Ⅳ 熱帯花木関連の植物導入年表(江戸末期まで)
【観賞用草本以外の重要な経済植物を含む】 白井光太郎 : 日本博物学年表(1891) 白井光太郎 : 植物渡来考(1929) 日本学士院 : 明治前日本生物学史(日本科学史刊行会)新訂版(1980) 上野益三 : 薩摩博物学史(1982) 上野益三 : 年表日本博物学史(1989)
前300頃 西日本が縄文時代より弥生時代に移行、稲の栽培が九州より近畿に拡がるという 600 (推古8) 遣隋使を派遣する(最初の遣隋使) 616 (推古24) 桃李(カラモモ)実る(日本書紀) 630 明2 犬上御田鍬らを唐に派遣(第1次遣唐使) 653 白雉4 (第2次遣唐使) 654 白雉5 (第3次遣唐使) 659 斉明5 (第4次遣唐使) 665 天智4 (第5次遣唐使) 669 天智8 (第6次遣唐使) 702 大宝2 (第7次遣唐使) 717 霊亀3 (第8次遣唐使) 725 (神亀2) 唐より、はじめて甘子(柑子)〔カンキツの類〕が渡る(続日本紀)
これを植えて実を結ばせたという733 天平5 (第9次遣唐使) 752 天平勝宝4 (第10次遣唐使) 759 天平宝字3 (第11次遣唐使) 777 宝亀8 (第14次遣唐使) 779 宝亀10 (第15次遣唐使) 799 (延暦18) 崑崙人(コンロンジン)が三河国に漂着し、草綿(ワタ〕の種子を伝来。
諸国に播種させる804 (延暦23) (第16次遣唐使) 815 (弘仁6) 畿内ならびに近江・丹波・播磨の諸国に命じて茶を植えさせ、毎年それを献上させる 838 (承和5) (第17次遣唐使) 959 (天徳3) 橘樹〔タチバナ・日本中南部産〕1本を紫宸殿の坤(ヒツジサル:西南)
角に移植する1213 (建保1) 長春花(コウシンバラ、中国産)の歌(藤原定家、明月記) 1223 (貞応2) 芭蕉〔バショウ〕が開花(吾妻鏡巻26) 1284 (弘安7) 惟宗具俊(コレムネトモトシ)撰『本草色葉抄(ホンゾウイロヤショウ)』
(漢音による本草辞典、収載本草名は約600)成る1444 (文安1) 『下学集(カガクシュウ)』(漢和辞書、動植物名多く、室町時代の動植物の知識)成る 1489 (延徳1) 関白一条兼良(イチジョウカネラ)『尺素往来(セキソオウライ)』(庭上に植えるべき花木花草約80種、その他の雑草木を30種)その中には外国から来た植物たち、牡丹〔ボタン〕沈丁花〔ジンチョウゲ〕海棠花〔カイドウ〕桂花〔モクセイ〕柘榴花〔ザクロ〕芙蓉〔フヨウ〕槿花〔ムクゲ〕銀杏〔イチョウ〕などの樹木、蜀葵〔タチアオイ〕牽牛花〔アサガオ〕鳳仙花〔ホウセンカ〕鶏頭花〔ケイトウ〕のような草花、エキゾチックな姿の芭蕉〔バショウ〕もあるが、京都で越冬困難な種類は見あたらない 1570 (元亀1) この頃、織田信長は伊吹山に薬園を拓かせ、西洋薬草3000種を移植したと伝える(南蛮寺荒廃記)。欧州植物を我が国に移植した始まり 1576 (天正4) 南京芋(ジャガイモ)が長崎に渡来したという 1579 (天正7) 西瓜・南瓜の種子渡来、また玉蜀黍もこの年渡来という 1592 (文禄1) ~文禄年中に綿の種子が来る〔朝鮮から?