Change of Distribution of Nymphaea tetragona Georgi and Nuphar pumilum DC. var. ozeense H. Hara (Nymphaeaceae) in an Interval of 16 years on the Basis of Pool Catalog Database of the Ozegahara Moor, Central Japan
1994年から1997年まで行われた福島・群馬・新潟三県合同尾瀬総合学術調査の成果として、1982年に発表してあった尾瀬ケ原の池溏地図および池溏カタログを改定した(Kanai 1982、金井 1998)。この結果いくつかの池については追加、統合、分離がおこなわれ、それに伴って池溏番号の改廃や新設がなされた。結果として、Kanai(1982)では1539であった池溏の数は1843となった。増加の主な理由は、Kanai(1982)では一時的な「水たまり」とみられるものを無視したのに対して、金井(1998)では現場での識別の便宜のために、水のたまっているところはすべて池溏と見なしたためである。池溏番号は尾瀬ケ原の諸現象を永続的に記録することを目的として、Kanai(1982)との整合性を損なわないように配慮した。池溏地図の全体図は縮尺約4000分の1で、新たにケルミ(畝状の高まり)、リュネ(ごく小規模な流路)、樹林や藪と原の境目、池溏内の島を描き加え、等高線を宮脇・藤原(1970)から模写したうえ、位置記録の便宜のため経緯度目盛りを付加した。これとは別に池溏番号識別のための、同縮尺の索引図を用意した。これらの地図は、林野庁の空中写真「奥利根no. 703、C4 - 20、C5 - 3. 25, Oct. 1974」の10倍伸ばしをトレースして分布図を作り、それを集成して全体図としたものである。
この地図を利用して特性の池溏を検出するため、それぞれの池の中央部の位置を秒の単位で読み取り、池溏カタログに記録した。池は大きさも形も千差万別であり、秒以下の精度の読み取りは無意味なので、異なる池でも位置としては同じに表現せざるを得ないもの少なくない。
この池溏カタログの基本データを分布図作図プログラムKLIPS(金井1976、1979a)で読んで、他の位置を作図することができるようにした。池の大きさや形までは描くことはできないが、主な流路や木道も一緒に描くので、池単位の分布現象の概略を認識することができる。Fig.1.Aに、本報で用いる田代名とその記号を示す。Fig.1.Bに、すべての池溏の位置を示す。記録された池溏の数は1843であるが、位置座標の重複のために、図上では1103が描かれている。この程度のサイズでも、既に知られていることではあるが、池溏は流路沿いではなく、その間の高まりの上に分布していることが見てとれる。
尾瀬ケ原の総合学術調査はこれ迄に3回行われており、第2次、第3次については金井により池溏地図とカタログが作成されている(Kanai 1982、金井1998)。第1次については西条ら(1954)による部分的な記録があるが、調査の目的が異なるため、池溏カタログと整合性をもつデータは少ない。しかし継続的記録という観点から、そのデータもできる限りカタログに取り込んだ。
金井の調査の目的は、ヒツジグサ、オゼコウホネ、ミツガシワ、ジュンサイの水生植物4種の分布の変化を、長期的に記録することにあった。第2次と第3次では約16年の時間差があり、その間に認められた分布の消長は、金井(1998)に述べられているが、ここではヒツジグサとオゼコウホネについて、分布図作成ソフトを用いて図示説明する。
その前に、池溏があるからといって、ヒツジグサやオゼコウホネがどこにでも存在しているわけではない(Fig.2、3参照)。田代ごとに両種の存在する池溏の数と割合をTable.1に示す。これら植物の有無は、他の大きさや形にかかわらず、一株でも視認されれば「アル」として記録したものである。調査はすべての池溏に足を運んで行ったが、大きな池溏や輪郭が複雑な池溏では、せいぜい3箇所からの視認で判断しており、場所柄および時間の制約のため、丹念な調査はできなかった。ヒツジグサとオゼコウホネの浮葉による識別は、遠方からの視認ではきわめてまぎらわしく、見落としや誤認は避けられない。とくに水底に根出葉のみが存在する場合(そういうケースは稀ではない)には、判断に苦しむことが多い。したがってTable.1の数字は、かなり大ざっぱなものと考えるのがよい。
広窪田代(HI)は、第2次調査では調査していない。ヨシッポリ田代(YO)には、調査対象となる池溏が見られなかった。
〇ヒツジグサとオゼコウホネの分布状況
