あったかはわからない。それよりも31, 28, 30, 30, 30, 24, 32, 30と書いてあった方が情報の内容はずっと大きくなる。ノートは研究用の素材なのだから、下手に手を加えない方がよいように思う。こういうことは採集の現場でないと記録ができないことが多いので、野帳をつける必要性に行き当る。
[野草46(369):39-41(1979)]
(3)
さきの投稿をした後で、偶然ある人からラベルの書き方について質問をうけた。その人はアマチュアというより分類学の研究者の中にかぞえられる人なのだが、そういう人でも、自分の標本ラベルに最小限必要なことは何か、ということがはっきりしていないようだったので、1番簡単な見本を示しておくことにする。AとBの2通り作ってみた。用語は和文よりローマ字の方がのぞましいことは、先に記した通りである。ローマ字で満足できなければ日本語をつけ足せばよい。ローマ字のスペリングは読めさえすれば訓令式でもヘボン式でも自己流でもよい。大文字のみを用いているのは別に理由があるのだが、私のクセと思っていたゞけばよい。
地名は大きい地域から小さい地点へと並べる。行政区画名をほん訳する必要など無用である。旧国名はくれぐれも使わないでほしい。Bのカッコ内の数字は地点を示す座標(Locality Index…植物研究雑誌47(7)215-221(1972))であるが、これは私独自のものでまだ一般性はない。将来一般的にしたいと希望している。関心ある方は私宛に問合せられたい。高度はぜひ入れてもらいたい。
採集者名は姓を先頭に書くことをすゝめる。ただし英米流にとり違えられると困るから、コンマで区切るか(A)、名の方を小文字にするか(B)するとよい。採集番号はある方がのぞましい。
採集日は年、月、日と大きい順に並べ、月と日の区別がつくような書き方をしておく。
ラベルA
TOKYO-TO, HACHIOJI-SHI,
MT. TAKAOSAN
350M
KANAI, HIROO 780523
1978-V-11ラベルB
JAPAN, HONSHU : TOKYO, HACHIOJI
TAKAOZAN, YAKUOIN---SUMMIT
〔391354-43〕 350H
1918 MAY 11 KANAI Hiroo 780523ラベルには上記の諸項のほかに、少なくも植物名を書くスペースが必要だから、少し大き日の紙片にして余白ができるようにしておく。植物名は記してある方がよいに決っているが、これは必要条件ではない。いくら正確に同定された立派な標本でも、他人が見て3W(イツ、ドコで、ダレが)がわからない標本は紙屑同然なのである。
ラベルのヘッドラインに白分の氏名を刷り込んで、これを採集者名に代用する人があるが、これはダメである。ヘッドラインはその標本の所有名を示すものであって、採集者はこれと同じとは限らないからである。
標本を保存し、残す意義は他人に使ってもらうことにあるのだから、標本のできばえばかりでなく、ラベルの中味について、国際性まで考えた配慮をしてもらいたいのである。
[野草46(370):57(1979)]
(4)
ここらで先の採集番号をどのようにつけるかということと関連して、私のやり方を記してみる。こういうことはいろんな人のやり方を公開してもらって、共通なよりよいやり方を開発したいものだ。
私は採集番号をあらかじめ印字したテープを用意している。このテープはスーパー店などで値段を記して品物に貼りつける粘着ラベルで、これに4桁の5連番号を打っておく。私は海外調査などの際重複標本を多く採ることがあるので、桁数も連数も多くしてあるが、自分の採集量に応じて3桁でもよい。1連でも3連でもよかろう。このテープを35mmの長尺フィルムの空缶(直径10mm厚さ4cm)に入れ、引出し口をつけてポケットに入れておく。採集したら直ちにこのラベルを植物体に貼る。枝に巻きつけるよりも葉面に貼る方が後で見易い。あまった同番号の札は切棄てて、新しいナンバーを出しておく。(ただしこの番号のみでは新聞紙の外面にはなにも表示されず、開いてみても番号札がとても小さいので見つけにくく、乾燥を終わってから重複品をまとめるときに不便を感じる。もう一工夫が必要である。
