初代会長・毛藤勤治(農学博士)が調査・採種・育苗・植樹・寄贈活動に40年をかけた資源木「ユリノキ」の正体をとことん解明した一書。化石時代にさかのぼり、北米原産地調査3000キロ。栽培法・薬効・自然史やヒトとの関わりを綴った最詳のモノグラフであり博物記。全国植栽調査による所在地リストを収録し、話題となった。
『ユリノキという木』
アボック社 / 1989年 / 四六判 304頁
(本書あとがきより)
昭和三〇年代に岩手県が全県酪農の旗印をかかげ、乳牛の餌を生産する牧野づくりを進めましたが、この仕事の担当者の一人として県内の自然林約一万七千余へクタールの伐採にたずさわりました。
いかに役柄だったとはいえ、数千万本という膨大な数の山の木を伐り倒したことが、悔いとして残り、なんとかこれを償わなければという気持ちにかられてなりませんでした。
盛岡の人びとから「宮沢賢治の母校並木」とよばれこよなく愛されていた岩手大学旧正門前のユリノキ並木、また、同世代と思われるユリノキの大木が、盛岡市内のそこここに点在していたことに縁を感じ、償いの木はこれにしようと、ひとり勝手に決めました。
このあと、内外の文献集めとその通読、植栽の調査に平行して採種育苗の実験を進めましたが、発芽しない種子の多いユリノキの泣きどころの解決には、ほとほと手を焼きました。しかし、その間に実生した小苗数は一万一千余本となり、主に県内のユリノキのお好きな方々に乞われるままお分けできたので、いくぶん軽い気分にひたることができました。
しかし、数では大海に浮かぶ流木に等しいものです。だから、このうえは山地のブナ天然林を大事にするとともに、現在まだ残っている低地林の中の自然林を核として、多くの人々の理解と協力を得て、「不伐の森」を地域的に設け、ここを永遠の森、つまりエバーラステングなエターナルフォレストとして後世に残して行く、こうしたことに微力を尽くしたいと考えています。
さて、長いユリノキとのかかわり合いの間に、あるいは文献に目を通している合い間に、その都度、忘れないうちにと、まとめ書きを続けてきましたが、この間に教えられたもの、それは、「どんな種類の植物でも、ユリノキに勝るとも劣らない魅力に満ち満ちている」という事実でした。
ともあれ、このたび書き溜めしたものの中から選び出して六章にまとめたものがこの本ですが、 幸いなことに四手井綱英・村井貞允・指田豊諸先生から、ご専門の立場での玉稿を寄せていただきました。また、林学専門の戸沢俊治・八重樫良暉の両氏からは、数々の助言を得ました。さらに多くの先輩、畏友、知友の各位と学友からも数々のご指導と励ましを受けました。心から厚くお礼申し上げます。
次に内外参考文献ですが、余りにも多過ぎまして、紙数の都合もあって割愛させて載きました。著述者の方々のお許しをお願い致します。
最後に、編集と出版を引き受けたアボック社出版局の皆様、とくに編集担当の國分重男様、岡山恵美子さん、濱名厚宣さん、田島雅美さんのご苦労、まことにありがたく思います。
平成元年十月、盛岡にて
毛藤 勤治
毛藤勤治 著 / 四手井綱英・村井貞允・指田 豊・毛藤圀彦 寄稿
四六判 / 並製 / 304頁(カラー24頁) / 定価1,885円(本体1,714+税)/
ISBN4-900358-23-1
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