三、世界の国のユリノキ事情
○ユリノキ苗木の量産法
ユリノキの種子は、ほとんど粃(しいな)である。たまたま実子が入っていても、翌春まで置くと老化と固化が進んで、まったく発芽しなくなる。
とはいっても、秋に落下した種子が、よい条件に恵まれて翌春に発芽した場合でも、芽生えの時期が遅いため、まわりの雑草や低木に被圧されてほとんどが苗として育たない。そのうちに、立ち枯れ病に侵されたり、夜盗虫などに幼い茎を噛みちぎられたりして、消えうせてしまう。一般の家庭の園芸で、庭先の草木から種子をとり苗を育てる容易さにくらべて、とてもとてもである。
いまから一五年以上も前に、岩手県文化財保護委員会の瀬川経郎氏から電話が入り、「知人からユリノキの苗木取り扱い業者の照会があったので、教えてやってほしい」との依頼があった。
そのとき、私のユリノキの苗は、いずれも試験の途中のものだけだったので、種苗の町といわれる埼玉県川口市安行の種苗業者のカタログから、大苗(三・六メートルもの二万五〇〇〇円)、中苗 (一・三メートルもの七〇〇〇円)、小苗(〇・五メートルもの二五〇〇円)を売り出している数店を拾って、表示価格とともにお知らせした。
しばらくして、その方から「どの業者も小苗や中苗は品切れ、大苗ならあるんですが、私には手がとどかない値段なので、見合わせることにしました」と知らせてきた。
畳二枚ほどの広さの苗畑から、うまくいって数十本のユリノキ苗しか生産できないとなれば、三メートル以上に育てて、よい価格で街路樹用として買ってくれるお役所に納めるのが確実と、業者が算盤をはじくのは当然だろう。
このような事情もあって、これまでユリノキは一般に普及せず、珍しい木の仲間に入れられてきたように思う。挿し木ができないうえ、接ぎ木用の台木が不足している。ユリノキを増やすためには、実生に頼る以外に方法はない。
○種子のカーペット
まず、ユリノキの種子の翼を除くことを考えた。つぎに除翼した種子を、すき間なく苗畑に播いたときの一平方メートルあたりの種子量を計算してみた。
数字のうえで、除翼種子二万二〇〇〇粒(重さ八〇〇グラム)と出た。しかし、この粒数では、予測される発芽密度が四五平方センチメートルと非常に低い。目標の「一五平方センチメートルに一本立て」という密度を得るには、三つ重ねの播種……これが答えであった。
ものは試し、と基礎試験にとりかかった。苗畑の試験区は、種子を播くというよりも敷きつめるといった状態になった。作業を終えてから、あらためて我ながら驚きもし、いかに試験とはいえ、あきれたことよ、と思わず苦笑したものだった。
びっしりと敷き並べたように苗畑への播種を終えたあと、期待感や好奇心とともに、カビの発生による腐敗の不安が重なって、翌春までの待つ間の長かったこと……………。これは、私の生まれてはじめての経験だった。
いよいよ五月となり、発芽の予定日が近い。
時もよし、五月五日の端午の節句がユリノキの初発芽の日で、そのあと、出るわ出るわ……。七月上旬の発芽終期までのあいだに、苗の発生密度は計算どおり、ほぼ一二平方センチメートルに一本という割合を示した。
これに自信を得て、その年の秋から本試験を繰り返した。その結果を、林学会に発表する原稿としてまとめあげた時点で、二、三人のその道の人に目を通してもらった。
そのひとりから「マッチ箱くらいの苗畑面積から一本のユリノキ苗が生産できることは、とても画期的な技術開発だが、これが公表されれば、市価の崩壊につながり、種苗業者から苦情百出のおそれがある」との忠告をうけ、私は憮然とした。
……というのは、遠く昭和八年のことだが、『油浸による米穀の生化学的性質に関する研究』を私かまとめあげたとき、当時の農林省から〈米穀検査員不要論にかかわるおそれあり〉との理由で草稿を没収され、ついに陽の目を見なかったことがふと思い返されたからでもあった。
しかし往時とは異なって、私のユリノキ実生苗の試験結果は、学会誌上に公表された。
数力月も経ないで川口局の消印のある手紙が届いた。先輩の予言どおりの苦情引受所となったのかと、手紙が数通になったころあいを見計らって、開封した。
その内容は、ほぼ共通しており、つぎのようなものであった。
- 苗畑の使用面積が、いままでの一〇分の一に節約できるすばらしい育苗技術である。
- 大量生産の可能なことから、薄利多売の営業方針によく合致する。
- いままでと違って小苗・中苗を安価に出荷でき、顧客にサービスができるばかりでなく、資金の回転が速くて企業的にも有利である。
そうか、そうだったのか……と、なかば啞然とするとともに、また、心から安堵もした。そして、ビジネスには根っから疎い自分を顧みて自嘲した。
そうか、そうだったのか……「苦言がでるぞ」と忠告してくれた先輩に悪いが、このときの種苗業者からの手紙は、いまだに告げずにソッとしている。○樹下採苗
