四、横山苗木について
○造林の先駆者・横山八郎
太平洋戦争終結後のわが国の林業は、戦争による国内樹の極端な乱伐を回復しようと、一も二もなくただスギ、マツとくにカラマツの人工造林の需要一辺倒で進められ、林業関係の研究のいっさいは針葉樹に関するもので、広葉樹の試験研究に目を向ける研究マンは、ほとんどいなかった。林業関係者の会議などで、広葉樹の将来性の話題を提出しようものなら、異端者として白眼視された。
このような中で、岩手県林業試験場横山八郎育林部長は、昭和二七年ごろから他をはばかることなく、農家の作目としては、クリ、クルミ、ウルシなど、肥料木としては飼料用の樹木としてトゲナシニセアカシア、ヤマハギ、イタチハギなどを、また用材樹としては、今まで雑木として見すてていた国内樹に加えて外国樹をもとり入れた育苗試験に情熱を燃やし、研究に精進していた。
とくに、外国樹の中ではユリノキに着目し、育苗試験を進める一方、生産された苗木で当時金ヶ崎町にあった六原試験地に約六〇本の小林分を作り、残った苗木は、望まれるまま、処分した。東北農業試験場の並木(昭和五五年ごろに皆伐)、県畜産試験場養鶏部鶏舎の周縁の庇陰樹や、住田町、石鳥谷町、野田村の各役場の風致木として用いられたユリノキ苗木は、いずれも横山部長が育てた、いわゆる横山苗木だった。
昭和三二年、北海道は美唄市に道立林木育種場を新設し、初代場長として横山を迎えたいといってきた。横山は岩手県を去るに当って、試験場の入口の右手に約二〇本のユリノキ苗を並木状に植え、その背後に、さらに窒素を固定する根瘤菌を根にもつニセアカシアを肥料木として植栽して置きみやげとした。
その年の六月、妻子を伴って津軽海峡を渡ったが、手荷物の一つに、岩手で愛情をこめて育てたユリノキの苗木五本があった。
美唄の育種場に着任して、まっさきに手がけたのは、風当たりの最も強い構内の道路に沿って防風を兼ねた並木の設置であった。横山場長は、前任地の岩手から持参したユリノキの苗木を他の樹苗とともにそこに植栽した。
真冬の寒風はこの風衝地を吹き荒れたが、お互いに力を出しながら保護し合って、どの苗木も北海道の大地に根をおろした。
翌春、かつての部下、今は、県六原農場に勤務中の斎藤昌に「北海道に来ないか」と呼びかけ、技師に昇格させて、林木育種場育種研究室長として招じ入れ、試験の整備に全力を注いだ。
三年をかけて全整備を終え、直ちに斎藤室長とコンビを組んで本格的な研究に取りかかった。翌年に、北海道は林木育種場を格上げして道立林業試験場に改め、初代場長として横山八郎を起用した。しかし、やがて重なる研究の疲労がわざわいし、病床にふす身となった。
横山は、自ら不治の病と知ると、斎藤を枕頭に呼んで場の後事を託し、「岩手で育てたユリノキは私の形見の木になるだろう。撫育を頼む」と、手をかたくにぎりしめた。
このあと、時を経ず横山は、日本列島北限の地に彼の手で育てたユリノキの苗木五本を残し、この世を旅立った。
○小泉苗木を継いだ横山苗木
横山場長が世を去ってすでに約二〇年以上の年月が流れ去った。私は斎藤氏にその後のユリノキの生育の状況を問い合せたところ、昭和五五年二月五日付で返信があった。その便りは、つぎのような観察結果に模式図を添えたまことに丁重なものだった。
恩師横山場長が植えた五本のユリノキは、植栽当初、寒風の被害をいくらか受けましたが、今では生育は比較的良好です。その内の二本のユリノキは、風衝地に面しているので、枝折れなどによって樹形が不整です。他の二本は六月中旬から七月中旬にかけて開花しますが、結実するのはその一本だけです。しかし、ほとんど粃(しいな)で、充実した実をつけるのは、まだこの先のようです。残る一本はまだ一度も花をつけたことはありません。樹高は平均で七・二メートル、幹は胸高直径で平均二七センチメートルです。樹齢の割合に幹が太く樹高も小さいのでズングリした樹形を示しています。
小泉多三郎が大正中期に小泉苗木を、そのあとほぼ四〇年を過ぎた昭和三〇年代の初期に横山八郎による横山苗木が岩手県の各所に植栽された。
しかし、その全部がそのまま成木となってはいない。植物の静的な宿命にしたがい、人間の意のなすまま、あるいは自然の脅威のはずみをうけて、伐採されたものが少なくない。例えば小泉苗木では、南部藩主別邸(過湿と風害)、葛西荘(建設用地となり伐採)、三田家別邸(工事による断根と地下水の切断)、南昌荘、武田家庭園、一ノ倉家庭園、小野慶邸庭園(建築用地)、岩手大学並木(台風による一本の倒木がはずみとなって全株伐採)などは、今はその容姿を見ることができないし、また横山苗木も、東北農業試験場の四七本並木(桜好みの場長により皆伐)、県六原試験場の八七本小林分(用地の他利用のため皆伐)などはその姿を今に残していない。
この上は、たとえ一株でもよい。小泉、横山両氏がユリノキ苗木に注いだ情熱を、そのままうけついで保育して行くことこそ、後世の人びとの果たすべき務めではないだろうか。
毛藤勤治 著 / 四手井綱英・村井貞允・指田 豊・毛藤圀彦 寄稿
四六判 / 並製 / 304頁(カラー24頁) / 定価1,885円(本体1,714+税)/
ISBN4-900358-23-1
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