Advantages and Disadvantages of Compacter Herbarium Shelves
国立科学博物館の顕花植物おしば標本室では、1988年はじめに従来の固定式標本棚を移動式に切り換えた。従来当館の維管束植物部門では、移動棚は標本整理のための作業スペースを十分確保できる見込みが少ないため消極的だったが、標本数増加にともなって収容面積が不足してきたため、やむなく導入したものである。予算執行時期の関係で、切り換えに先立って設備の仕様や工事手順について十分な検討をする時間がなかったが、ともかく手動式台車の上に従来使用してきた標本棚をそのまま載せる形とした。新しい配置を図1に示す。これまではここに示す室全体に同数の標本棚が配置されていた。この工事の結果、従来は438㎡の床面積にあった標本棚が、323㎡(73.7%)に収容された。
改装以来3年余を経過し、新しい様式についての落ち着いた批判ができるようになったので、今後のために問題点を、工事前後の時期に生じる問題と、標本室として運用する際におこる問題とに分けてのべる。
〇改装工事前後の問題
工事担当者は、標本室内のすべてのおしば標本がひとつのシリーズで並んでおり、順序を入れ換えることがハーバリウム運用上致命的な問題になるということを知らなかった。したがって工事の便宜上、同型の標本棚を一箇所にまとめるような当初設計を持ち出した。それなりに合理的な考えかたではあるが、これをやるとすべての標本の再配列を行わねばならない。しかし標本の移動に要する経費は考慮されていなかった。標本移動の経費がないことは、工事計画のすべてにかかわる問題だった。あらためてこの問題を事務当局を交えて検討したところ、当館の事務官でも標本配列の一貫性について理解していなかった。われわれにとって思いの他のことであるが、これはむしろハーバリウムというものの特殊種事情と考える方がよい。動物や地学の標本は大きさがまちまちであり、専門が細分されているためもあって、一定の分類体系に従った収納配列を行っておらず、標本の検索にはカードが用いられている。植物標本は、菌類をのぞいては、原則として同じ大きさに作ることが習慣化されているため、分類体系に従った配列や学名順の配列をすることができるのだということにあらためて気付いた。他の自然誌分野にはない「ハーバリウム」という単語が存在する理由である。このことを理解させるよう極力努力したが、「Aの次はBと決まっているのなら、その二つが隣同志に並んでいなくても、Aの棚に『次はどこそこの棚を見よ』としておけば済むではないか」という理屈を押し返すのに苦労した。結局、従来の配列を維持するように標本棚を並べることで落ち着いた。事務官には加除式法令集を例として説明すると、理解しやすいようだった。
第2の問題は、業者はコンパクトに詰め込むのがよいと思いこんでおり、標本室全体に対して作業通路を1本しか確保しないような設計をしたことである。ハーバリウムは、整理のたびに移動するものであり、しかも順送りにしか動かせないため。少なくとも背中合わせの標本棚につき2通路は確保せねばならない。それも全室で2通路では平常の運用はできない。たとえば標本棚を追加・更新したときにおこる内容の大移動や、殺虫剤の投入作業などがむずかしくなるし、複数の人間が標本室で研究あるいは作業することは不可能になる。ここにも、標本室は「しまっておく所」という先入観が強く働いている。このことについては、柱ごとに固定棚を置き、1スパン(柱と柱の間のスペースをここではこう呼ぶ)に1通路を設けると、移動棚を導入した本来の目的である「スペースの節約」にはならなくなることが分かったからである。「順送りにしか動かせない」ということは、第1の問題と同根なのであるが、これを説明することは、たいへんむずかしかった。