〕(大和本草) 1596 (慶長1) 薩摩国指宿で初めて煙草の栽培 1599 (慶長4) 南蛮人により長崎に煙草の種子を輸入し栽培するという(1605参照) 1599 (慶長4) 西瓜来る 1605 (慶長10) 蕃椒および南瓜渡来(増訂武江年表、小石川植物園草木目録) 1605 (慶長10) 南蛮人(ポルトガル人)により煙草が長崎に渡り、長崎で栽培、喫煙の風広がる 1605 (慶長10) 野国総管、中国より甘藷苗を琉球に持ち帰る 1609 (慶長14) 島津家久は琉球を攻略、琉球国王尚寧を捕虜.琉球従軍の肝付兼篤はメヒルギを持ち帰り喜入〔キイレ〕海岸に植えたと伝う(現在の天然記念物) 1610 (慶長15) 奄美大島の直川智(スナオカワチ)は甘蔗苗を中国福州より持ち帰り栽培、黒糖をつくる。大島製糖の始め 1611 (慶長16) 琉球駐留の薩摩軍の帰還に際して、琉球王は甘藷を土産として贈る 1614 (慶長19) 島津家久は琉球産の佛桑花(ブッソウゲ)及び茉莉花(モウリンカ・マツリカ)を徳川家康に献ず 1627 (寛永4) 琉球より西瓜の種子薩摩へ渡来(増訂武江年表) 1634 (寛永11) カボチャ・アサガオ・マルメロがこの年長崎に渡来、この頃無花果(イチジク)も(大和本草) 1645 (正保2) 散丹花 サンタンクワ(柵檀花・三段花)が琉球より薩摩に渡来
このほか正保年間の渡来植物は、南京梅(臘梅)、琉球躑躅、茶蘭、シュロチク、摩訶曼珠 マカマンジュ(金燈草)、風車(カザグルマ)、玫瑰 ハマナス、らうさ〔バラ〕、霧島つつじ(薩州)、蓮玉(レダマ)、あんじやべる(オランダセキチク)の類、菊5種(酔楊妃、御愛、玉牡丹、鵝毛、太白)など(地錦抄附録)1646 (正保3) 南京梅、即ち蝋梅(ロウバイ)が中国より渡来 1659 (万治2) 薩摩藩は山川に竜眼山をつくり、竜眼〔リュウガン〕、茘枝〔レイシ〕、巴豆〔ハズ〕、枳殻〔キコク〕、橄欖〔カンラン〕その他の薬草木を植える。山川薬園の始まり 1661 (寛文1) 鉄線花(テツセン)中国より渡来。この年から寛文2年までの間 1668 (寛文8) この頃(寛文年中)扶桑花(佛桑花)、黒船つつじ、あらせいたう、唐つつじ、てつせん、大きり嶋、おらんだ石竹など長崎に渡来(地錦抄附録) 1673 (延寶1) 延宝年中に唐桐(緋桐)、わたらゆり(対馬)、玉蘭花(大山蓮花)、ゑにすだ、袂百合草、朝鮮笠百合、唐椿、朝鮮椿、柊椿、倉仙翁花など渡来(地錦抄附録) 1680 (延寶8) 長崎奉行、唐船持ち渡り薬草木植栽のため御薬園を開く 1681 (天和1) 水野元勝『花壇綱目』(初の花卉園芸書)刊、中に黄梅〔オウバイ〕の記載 1681 (天和1) 投化僧心越、江戸に来る。この時、肉桂の苗を携え来たり、小石川ほかに植える 1684 (貞享1) この頃、美人蕉、千日紅、岩石蘭、るかう〔ルコウソウ〕、柊南天、みんげんさう(カウワウ草)、曼陀羅花(朝鮮朝がほ)など輸入される(地錦抄附録) 1687 (貞享4) 大隅国肝属の佐多・伊座敷に竜眼樹植場を設け、龍眼山と称し、竜眼、荔枝、赤鉄、蒲桃(フトモモ)、ハナシンボウギ〔ミカン科〕、枳殻などを植栽(薩摩藩佐多薬園の前身) 1692 (元禄5) 伊藤伊兵衛(三代目)『錦繍枕(キンシュウマクラ)』(園芸植物の図説書)刊 1693 (元禄6) この頃、天竺蓮花、木欒子(モクゲンシ)、椿樹(キャンチンチャンチン〕)、雪持草など来る(地錦抄附録) 1693 (元禄6) この頃、阿蘭陀船で占城稲(タイトウマイ・赤米 アカゴメ)が舶来、九州の所々で試植す 1695 (元禄8) 伊藤伊兵衛(三代目)『花壇地錦抄』(園芸植物の種類、培養法を著述)刊 1696 (元禄9) 宮崎安貞『農業全書』(江戸時代を通じ最高の農書)(稿)成る(97刊) 1698 (元禄11) 貝原篤信(益軒)編録『花譜(カフ)』刊〔稿は1694(元禄7)成る〕 1698 (元禄11) 琉球王尚貞は甘藷一籠を種子島領主久基に贈る。