日本の植物の起源や類縁関係を理解するためには、同じ祖先から出たとみられるアジア大陸東部に存在する近縁な植物の知識が必要である。ことに最近では、日本の植物はかなりよく調べられてきたので、大陸側の近縁植物を調査することがますます必要になってきている。
東京大学では、1960年春に第1次インド植物調査隊をシッキム・ヒマラヤに送り、このような立場から調査をおこなったが、1963年には第2次調査隊を送って、東部ヒマラヤの秋の植物を調査した。最近の国際情勢のため前回の地域に入るのが困難であったので、そのすぐ西隣のタムル川流域に入ることになった。隊員6人のうち、紅一点の黒沢幸子さんのほかは、第1次調査隊のメンバーである。先発の原寛隊長、金井、黒沢の3人は9月初旬に東京を出発し、手続きや交渉をおこなった後、10月13日にビラトナガルで後続の津山尚、村田源、冨樫誠と落ちあった。ネパール政府はわれわれの隊の性格を考慮して、王立植物園のウパディヤ氏をリエゾン・オフィサーにつけてくれた。
〇悪路に悩む採集行
10月16日、ビラトナガルをバスで出発し、ダランからは徒歩で、シェルパ9人、人夫約50人とともに2ヶ月の旅にかかった。われわれのとったコースのうち、ダランからワルンチュンゴラまでは、近年多くの日本隊が通過しており、コースに問題はないと聞いていたが、あいにく9月に大洪水があり、タプレジュン以北の川沿いの道路は全く破壊されてしまっていて、1日に何度となくけわしい上下をくり返しながら、足場の悪い仮設の道を歩かねばならなかった。橋もすっかり流されていて、両側から竹をさし出し、フジヅルでつないだV字型のつり橋をキモを冷やしながら渡らされた。ガケくずれを横断中に、落石にあい、リエゾン・オフィサーをはじめシェルパ数人が負傷したこともある。またイラムから南はジープが使えると思っていたのだが、行ってみたらそんな道路はなく、しかも行先の情報が不確実で、明日はジープに乗れると毎日あてにしながら、とうとうビラトナガルまで1週間歩かされてしまった。イラムからビラトナガルまで歩いたのは、日本人でははじめてであるし、ネパール人でもあまり多くはあるまい。彼らはイラムからダージリンに出て、インドの鉄道を利用するのが普通なのである。
われわれは秋の植物を採集するのが目的だったのだが、ビザの申請や入域のコースなどについて許可をもらうのに手間どり、予定が1ヶ月近く遅れ、高地では冬にかかってしまい、また10月、11月というのに季節はずれの雨に悩まされた。しかし幸い予期以上に豊富な植生にめぐまれて十分に現地で調査をおこなうことができ、約40,000点の種子植物のおしば(腊葉)標本をはじめ、多数の地衣、コケ、種子などを採集することができた。
一口に40,000点と言っても、人夫約30人分に当り、それも乾いた後でのことだから、採集したての重量はその数倍あり、いやがる人夫にこれを背負わせるのは毎朝ひと仕事だった。日中は手あたり次第採集して、幅50cm、長さ1mのポリ袋につめこむ。それがいっぱいになるとシェルパに背負わせてまた新しい袋に採集する。シェルパが背負いきれなくて、隊員もそれを背負わねばならぬほど採集したこともある。キャンプ地につくと、毎晩おそくまで標本の整理乾燥にあたった。用意した新聞紙の量は、半ページ大で積重ねて10mに達する。特別に作った金属製のプレートに標本をはさみ、炭火の上で加熱するので、早いものは半日で乾ききってしまう。こうしてできあがった標本は、別に人夫をやとって後送しておいた。日本へ送り返す荷造り包装を終ってみたら、大型トラック1台分あり、日本を出発する時より量がふえていた。採集コースは海抜200mから4,000mにわたり、亜熱帯から亜高山帯におよぶ。高山帯は時期的にも、日程の関係からも、ゆくことができなかった。