第3の問題は工事にともなう標本の退避と運搬の方法だった。本来なら標本をすべて抜き取っておいて、空の標本棚を配置してから標本を入れなおすのが整理上も安全上も望ましい。しかし標本移動に要する経費は望めなかったので、標本を収容したまま棚を移動することとなった。このことは、従来の標本の配列を乱さないという観点からも望ましかった。当館の標本棚は上下2段または3段に分かれているものが多いが、それらは上下を切り離すことなく、ガムテープで固定したまま移動した。標本の入った棚は重くて、移動作業は大変だったようだが、内容の損傷などはほとんどなかった。種カバーのふちなどが、移動の際にドアに当たって傷みが出た程度である。標本を一々取り出してから運搬するやり方よりは、傷みや順序の乱れがおこらないという点、および当事者の神経の使い方が軽減された点でよかったと思う。しかしスチール棚は重いままの移動の結果かなりひずみが生じ、ドアの開閉に円滑を欠くものが多くなった。とくに最近の製品は材質が薄くなっており、ゆがんだものが多い。運搬中に衝突して、ドアハンドルが折れたり蝶番がこわれたりした棚があった。また棚の幅がまちまちなため、台車の上に設計通り載せられないものが一・二出た。これらはやむを得ず近隣の位置に納め、工事後に内容の再移動をおこなうこととした。
〇運用上の問題
冒頭に記したように、収容面積は旧来の73.7%となり、当初の目的であるスペース節約は一応達成された。棚の移動は側面のハンドルを廻すことにより、思いのほか楽に行える。しかし何分性急に行ったことでもあり、改善すべき点の方がたくさん目につく。これらにつき述べ、他山の石としたい。
1)標本棚の更新ができなくなった 移動に際しての棚の安定を確保するため、棚は台車はもとより前後左右の棚同士で固定されている。そのうえ最上部は照明装置とりつけのために、アングルをわたして厳重にネジ止めされている。古い木製棚をスチール棚にとり替えようとしても、これらの連結をはずすことはむずかしい。たとえとり外すことができても、新製品は原則として元の棚と同じ幅ではないので、空きスペースに納まらなかったり、納まっても周囲の棚と連結することができない。台車の上に固定されているので、床に置かれたときと異なり、左右を融通して納めることも不可能である。いずれにせよこの方式では、棚を更新すれば、その部分の収納量は以前よりも減少せざるを得ず、その結果標本の大幅な移動を行わねばならなくなる。また棚が動くため、移動棚の列の外側に新しい棚を置くことはできなくなった。
2)1通路では不足 通路の幅は図面上925mmである。この幅は1通路内で作業している限り、不便なものではない。しかし標本を移動させる段になると、とくに背中合わせの棚へ移動させるときには、2通路をとろうとすると各412mmとなり、ドアの開閉ができなくなることも手伝って、同時作業は不可能となる。通路Aで標本を取り出し、棚のドアを閉め、踏台や作業机を通路外に出し、棚を移動させて通路Bを開き、中へ入って作業するという行動を繰り返さねばならない。当館の構造では、柱の間隔が6,500mmであり、棚を背中合わせに載せる台車の幅が1,099mmである。これに基づき、柱の位置を固定棚とし、柱の問に4台の台車を置いた結果この通路幅とならざるを得なかった。柱の位置を固定棚とした理由は、ここには梁が走っていて天井が低いため、移動棚にすると頭がつかえるためである。現在1スパンにある復列台車4台を、複列3台、単列1台にすれば、通路幅は約1,400mとなり、2通路を確保できる。そのかわり収容面積は図1の突出部を除いた部分に拡がり、圧縮率は84.5%となる。
3)ドアが邪魔 従来の固定棚の方式でも、標本棚のドアにはいろいろな不便があった。隣り同士の棚での標本のやりとりでは、ドアがあることで大変不便な思いをさせられた。移動棚になって、ドアのあることの不便さを一層強く感じるようになった。古い木製棚はドアのしまりが悪く、自然に開いてしまうものもある。スチール棚も今回の工事によるゆがみのため、ドアがしっかり閉まらないものがいくつもできた。新システムになってみたら、この閉まらないドアのために棚の移動が妨げられる事態がしばしばおこっている。標本棚の構造によっては、ドアを180°開かないと標本をとり出せないものと、90°開けば使えるものがある。