ヒツジグサ:分布を第2次調査と第3次調査について示す(Fig.2A、B)。下田代(KS、MS)には池溏は少なくないが、ヒツジグサをはじめ浮葉性水草の分布は極めて少ない。また山の鼻田代(YA)にもヒツジグサが少ないのは、隣接する上田代(KA)における、多さと比較して意外である。また猫又川の北側では、泉水田代(SS)には多産するのに、背中あぶり田代(SA)と東背中あぶり田代(HS)には全く産しない。広窪田代(HI)についても、ヒツジグサは認められなかった。
オゼコウホネ:分布を第2次調査と第3次調査について示す(Fig.3A、B)。上田代(KA)には比較的多く、西中田代(NN)西部、中田代(NA)、北下田代(KS)も散在する。猫又川の北側の背中あぶり田代(SA)には多く、東背中あぶり田代(HS)にもわずかに産する。泉水田代(SS)には認められない。広窪田代(HI)では1か所にのみ認められた。
〇分布の変動
Table.1に、同じ池溏で第2次調査で記されなかったが第3次調査ではその種が記録された場合を「進出」とし、その逆の場合を「消失」として池溏の数を数えた結果を示す。総計としては、ヒツジグサは進出数に対して消失数が約1/3である一方、オゼコウホネは逆に、進出数に対して消失数は約3倍に達している。とくに上田代(KA)での両種の交代は顕著である。
ヒツジグサの場合、Fig.2では量が多いため、第2次と第3次の間の変化ははっきりしない。そこでデータベースから進出と消失のデータのみを取り出してFig.4A、Bに示す。こうしてみると冒頭に述べた誤認の問題があるとしても、上田代におけるヒツジグサの進出が顕著に認められる。とくにその南西端において著しい。オゼコウホネではFig.3AとBを比較すると、中田代(NN、NA)と下田代(KS、MS)の分布にはさしたる変化はないが、上田代(KA)では減少が目につく。Fig.5A、Bに、進出と消失の状況を示す。ヒツジグサと対照的に、上田代における消失が著しいことがわかる。これらの結果、上田代において、ヒツジグサとオゼゴウホネが急速に交代していることが明らかになった。ただし調査時点が2点しかないため、この「進出」や「消失」がそういう方向性を持つものかどうかは、判断しかねる。
〇考察
原・水島(1954)は第1次調査報告で、「両者が同じ池に生えている事は稀である」としている。ついで原(1980)では「25年ぶりに尾瀬ケ原を調査して、私を一番おどろかせた変化は、オゼコウホネとヒツジグサとが一緒に生えている池が数多く見られたことであった。前回の研究報告書に明記されているように、当時この両種は住み分けているように見え、同じ池に両種がはえていることはきわめて稀で例外的と考えられていた…ところが現在では両種が一緒に生えている池は、中田代などではごく普通に見られるようになった」と記されている。また原(1981)でも「1970年頃までの調査ではオゼコウホネとヒツジグサとは別の池に生育し住み分けているように見られたが、今回の調査では両種がしばしば同一池の中に生育しているのが観察されたことは注目すべき変化である」と記している。同じことはHARA(1982)で “It is note-worthy that both plants are now growing often in mixture in the same pond especially in Kami-tashiro. ” と述べられている。原(1980)で「中田代」とあったものがHARA(1982)で「上田代」となったのは、原(1980)の現場での印象をKanai(1982)の原稿によって修正したためと思われる。
両種の住み分けから共存への経過を跡付けるため、両種が単独で見られる池溏と共存している池溏の数を第2次、第3次について調べた(Table.1 E、F)。しかし共存する池溏の増加は認められなかった。原が述べるような変化があったとすれば、第2次調査以前のことと考えられる。
分布の変遷を考察するとき、もっとも重要な条件は散布法である。オゼコウホネは熟果が水面で裂開して、スポンジ状の仮種皮に包まれた種子を水面に浮かべるが、仮種皮は数時間で溶けて種子は沈む(金井 1979b)。ヒツジグサの熟果は水中で裂け、同様な形態の種子を浮かばせるが、1日で沈む(中西 1994)。したがって止水性の池溏では、広域的な散布は期待できない。原(1980、1981)は「推測が許されるなら」と断ったうえ、果実の成熟期に大雨による溢水がおこる、というケースを想定している。しかしこれでは近距離はともかく、ドーム状の田代間の散布は考えにくい。
次に考えられるのは鳥散布である。輪郭の複雑な池溏では、指先状に突出した入江の一番奥にヒツジグサが生えている、という光景にしばしば出会う。その理由として、水鳥がこの入江を利用して上陸する際、体に付着した種子を落としてゆく、あるいは排泄物として種子を落とす、ということが考えられる。しかし鳥散布だとすると、原一面に方向性なく散布されると考えるのが自然だろう。猫又川の北側の背中あぶり田代(SA)、東背中あぶり田代(HS)にはオゼコウホネのみが分布し、すぐ対岸の上田代(KA)に多産するヒツジグサの進出は見られない。下の大堀の南側の広窪田代(HI)でも同様である。逆に泉水田代(SS)にはヒツジグサのみが豊富で、オゼコウホネは全くみられない。これらのことから、鳥散布と考えるには無理がある。