タムル川やカンカイ川下流はかなり湿潤で温度が高く、いろいろな種類の常緑広葉樹の密林であるが、少し土地が乾燥したところではサラソウジュの林が見られる。800m以上になるとSchima wallichii(ヒメツバキ)が多くなり、これにCastanopsis indicaが混じる。1,500m以上はCastanopsis hystrixやC. tribuloidesのシイ類のほか、ハイノキ科やクスノキ科の木本の暖帯常緑広葉樹林となり、2,300mくらいになるとQuercus pachyphylla、Q. lamellosa、Q. semecarpifolia、Q. glaucaなど、常緑カシ類が主となる。2,600m以上はシャクナゲ林で、Rhododendron arboreumの純林が続く。亜高山帯の針葉樹林はヒマラヤツガ(Tsuga dumosa)とヒマラヤモミ(Abies spectabilis)の2種からなり、2,700~2,800mでTsugaが現れ、3,000mを越すとAbies林となる。Tsuga林の下にはそれより一段下位のシャクナゲ林やカシ林の植物がまじっているが、Abies林ではそういうものはなく、Rhododendron barbatum、Rh. falconeri、Rh. hodgsoni、Juniperus、Betula utilisなどが一緒に生えている。
ヒマラヤには日本のブナ帯に当る落葉広葉樹林が欠けており、われわれの地域もその例外ではなかった。ただ、ところどころ特に尾根の北斜面のようなところではAcer(モミジ)、Betula(カバノキ)、Viburnum(オオカメノキ)、Sorbus(ウラジロノキ)のような落葉広葉樹がかなり広い面積を占めている。
特殊な植生としては、岩盤の露出した日当たりの良い斜面では、Schima−Castanopis帯ではサラソウジュ(Shorea robusta)、シイ−カシ帯ではQuercus incanaが生えている。マツの林は暖帯のやせ尾根の上や谷の出合いの突角地にみられた。バンドケバンジャンの東西に走る尾根筋は、遠望するとシャクナゲ林のようだが、実際はユズリハの森林におおわれており、奇異の感にうたれた。
森林の樹木は着生植物にビッシリとおおわれており、とくにセン(蘚)類、ラン、シダが豊富である。低い高度の所では植物の繁茂が目立った。秋から春にかけて雨はほとんど降らないが、霧がよくかかるので空中からの水分の供給がかなりあるらしい。ゴルワで経験したところでは、日が上って霧が晴れる際に、それが樹木の葉に凝結して木雨となり、30分ほど夕立のようにパラパラと降ってくるのだった。
〇ヒマラヤで見る段々畑
耕地についてみると、約2,200m以下はほとんど全部耕されているといってよい。作物の主なものはトウモロコシ、ジャガイモ、シコクビエ、ソバ、イネ、アブラナなどである。イネは約2,000m以下にみられ、急な山腹に階段状に作られた大小無数の水田は立体地図をみているような気がする。イネのできは日本とはくらべものにならず、熟しても穂が直立している。穀粒が非常に落ちやすく、稲束を3回ほど地面にたたきつけるだけで、きれいに脱穀がすんでしまう。そのかわり運搬中の脱粒がひどく、刈入れのすんだ水田には一面にモミが落ちている。
ヒマラヤの農民の畑作りの努力は、だれも感嘆させられるが、地味の悪くなった畑はそのまま放置されており、造林も全くおこなわれていないので、急速に侵食されていることが気にかかる。この地域が地すべり地帯であることを考えると、耕地の経営や森林の造成に適当な手を打つことは急務と思われる。われわれが至るところで出会った大地すべりも、適当な森林行政が行われればある程度防止できたであろう。
われわれは秋から冬にかけて旅行したわけであるが、日本での季節感とはだいぶん違った場面に出会い、めんくらわされた。11月なかばの3,000m附近では、毎朝真白に霜が降り、月はじめに降った雪が根雪となって残っている。日本ほどみごとではないが、紅葉もみられる。ところが1,500~2,000mでは12月のはじめなのに、日本なら早春に咲くツノハシバミの花がみられ、サクラやアブラナが満開である。水田にはトンボが飛んでイネの取入れの最中であり、ソバが花盛りで、シコクビエは取入れを待つばかり。夜になるとテントの周囲をホタルがとびまわり、草むらではクツワムシやキリギリスが鳴いている。美しい星空を人工衛星がとぶのもみえる。もっと低いところでは日ざしは真夏のよう、マラリヤ・カもずいぶんいる。われわれがいそがしく登ったり下ったりしたせいもあるが、日本とは季節の移り変わりの仕方が違うようにみえる。