よって、それを同島に植えさす 1705 (宝永2) 薩摩国頴娃郡の漁師利右衛門は琉球より甘藷を持ち帰り、植えひろめる 1706 (宝永3) この頃、落花生、珊瑚菜、立泉花(リウセンクワ)、諸葛菜(ショカツナ)が来る(地錦抄附録) 1709 (宝永6) 貝原益軒(篤信)『大和本草』刊 1710 (宝永7) 伊藤伊兵衛(四代目)『増補地錦抄』刊 1712 (正徳2) 松岡恕庵ほか、京都泉涌寺悲田院に佛桑花を観る 1713 (正徳3) 寺島良安『和漢三才圖會』1~105巻、計81冊(本邦最初の百科辞典)刊
香木類56項目、喬木類67項目、灌木類90項目、寓木類23項目、五果類13項目、山果類46項目他山草類、芳草類、毒草類、水草など合計約1067項目に達す1715 (正徳5) 貝原篤信『大和本草諸品図』『大和本草附録』刊 1716 (享保1) 享保年間に欝金〔ウコン〕が渡来 1719 (享保4) 伊藤伊兵衛(四代目)『広益地錦抄』〔園芸書〕刊 1720 (享保5) オランダ船によりビンロウジュが長崎に渡来 1722 (享保7) 常山〔ユキノシタ科で中国南部産の低木・根を解熱剤〕の生植物、長崎に渡来 1722 (享保7) 清商、東京肉桂苗を輸入 1723 (享保8) 時計草、蘭舶により長崎に渡来 1723 (享保8) 仏桑花、琉球より渡来 1723 (享保8) 竜眼樹2株長崎に渡来 1724 (享保9) 中国よりはじめて貝母(バイモ)の生植物が舶来 1724 (享保9) 南京柘榴(朝鮮ざくろ)、この頃唐楓(タウカイデ〔トウカエデ?〕)・甘蔗(サタウ)来る(地錦抄附録) 1725 (享保10) 駿府に久能山御薬園を設ける。人参ほか、草果、枳殻、使君子、烏薬、烏臼木(ナンキンハゼ)、東京肉桂〔トンキンニッケイ〕、竜眼樹など 1725 (享保10) 和蘭船、椰子苗30余株を舶載。幕府命じて、伊豆諸島・駿河にわかち植栽させる 1727 (享保12) この年、将軍吉宗甘蔗の苗を琉球より取り寄せ江戸に試植させ、各地に分かつ 1727 (享保12) 中国原産の覆盆子(トックリイチゴ)、漢種酸漿〔ホウズキ〕など渡来 1733 (享保18) 伊藤伊兵衛『地錦抄附録』刊 1733 (享保18) この頃、支那より木香花〔モッコウバラ〕及び御柳〔ギョリュウ〕を輸入 1734 (享保19) 青木文蔵(昆陽)、小石川薬園と養生所計333坪で翌年にかけて甘藷の試作し成功 1735 (享保20) 朝比奈某は唐室(トウムロ)を考案して、舶来の草木を養う 1736 (元文1) 薩摩藩主島津吉貴は琉球に江南竹の株を求め、2株来て鹿児島の磯庭園内に植う。1779(安永8)江戸高輪の島津藩邸内に分植す。後、孟宗竹と命名。のち全国に拡がる 1751 (寶暦1) 津島恒之進、毎年京都より浪華に降り、本草会と催す。後の物産会の始まりで、江戸でのこの種の催しの先駆となる。 1757 (寶暦7) 松岡玄達(怡顔斎)『怡顔斎櫻品』(櫻の品種別図説、琉球産のカンヒザクラがある)刊 1759 (寶暦9) 漢種の橄欖〔カンラン〕の種が伝わって播く「甚だ寒さを畏れる」とあり(物類品騭) 1759 (寶暦9) 咬唱吧〔ジャガタラ〕種の印度木綿樹一名斑枝花(カポックノキ?)