野帳は自製のものであるが、市販の小型ノートで十分である。これを使うときは2頁(つまり紙一枚)に1ナンバー分しか記入しないことが肝要である。こうするとそのまま切り離して標本にはり付けることができる。1頁の表裏にいくつもの標本のノートを記入すると、あとで整理が大変やりにくくなる。本当は一つの標本の記事も、頁の片面しか用いないことにする方がよい。つまり裏面はいつも空白にしておけば、切り離して貼り付けるにも都合がよいし、コピーも簡単である(重複標本には、ノートをコピーして入れてやらねばならないので)。標本の写真をとるときに、表裏に記事のある紙片が貼ってあると、二度手間をかけることになるのである。野帳の奇数頁には採集番号と同じ番号を前もってつけておく。採集品に番号札をつけたら、同番号の頁にそのノートを記入する。このとき「植物名」を記入しておくと、あとで番号札のつけ違いを見つけるのに役立つ。ノートと標本をつなぐのは番号札だけだから、用心していないと異なった相手のノートを記していることがある。実際、番号札が1・2番ズレてしまうことはよくおこるのである。「植物名」といっても正確なものである必要はない。自分のおぼえの為だから、科名でも属名でもよいし、「-のようなもの」でも「ハコベ①」のようなアダ名でもよい。要するに番号以外に標本とノートをつき合わせる手段を確保しておくのである。
記入には鉛筆が最もよい。ボールペンやインクペンは悪天候で紙が湿っていたり指の脂がついていると、書けなかったりにじんだりするし、図を描くとき太さのコントロールがきかない。但し鉛筆はすぐ太くなるしだんだん短くなるので、私は0. 3mmのシャープペンシルを用いている。高度は適当な地点ごとに調べて記しておき、後で補間する。一枚の紙にノートが書き切れなかったら次の一枚に続け、その番号は使わないことにする。記入が終わったら頁の一隅を千切っておく。こうすると次のノートが記すとき、新しい頁を直ちに開くことができる。記入事項が無いときでも、番号ラベルを貼ったらすぐに該当頁を千切る。
おし葉を作る際には野帳と番号札をつき合わせて番号のつけ違いをチェックし、追加のノートを記入する。野帳の一日分にはその小口面にマジックインクで縦に線を引いておく。翌日の分は少しズラして線を引く。一回の旅行の最後の頁は一辺を黒くぬりつぶす。こうしておくと、あとで見返すのに大変都合がよい。また一日分の後には余白の番号を少量とっておく。おし葉ができてしまってから番号札がずれていてもうひとつ番号を作ったり、同番号のつもりでいたものを2種に分けるというようなことがよくあるからである。このために私は一日の最後は5の倍数で終わることとして余白を作っている。
旅行が終わったら、各頁に日付や高度をゴム印でおし、地名などもできればラベルと同じゴム印でおしておく。こうすれば野帳そのものをラベルにすることもできる。野帳をとっておきたければ、一度ばらしてコピーをとり、(裏面に記事があるとこういう時面倒なのである)再びとじておけばよい。野帳のサイズを後述のごとく図書カードの大きさにしたのは、カードケースに収納する便宜の為でもある。私は野帳をそのままラベルにはしていない。私の字は大変きたなく、野帳の走り書きは自分でもあとで判読に苦労するからである。この為、野帳の記事をタイプライトしてラベルを作っている(これも現在はワープロで片づくようになった)。4桁の採集番号では、永年採集をしていれば重複がおこらないとも限らない。これを防ぐ為に、私は標本につける採集番号には、採集年の下2桁をつけ足して、計6桁にしている。こういうやり方なら、普通の場合なら野帳の番号は3桁で十分である。