原・水島(1954)は長蔵小屋主人平野長英氏の談として、尾瀬沼ではヒツジグサは最近になって突然現れた、ということを伝えている。ヒツジグサやオゼコウホネの散布法については、今後研究すべき課題である。生育条件を含めてこれを解明することによって。分布の変遷についての説明がつけられるようになるだろう。
ヒツジグサの進出とオゼコウホネの消失は上田代(KA)で最も顕著である(Fig.4A、Fig.5B)。上田代は幅が狭く、尾瀬の訪問者が最も集中するところなので、「人為の影響」と疑われやすい。しかしながら上田代におけるヒツジグサとオゼコウホネの分布の変化は、総合調査の初期から気付かれてきたもので、現在のヒツジグサの進出は木道から最も遠い上田代の南西靖で顕著に起こっていることから見ても、直ちに「人為の影響」と考えるのは性急である。
ヒツジグサとオゼコウホネが共存した場合、オゼコウホネの衰退をまねくのではないかと考えた。第2次調査で両種が共存していた池溏104のうち、第3次調査でも両種が共存していた池磨は46、ヒツジグサのみが残ったものは54。オゼコウホネのみが残ったものは4、両種とも消失した池溏は0であった。このことから、オゼコウホネはヒツジグサとの競合では不利であると考えられる。もし将来、オゼゴウホネのみが産する背中あぶり田代ヘヒツジグサが進出することがあれば、次第にヒツジグサが取って代わることになると推測される。尾瀬沼の例から見ると、原因不明のそういう突然の進出の可能性は否定できない。
このような現象の追求には、世代を超えた継続調査と、それを可能にする記録手段の確立維持が必要である。それが整っていなかったために、原のいう「住み分け」と「共存」の変化をつかむことは、既に不可能になってしまった。また「自然保護」「景観保全」を目的とした移植も、われわれには察知できない進行中の自然の遷移にどういう影響を与えるかがわからないので、慎重に配慮せねばならない。このことは、現在行われている下田代やアヤメ平での人為破壊の修復事業に、疑念をはさむ意図は毛頭ないことをつけ加える。しかしながら、いわゆる「花ゲリラ」の行動は、とかく美談化されがちだが、尾瀬に限らず、最近話題になるブラックバスやブルーギルの確信犯的放流は、その最悪の例である(矢野2001)。こういう観点から制止の雰囲気を作る必要がある。
引用文献
原 寛 1980. 高等植物フロラの変化と追報. 尾瀬ケ原及び周辺地域の総合的調査研究-文部省科学研究費成果報告書:43‐15. 原 寛 1981. 尾瀬地方の高等植物フロラ. 生物科学33(4):169‐174. 原 寛、水島正美 1954. 尾瀬地方の高等植物フロラ. 尾瀬ケ原:401‐479. Hara H. 1982. Vascular plants of the Ozegahara moor and its surrounding districts. In Hara H. et al. (eds.). Ozegahara:123‐133. 金井弘夫 1976. 分布図の自動作図. 日本生物地理学会会報. 31(5):33‐40. 金井弘夫 1979b. オゼコウホネの種子散布. 植物研究雑誌54(1):27‐29. 金井弘夫 1998. 尾瀬ケ原の池溏地図と水生植物5種の分布消長. 377‐471 + 6 folded maps. 尾瀬総合学術調査団. Kanai H. 1982. Pool catalog and aquatic plant distribution in the Ozegahara moor. In Hara et al. (eds.), Ozegahara: 47‐74 + 5 folded maps. 宮脇昭、藤原一絵 1970. 尾瀬ケ原湿原植生図. 国立公園協会. 尾瀬ケ原の植生 中西弘樹 1994. 種子はひろがる. 平凡社. 東京. 西条八束ほか 1954. 尾瀬の陸水Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ. 瀬ケ原:110‐127. 矢野亮 2001. ギルとバスの密放流が生態系を撹乱. 国立科学博物館ニュース(390)28. [植物研究雑誌77(1):38-46(2002)]
Fig3は省略した。
元・国立科学博物館 金井弘夫 著
菊判 / 上製 / 904頁/ 定価15,715円(本体14,286+税)/ ISBN978-4-900358-62-1
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