の種子、蘭人がもたらす。発芽するも冬に枯死 1763 (寶暦13) 平賀国倫(源内)『物類品騭(ブツルイヒンシツ)』(寶暦7年以降四次の物産会の品目解説)〔長崎の唐人寺宗福寺の橄欖〔カンランは株が大きくて実を結ぶという〕刊 1765 (明和2) 島田充房・小野蘭山『花彙』(葉の裏面を黒くするなど、立体感のある独創的な描法の植物学的な図説で、クチナシ、サンタンカなど多数)刊(1759~) 1770 (明和7) 田村元雄(藍水)『琉球産物志』(邦人による最初の琉球植物誌)刊 1770 (明和7) 和蘭の商船、阿勃勒(ナンバンサイカシ)〔ナンバンサイカチ〕を輸入す(動植眞象) 1781 (天明1) 薩摩藩薬園署『質問本草』8巻、付録1巻をつくる 1784 (天明4) 報歳蘭〔ホウサイラン〕が琉球より薩摩に渡来 1785 (天明5) 黄枇(ワンピ)が琉球より薩摩に渡来 1790 (寛政2) 巴豆(ハズ)の生本1株、琉球人、中国・福建より薩摩に、佐多薬園に移植(1827年に実る) 1795 (寛政7) ジャガタラグリ初めて来る。カクワクトという(木略) 1800 (寛政12) オランダ船、はじめて番紅花(インヂアサフラン)を舶載渡来 1800 (寛政12) 佐藤成裕『流虬百花譜(リュウキュウヒャッカフ)』成る 1800 (寛政12) 手佛手柑〔ブッシュカン〕渡来 1802 (享和2) リュウキュウソケイ、琉球より薩摩に渡来 1804 (文化1) 春、江戸墨田川の東に百花園を開く、多くの花卉草木を収集 1804 (文化1) 曾槃・白尾国柱ら『成形図説』刻成る(薩摩藩) 1807 (文化4) 和蘭舶、檳榔樹の生木、高三四尺のものを載来、東都に輸して、将軍に供覧
両三年で丈余になるも文化6年の冬、寒威常に倍したため遂に枯死1809 (文化6) 水谷豊文『物品識名』刊 1812 (文化9) ヘンルーダ〔南ヨーロッパ産の香草〕が渡来 1814 (文化11) 躋壽館薬品会の陳列盆中に、玉蘭〔ギンコウボク?〕、地湧金蓮〔エンセテ・バショウ科?〕、地楡〔ワレモコウ〕の一種ピンプルネル〔ヒンブルネルレ・胡蒼耳(物品識名)〕などがある 1814 (文化11) 蠻舶セイベボームを載来 1814 (文化11) 蘭舶、黄水仙を将来 1815 (文化12) 清国の商船、沈香の活本一株を載せ来る。二尺ばかり、これを官に上り培養させる 1816 (文化13) ムラサキオモトが琉球から薩摩にはじめて渡来。ヒモゲイトウはじめて植えられる 1818 (文政1) 幕府、大槻玄沢、宇田川榛斎両人の建言により、オランダより薬草60種を盆植として取り寄せ、カミルレ・オランダハッカなど 1819 (文政2) 素馨〔ソケイ〕清船が載せ渡来(百品考) 1822 (文政5) モクセイソウ、蘭舶によって渡来 1823 (文政6) 琉球より不灰木 渡来(一名阿咀泥〔アダン〕一名鳳梨 和名エラン、モクアダン)の生木を輸入(十品考) 1825 (文政8) 水谷豊文『物品識名拾遺』(『物品識名』と合わせて4冊約4000の和漢名を所載)刊 1827 (文政10) 佐橋節翁榼藤子〔モダマ〕の新鮮種子を長崎より得て下種、秋に発生し盛んに成長する 1827 (文政10) 中国福建の連紅県産、巴豆〔ハズ〕が薩摩に渡来し佐多に植えたものが結実し繁殖 