しかしいずれにせよ180°開いてくれないと通路の使用に差し支えるので、従来は隣りに置く標本棚の間隔や前後位置を調整してそれを可能にしてきた。今回は台車に載せられて一様に固定されたため、間隔はともかく前後位置の調整はむずかしくなり、ドアが全開できない棚ができた。当館の標本棚のドアの幅は最大700mmなので、これが通路をさえぎって作業に支障を与える場合がある。もっと困ったのは、殺虫作業のときである。当館では年2回、標本室のガス燻蒸をおこなっている。このときには標本棚のドアを開放し、ガスが標本に浸透するようはかってきた。新しい標本室では、1スパンで925mmしかない通路を平均して分配するとわずか185mmとなり、ドアを開放するためにすき間に入り込むことさえできない。やむなくドアを閉めたままガス燻蒸をおこなっている。殺虫剤の浸透は当然少なくなるから、永年にわたると悪影響がでる心配がある。
4)ドアをとり外す 以上の不便さをさしあたり回避するため、試みに旧式木製棚のドアをとり外してみた。これら木製棚は老朽してドアの閉まりが悪く、いずれスチール棚に更新したうえ廃棄する予定のものである。またスチール棚についても、蝶番の軸を引き抜いてドアを取り外すことを一部試みた。スチール棚については、再利用できることを考慮して、外したドアと蝶番の軸は保存している。その結果、使い勝手は予想外によくなった。とくに広い範囲の標本の収納状況が一目でわかるため、整理作業の予測を立てやすくなった。上下に分かれた棚の下部で作業しているうちに上部のドアが半開状態になったのを知らずに立ち上がり、ドアに頭をぶつけて傷つくというような事態が我々でも時々おこっており、とくに来訪者には危険であったが、ドアがなくなればこの心配はなくなる。ドアがないために、棚を動かすときに標本がズリ出すのではないかと心配したが、その兆候はみられない。ガス燻蒸の効果も向上することと期待される(図2)。
5)移動式専用の標本棚 ドアを外してみて理解したことだが、標本棚のドアは、せいぜいほこりの進入と外部の微気候の影響による標本の劣化を防ぐ働きをしているにすぎない。防虫の面では、ドアは薬剤の濃度を保つにはよいが、標本害虫として最もポピュラーなシバンムシやチャタテムシはドアの隙間を通過できる大きさなので、この点ではドアはあまり役にたたない。かびを心配する人が多いが、これは標本が生乾きの場合か、部屋の湿度が高いことによるもので、ドアの有無とは無関係と思う。標本棚を通常の室内に単独で置くときには、ドアはこれらの点で有用であるが、独立した標本室の、とくに移動式ではむしろ邪魔な面が目立つ。これらのことから移動式標本棚の形を考えると、ドアなしの単純な棚だけというのが最も使い勝手が良さそうに思われる。ライデン方式(わが国なら琉球大学)に工夫を加えればよいだろう。ただし標本室全体の空調は、防塵・防虫・風化対策の立場から是非とも必要である。棚は手をのばせばとどく高さが望ましく、踏台を使わねば手がとどかぬような高さの標本棚は、極めて能率が悪い。移動棚では、通路へ物品を残しておくと棚を動かすことができないので、作業机などは移動性がよく、小回りのきくものがよい。
6)防虫剤の臭気 前項に記したドアの効能についての意見は、春さきから梅雨どきまでの体験に基づいたものであるが、夏になって室温が上昇してきたら、別な問題がおこってきた。当館では防虫剤としてナフタリンを標本棚の中に多量に散布している。従来のドアつきの状態では、夏期にはかなり臭うけれども、慣れていれば標本室内での作業に支障をきたすほどではなかった。もっとも、はじめての人は、冬期でもその臭気に辟易して数分もとどまれない人もいた。ドアをとりはずした結果、夏期における臭気は思いのほか強烈で、私のような鈍感な者でも涙がこぼれるほどのものとなった。この室内に長時間とどまるのはかなりの忍耐を要するばかりか、たび重なれば健康上の問題も考慮せねばならないだろう。多量のガスが放散されるのだから、ナフタリンの消耗量も当然大きくなるものと思われる。この面からも、空調設備の必要が認められる。せめて23℃以上にはならぬようにしたい。