〇調査成果の一端
われわれの採集品はまだ整理が始まったばかりであるが、特に注目すべき発見としては、Tetracentronとカワゴケソウ科を、ヒマラヤではじめて採集したことをあげられよう。
Tetracentronはカツラに近縁な1科1属1種の樹木で、双子葉植物の中で材に導管をもたない特異なものであり、きわめて古い起源をもつものと考えられている。これまでは中国中西部とビルマ最北部にしか知られていなかったが、われわれはこれをバンドケバンジャンと他1ヶ所で実のついた枝を採集した。冬で木の葉が落ちていたからこそ、遠くにある果穂を発見できたのだが、そうでなければとても採集はできなかったろう。中国からネファ、ブータン、シッキムをとびこえて東ネパールでみつかったので、今後この中間地域でも発見の可能性がある。ヒマラヤ植物と東部アジア温帯植物の関連を示す1つの重要な証拠である。
カワゴケソウ科はこれまでインド東部のアッサムで知られていたが、われわれはタプレジュン地区の2ヶ所でこれを発見した。この植物は浅い水流に洗われる石の上にへばりつく種子植物であるが、その形態は一見、タイ(苔)類を思わせる。アジアの南方地域に点々と分布しており、わが国でも九州の一部に産して天然記念物に指定されている。第1の産地はたんぼの灌漑(かんがい)用水が道床を洗っているところで、路上の石の上にビッシリとついていた。数人の隊員は気がつかずにその上を踏んでいってしまったが、後続のメンバーが発見した。ちょうどよい時期だったので、花も実もある標本をとることができた。
そのほか特異なものとしては、ヒナノシャクジョウ科、ツチトリモチ科、アキノギンリョウソウ属などの寄生植物を採集した。ヒナノシャクジョウ科の植物は、厚く積った落葉の中にはえ、真白で菌類のような感じのするものである。わが国にも数種を産するが、熱帯地方に多い。ツチトリモチ科は樹木の根に寄生し、小さな花をつけた太い穂状花序を地中からもち上げ、何とも珍妙な形をしている。われわれの採集品は数種類で、寄主はウルシ科、ブナ科などであった。雌雄異株であるが、雌株と雄株が下部でつながっている標本も得られた。われわれが苦労しながら見つけ出そうとしているところへ、土地の人が通りかかり、そのへんの土をかきまわすと、まだ小さい株がつぎつぎところがり出てきて驚かされた。アキノギンリョウソウ属は腐葉に寄生する植物で、日本でもギンリョウソウ属とともに山地でよくみられる。これらの両者はよく似ているが、アキノギンリョウソウ属は秋に開花して“さく果”を作り、ギンリョウソウ属は初夏に開花して“液果”を作る。1960年にわれわれはダージリンでギンリョウソウ属を採集している。
日本植物に近縁な植物はシイ・カシ林とシャクナゲ林の中に多い。アオキ、ハナイカダ、マツカゼソウ、ズダヤクシュ、ゲンノショウコ、キヅタ、ドクダミ、ウマノミツバ、タニソバ、キブシ、アセビ、ネジキ、ミヤマシキミなど、数えあげるには紙数が足りない。ズダヤクシュのように日本のものとどこも違わないものもあるが、たいていは少し異なっている。ハナイカダの実は日本では黒緑色であるが、ヒマラヤのは赤味をおびているし、ミヤマシキミは日本では赤い実をつけるのにヒマラヤのは黒い実をつけるといったふうである。
ヒマラヤといっても広大な地域なので、1度や2度の調査ではなかなか調べきるというわけにはいかない。何かの機会にヒマラヤに足を入れる方々があれば、少しでもよいから資料をもち帰ってくださるようにお願いする。
[科学朝日1964年6月号を加筆]
元・国立科学博物館 金井弘夫 著
菊判 / 上製 / 904頁/ 定価15,715円(本体14,286+税)/ ISBN978-4-900358-62-1
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