1828 (文政11) ダンドク(甘那印地加〔カンナ・インデカ〕)渡来 1828 (文政11) 屋代通賢『通賢花壇抄』(花壇草木の植え方・出所)刊 1828 (文政11) 岩崎常正(灌園)『本草図譜』(日本最初の一大彩色植物図説・およそ2000種)成る 1829 (文政12) 設楽貞丈『蒲桃図説(ホトウズセツ)』(フトモモの彎枝法による結実した顛末を記述)刊 1829 (文政12) 伊藤圭介『泰西本草名疏』(ツュンベリーの『日本植物誌』により、アルファベット順にラテン名(学名)と、それに対応する和名を列記)刊 1830 (天保1) この頃、莪述〔ガジュツ〕、カカヤンバラ導入 1830 (天保1) 宇田川榛斎『新訂増補和蘭薬鏡』(植物132種、幾那(キナ)、番木鼈(マチン)、血竭(キリンケツ)などの熱帯植物の新知識)刊 1830 (天保1) 岩崎常正(灌園)『本草図譜』全96巻刊行開始(1844完結) 1830 (天保1) 蘭舶により含羞草、知羞草〔オジギソウ・ネムリグサ〕が渡来、1841(天保12)にも輸入す 1830 (天保1) 琉球より、ムラサキオモトを輸入 1831 (天保2) キズイセン、蘭舶によって長崎に渡来 1831 (天保2) 曾槃(占春)『成形図説』(1829年の大火で喪失、再度編集し島津藩主に上進)成る 1837 (天保8) 琉球、呉継志(呉子善)『質問本草』(南西諸島の植物誌、160種)刊 1838 (天保9) 山本世孺(亡羊)『百品考』刊 1842 (天保13) この年オランダ人、天竺牡丹(ダリア)、キズイセン、イランダセンニチを持ち来る 1843 (天保14) 洋舶持ち渡る薬草培植の土箱に番海芋(カラー)、ハナカタバミ渡来 1843 (天保14) 島田雍南、小野蘭山共著、山本亡羊校『(新校正)花彙』刊 1844 (天保15) 蠻国より丁香樹と称するもの舶来、長崎で枯死〔チョウジ?〕(重訂本草綱目啓蒙) 1844 (弘化1) 馬場仲達(大助)『舶上花譜』(舶来植物:ラノンケル 天竺牡丹、知羞草〔オジギソウ〕蔓絲 タウワタ、ヲキサリス、胡椒、ヒハツ、ハルシヤギク、イリオモテラン、セリヤアン(阿蘭陀寒菊)、ビデンス、カカヤンバラ、ヨランダスイセン、ガブヂコリス(スイセンアヤメ)、蕃鬱金〔バンウコン〕、ノウゼンハレン、オランダヒルガホ(メコアカン)、アナナス、リベスリユプラム〔スグリ〕、カカヤンナツメ〔インドナツメ?、ナツメヤシ?〕、金鳳〔オウゴチョウ?〕、金合歓〔キンゴウカン〕、巴豆〔ハズ〕、竜眼〔リュウガン〕、茘枝〔レイシ〕24種図説)を著す 1845 (弘化2) 異域草木を京都の医学院に会す。全て盆栽で200種(下記はその代表種) 醋甲 琉球産 文化中舶来 〔サッコウフジ〕 紫檀 漢産 享保中舶来 〔シタン〕 キリイチー 琉種 即シロツブ 〔シロツブ・西表産マメ科〕 橄欖 琉種 〔カンラン〕 金絲桃 琉種 〔テンニンカ〕 ガツマル 漢種 榕の一種 〔ガジュマル〕 番石榴 琉種 〔バンジロウ〕 ハナタチバナ 琉種 蕃鬱金 和蘭産 天保中来 〔バンウコン〕 杪欏 琉産 〔ヘゴ〕 觀音竹 琉産 〔カンノンチク〕 省藤 琉産 〔トウ〕 使君子 漢種 枳穀 〔キコク、カラタチではない〕 酔芙蓉 〔スイフヨウ〕 蓬莪蒁 享保中 〔ガジュツ〕 甘蔗 享保中 〔サトウキビ〕 美人蕉 琉種 天和貞享の頃 〔ビジンショウ、ヒメバショウ〕 草蘆薈 〔アロエ・サポナリアまたはアロエ・ヴェラ〕 芭蕉 〔バショウ〕 鳳尾蕉 〔ソテツ〕 番繍球 〔オオデマリの一種〕 朱蕉 寛政中 〔センネンボク〕 仙人掌 正保中 〔ウチワサボテン〕 夜落金銭 〔ゴジカ・アオギリ科〕 丁香茄 〔ハリアサガオ?