私の野帳は自製だと記したが、これは8×13cm(図書カードサイズ)、100頁のもので、各頁には出現頻度の高い単語(草、木、つる、着生、単複葉、花弁、花被、萼、おしべ、めしべ、子房、やく・・・・・・) が印刷されている。記入の際には該当する語に印をつけてその記事を書けばよいので、野外での時間を節約できる。ノートをつけていると、見てわかっていたつもりの認識が、記録するためにはとてもいいかげんで使いものにならないことがわかるし、記述用語の選択もきめこまかになるし、コトバの限界につき当たって図を描く必要も出てくるし、とにかくプラスになることが非常に多い。
このようにして正確な基本データと、できるだけ多くの情報が標本にともなっていれば、ずい分利用価値の高い標本となる筈である。
[野草46(372):89-90(1979)]
(5)
しかしながらいかに立派な標本でも、標本質へ整理された形で入ってくれないとどうにもならない。たとえ博物館が引きとっても、荷物のまゝしまってあったのでは、「保存」にはよいかも知れないが研究資料にはならない。ところがこの「保存」の段階に達する迄にも多くの問題がある。大事なことは、「自分が生きている間に始末してしまう」ことである。
有名なコレクターの標本が死後散逸してしまった例は数多い。これは本人が愛着があるあまり、適宜な処置をとらなかったことに主な原因があると思う。遺された者は、その文化的価値を認識するあまり、それを経済価値に置き換えて評価したり、受入れ倒に困難な条件をつけたりし勝ちである。残念ながら我が国では、いかに文化的価地があっても、植物標本の受入れに十分な対価を見込んだり、現在の他の標本以上の待遇を与えたりすることはむずかしい。こんなことから遺族の感情が傷つき、折角のコレクションも行き場が無くなり、年経るにつれて持てあまされて風化四散してしまうという話はいくらも聞かされている。またこのような遺贈標本は、標本としての前記のいろいろな資質に欠けていて、受入れても標本化が困難なものが多い。従ってある程度まとまった標本を持っておられる方は、自分が始末できるうちにどうすべきかを考え、準備されることが望ましい。我々が標本を作り、後世に残す目的は、別に書いたとおり、時間空間をへだてて自然誌の研究をするのにそれが無くてはならないものだからである。どんなに立派な標本も自分の為だけのものだというのなら、自分が居なくなる時には焼き捨てればよい。同様に、モノがあっても他人が使えるように標本化ができないような「標本」は無いも同然なのである。
こういうことは植物標本に限らない。図、写真、ネガ、カラースライドなど、集積しておけば利用価値の高まるものについても同じことが云える。例えば「カラースライドが沢山たまったが引きとらないか」という申し出がこれ迄数回あった。私の返事は「日付、場所、撮影者、植物名が一コマずつに記入してあればいただく」というものであった。これに応じて下さったのは武蔵野市の村瀬博実氏だけで、多量のカラースライドに上記のデータを一々記入したものをいただいたことがある。これらは分類順にファイルを作って保存した。ちょうどその直後に科学博物館の自然史展示の更新があり、このスライドはずい分有効に使わせていただいた。今、上野の植物展示のカラーパネルの多くは、村瀬氏の寄贈品から選んだものである。こういう使い方は好機に出会った例外としても、植物のカラースライドがある程度そろっていれば、これを利用した展示や講義を組むこともできるし印刷物にも使える。カラースライドはいつ迄も保存はできないから、同じ植物の写真が次々と入って来ても、困ることはないだろう。標本写真のネガや文献複写のネガも、一度利用してしまえばその当人ですら殆ど再び使うことはないが、これらが整理された形で一ケ所に集積されゝば、ずい分利用価値がでてくると思う。その為にはこれらの資料、記録、標本類が、他人の利用に必要十分なデータを身につけていなければならない。
[野草47(373):8-9(1980)]
元・国立科学博物館 金井弘夫 著
菊判 / 上製 / 904頁/ 定価15,715円(本体14,286+税)/ ISBN978-4-900358-62-1
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