7)未整理標本 従来、未整理標本などは標本棚の上にのせておくのが常だったが、これは不可能となった。そのわけは、棚を動かす際に落下のおそれがあるためと、棚の上部に照明灯の支持装置をとりつけるため、および通路を閉じたときには照明灯が棚の上すれすれに納まるため、物を置くスペースがなくなったためである。その結果未整理品の占める床面積は増加した。
8)固定棚は緩衝地域に 移動棚になると、ある部分の棚が満杯になったとき、その付近に新しい棚を置いて緩和をはかることはできない。また、棚が動くということと、ハンドルなどの操作のため、移動棚に接近して固定棚その他の物品を置くことはできない。その対策としては、ところどころにある固定棚を、当初は標本配列の対象とせず、未整理品の置き場などに使っておくのがよい。近くの標本棚があふれたときには、この部分に新しい棚を作るようにすれば、かなりの期間バッファーとして使えるだろう。ここがいっぱいになったときにも、列方向に棚を延長して置くことが可能である。
9)照明灯 移動書架と同様な照明装置が、通路を開いたときその中央にくるようにとりつけられているが、この設備のために棚の上部の構造はたいへん複雑になった(図2)。しかし使ってみて、照明装置をここに取りつける必要がないことがわかった。通路を1本しかとらない場合には、棚をどのように動かしても通路ができる位置は一定しており、天井灯をそれに合わせてとりつければ済むのである。移動棚用照明灯のとりつけ工事にはかなりの手数を要するので、天井灯にすれば経費的にも安上がりになると思われる。ただし事務手続き上、移動棚にとりつけた照明具は移動棚設置の工費までまかなえるが、天井灯となると建物の工事費として別項目となる。
10)ハンドルの位置 移動のためのハンドルは台車の片側にしかついていない。これは反対側で作業するときに大変不便を感じるので、ハンドルは両側につけることが望ましい。これに関連して、安全装置としてのロック機構や照明灯スイッチも、両側から操作できるように連動させる必要がある。
11)ラベル 標本棚のドアをとり外してちょっと因ったのは、収納標本を表示する場所がなくなったことである。しかしながらドアという遮蔽物がなくなって、内部を直接見ることができるようになったのだから、科の境目の見出しと同様な表示を随所に挿入しておけば、目的を達することができるだろう。これならば整理の結果標本が移動すれば、それに伴って見出しも自動的に移動するので、ラベルを書き替える必要はなくなる。ただし各列側面の見出しラベルが必要であることは、従来と同じである。
12)拡張の余地 今回の工事では、収容面積は圧縮されたものの、標本棚の数は増加していないので、標本の混み具合は以前とかわりはない。今後は台車に載せられた従来の標本棚を、前述した専用標本棚に更新して収容量の増加をはかるとともに、移動棚を残りスペースに増設することが必要である。最初の工事の際、室全体に移動用レールを設置しておけば、その後の拡張が楽になるだろう。
ハーバリウムを維持するためには、常に標本を入れ続けるとともに、標本数の増加に応じてその再配列をくり返し、標本棚を追加してゆくことが必要である。しかし限られた床面積では、標本棚の増加には限度があるから、移動式標本棚を考慮するものの、何分未経験の設備であるがため問題点がつかめず、ちゅうちょしている機関が多いようだ。私は移動式標本棚の導入を積極的にすすめるつもりはまだないが、ハーバリウムの設備に対する意見として本文が参考になれば幸いである。これとともに、ハーバリウムを制度的に認めさせるために、予算要求の根拠となる標本数に応じた必要床面積について、共通の理解を作りだす努力が必要であると考える。
[植物研究雑誌66(3):176-180(1991)]
元・国立科学博物館 金井弘夫 著
菊判 / 上製 / 904頁/ 定価15,715円(本体14,286+税)/ ISBN978-4-900358-62-1
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