〕 ハシカン 文化中 〔ハシカンボク〕 曇華 〔ダンドク〕 佛手柑 〔ブッシュカン〕 蒲葵 〔ビロウ〕 シュロチク 素馨 〔ソケイ〕 扶桑花 〔ブッソウゲ〕 金木蘭 即黄の扶桑花 〔ブッソウゲの黄花〕 賣子木 〔サンダンカ、サンタンカ〕 龍骨木 〔キリンカク〕 榕樹 〔アコウ〕 日々有 〔ニチニチソウ〕 蒲桃 〔フトモモ〕 クロツグ 茉莉 宝暦中 〔マツリカ〕 夾竹桃 寛政中 〔キョウチクトウ〕 野牡丹 〔ノボタン〕 木豆 文政中 〔キマメ〕 コヲリンクワ 文化中 〔コウリンカ、サワギクの一種〕 赬桐 延寶中 〔ヒギリ〕 ほか 1845 (弘化2) 蘭舶、長崎に鳳梨(アナナス)の生本を舶載(拾品考) 1846 (弘化3) 洋舶、大葉栴那(センナ)を長崎に舶載、高さ七尺ばかり(拾品考) 1847 (弘化4) 小野蘭山『重訂本草綱目啓蒙』刊 1848 (嘉永1) 洋舶で、丁香、肉荳蔲〔ニクズク〕、檳郷〔ビンロウ〕、肉桂〔ニッケイ〕、椰子〔ココヤシ〕、ヒハツなどの生本が長崎に渡来 1849 (嘉永2) オランダ人、ハリナスビ(苦茄)の種子を舶来(百品考) 1850 (嘉永3) 野田青葭著、石崎融済図『拾品考』(長崎へ舶来した植物生本またはその種子から育てた生本の図・解説:藤蔓生相思子〔ツルトウアズキ〕鳳梨〔アナナス〕金毛狗背〔キンモウオオカグマ〕番海芋〔カラー〕多麻林度〔タマリンド〕丁香樹〔チョウジ〕肉荳蔲樹〔ニクズク〕蛮産山慈姑〔アマナの一種?〕大葉栴那〔オオバセンナ〕紅豆樹〔トウアズキ〕の10種)刊 1853 (嘉永6) 山本亡羊『百品考』刊 1856 (安政3) 飯沼慾斎『草木図説』(草部20巻)刊行開始(木部は出版されず写本) 1858 (安政5) 紅毛本国の種子、シキサンテユス(シザンサス?)、テンネボーム(カシユフリナ)〔モクマオウ〕、ラーヂデユツブレ、ウイテフラシヤの4種、長崎へ渡来 1859 (安政6) 咬𠺕吧葵〔ジャガタラアオイ〕(黄蜀葵の一種 花紅色単瓣)、ホルテユラガ・ガランデフルール〔マツバボタン〕、シムニアエレガント、長崎より和歌山に来る 1860 (万延元) 英国の園芸家フォーチュン来日、植物の生品や種子を集めて帰った。その際江戸染井の植木屋でサボテン、アロエ、フクシアなどを見る。『江戸と北京』1863三宅馨訳 1862 (文久2) 飯沼慾斎『草木図説』(草部20巻)刊行完了 1863 (文久3) 物産所で仏国産の蔬菜・樹木の種子を播く、中に擬合歓(アカシヤ)、また米国よりの花草、露国より穀菜の種子を導入。また、米国より曼陀羅華〔マンダラゲ・チョウセンアサガオ〕の異種、南瓜、蓖麻〔トウゴマ・ヒマ〕の異種が舶来 1863 (文久3) 小葉阿利韈〔オリーブ?〕持ち来る。また、文久年間にルリヤナギが琉球より来るという
坂嵜信之 編著
尾崎 章・香月茂樹・清水秀男・橋本梧郎・花城良廣・毛藤圀彦 共著
B5判 / 上製 / 1,224頁 / 定価64,900円(本体59,000+税)/ ISBN4-900358-44-4
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