-Works of Nakajima Mutsuko, botanical illustrator-
解説:大場 秀章 (東京大学総合研究博物館教授)
植物と人間とのつきあいは古い。植物は食料であり、薬であり毒でもあるからだ。では、個々の植物が有用であることをどう伝えるか。文字による表現はもちろんだが、サポート手段としての「絵」がそこに登場する。後に近代科学が発達して種に対する意識が明確になると、植物の「絵」は必ずしも有用性との関わりを持たなくなり、主に植物分類学の研究をサポートする科学的な表現手段として進化した。その一方で、庭に咲いた美しい花・珍しい花を記録しておきたいという、鑑賞目的の表現手段としても発達した。
さて、植物画家の中島さんは、画歴からもわかるように、いずれの要望にも応えうる技量と感性を持った植物画家である。当初、鑑賞目的の植物画の画家として腕を磨いた彼女は、それにとどまらずオランダの国立ライデン植物標本館で、植物標本画の修行を積む決心をされた。オランダ語の習得から始まって、その修行は厳しかったものと想像するが、一方で、国際的な環境の中に身を置かれたことで、得るところも大きかったのではないかと思う。今や中島さんは、内外の植物学者の信もあつく、文字どおり国際的な仕事に関わっておられる。
今回ここに主に紹介するのは、彼女のいまや最もビビッドな仕事の中核をなす科学的な植物画である。これらはすべて植物の乾燥標本から描かれたもので、植物の構造を熟知している彼女ならではのものであるが、注目すべきは唇弁(ラン科植物の分類に重要な器官)の描き方である。本来、立体的な唇弁であっても、形態的な特徴を表現するためには平面的に展開して描くことになるが、どうしても展開しきれずにしわになる部分が出る。彼女はそのしわも忠実に描く。すなわち描画に嘘がないということである。このようなことも研究者に信頼されるゆえんなのである。
科学的植物画は植物学者の厳しいチェックを受けて完成するものである。ゆえに、重要な植物標本にも匹敵するような価値をもつイラストレーションとして、未来への遺産ともなる。少なくとも、その意味を彼女は心得ている。もちろん、彼女の画業の進化の跡を見せる意味で、アート性の強い作品も何点か紹介する。その腕前の評価については、国立ライデン植物標本館の植物学者ペーター・ファン・ウェルズンの紹介文(下記)が意を尽くしている。
アーティスト、ムツコ・ナカジマの名は、その水彩による植物画で、すでにパリでも、オランダのライデンでも、よく知られている。(中略)ムツコの作品は、輻輳する、明るくいきいきした色彩の影をもち、いつも植物をインプレッショニスト風の味合いで見せている。それらの作品は、あらゆる植物好きの人々にとって、見逃せないものである。(1991年2月18日-3月2日、東京のガレリアグラフィカで行われた個展リーフレットから転載)
科学的な植物画は写真では表現しきれないことをやってのける。もちろん鑑賞目的でも、植物体の大きさの比率を正確に計って描かれたものは、写真の及ぶところではない。写真は一見ありのままに写っているように見えても、レンズを通す以上必ず形にゆがみが出ているからである。種の多様性が重要視されているいま、その多様な世界を的確に描きだす彼女の腕は貴重であり、それを必要とする場がますます増えることを願ってやまない。(東京大学総合研究博物館教授・大場秀章/Copyright: Ohba Hideaki 2000)
2000.1.28 当社にて
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