マッチの小箱ほどの面積にユリノキ一本という割合の苗立ちは、一平方メートル当たりに約八〇〇本、一坪では二六〇〇本余りとなる。この苗数を得ようとするためには、一坪当たり七・八キログラムの脱翼種子が必要で、その数は、なんと一万七〇〇〇粒余りになる。
さて、実際に、こんな多量の種子をどのようにして集めるかは、難事中の難事であった。
だが私は、岩予大学農学部の附属家畜病院付近のユリノキから、同部村上大蔵教授と戸沢俊治助教授の協力を得て、毎年五〇~七〇キログラムという多量の種子を採取することができた。病院は、北側と西側とが舗装道路に接しており、樹齢五〇年を超す七本のユリノキは、秋の北西の風で種子の大部分が枯れ葉とともに自然落下する。
雨が降ったあと、晴天乾燥の気象状態がつづくと、種子が開張していっせいに落下することから、この時機をのがさずに採取するという寸法である。また、秋の雨の多い年は、落ち葉に種子の翼が付着するので、そのまま葉とともに集めて、金網の目が六センチメートルほどの篩に少量を入れ、強くふるって、種子と葉とを分離する方法をとった。
そして、晴天の日を待って、種子を十分に乾燥したうえで翼を除くわけだが、この手数は決して容易なものではない。採種から乾燥をして、脱翼の処理、苗畑づくり、播種作業へとつづく一連の作業に投入する労力は相当なものであった。
この課題を解決するため、私は樹下採苗を思い立った。岩手大学農学部の附属滝沢演習林地内に、六〇年以上を経たユリノキの巨木がほぼ集まって植栽されているのに目をつけ、自然落下種の発芽状況の観察と実験をはじめた。
陽樹であるユリノキの自然下種による幼苗は、樹下に叢生する草・灌木および落枝葉の庇陰をうけて軟弱化し、これを苗畑に移植した場合、活着不良という結果を得た。
このようなことから、樹下に落ちる種子に発芽の条件を多く与えて、発芽した苗をより庇陰度の少ない良い環境に置くこと。また、活着力の強い健苗を求めるため、地床を機械によって耕しておくこと。そして、種子が自然落下したのちに芝ハローを通して種子の覆土をおこなう、というふうに、採苗の一貫した作業体系を考えて、実用試験を続行した。
この省力法によって、活着力の強い苗木が一〇〇平方メートル当たり七五〇~八〇〇本を生産できた。この方法は、ことユリノキに限らず、実生苗の生産に広く応用できるだろう。
たとえば、つぎに掲げるような広葉樹種による樹下採苗林が、広葉樹造林樹種選定の各種試験研究と並行して施業化されていれば、その木が、一斉林か常緑樹との混交林かの造林用樹種に選ばれた時点で、前述の樹下採苗法によって、ただちに山行き苗の生産基盤として活用することができよう。
シナノキ・シンジュ・エンジュ・ケンポナシ・キハダ・ハクウンボク・カツラ・カシワ・サイカチ・ヤチダモ・アメリカトネリコ・ハンノキ・クロヤマナラシ・クヌギ・アカシデ・プラタナス・ドロノキ・トチノキ・ハナキササゲ・オオバボダイジュ・ケヤキ・エノキ・エゾエノキ・ノニレ・ホオノキ・ヒメグルミ・クログルミ・シナサワグルミ・オニグルミ・サワグルミ・オニイタヤ・ベニイタヤ・イチョウ・ユリノキ(順不同)
以上の樹種は、いずれもその特性に応じて、地位・地味・乾湿などの気候や土壌の条件と、建築材・家具材・チップ材・ベニヤ材などの用途とによって選択され、長伐期林や短伐期林に区分されることになるだろうし、そしてまた、適地適木の線に沿って、わが国の環境緑化による自然保護の一翼も担うことになるであろう。
○四〇パーセントに近い硬実歩合
ユリノキの種実は「取り播き」といって、その年の秋のうちに播き付けされる。たとえ春播きをする場合でも、土中に埋蔵するのがよい。
乾いた種子をそのまま袋などに入れて翌春まで貯えると、その間に種子の硬実変化が進むばかりでなく、種皮が固化して休眠状態に入る。これを春播きしても、播種床のなかで水分の吸収がうまくいかないうちに気温が上昇して、腐敗菌に侵されて腐ったりする。
ユリノキの種子を春播きする直前に、一昼夜、水に漬けたあとで、天日で乾燥してから播くのがよいと、ある本に述べてあったので試みたが、あまり効果は見られなかった。
クラマー( Kramer )は、ユリノキの種子の「変温発芽促進方法」を紹介している。ユリノキの種子を、初めに摂氏五~一〇度の冷水に五日間漬けこみ、つぎに二〇~三五度の温水と、続いてふたたび五~一〇度の冷水とに、それぞれ五日間ずつ漬けるというものである。この合計一五日間を浸す方法が「種子の発芽促進に大いに役立った」と述べている。さらに「エチレンクロロヒドリンによる種子処理は、休眠状態を破るのに大きい効果があった」とも発表している。
ところが種子のなかには、硬実( Hard seed )といって、春播きして発芽の条件を整えてやっても、依然として眠りつづけ、翌年か翌々年以後でないと芽を動かさない性質の種子がある。この硬実の混じっている程度を、硬実歩合といい、多くの植物によくみられる性質である。
今、その年に成った種実のすべてが、翌春の地温の上昇や、十分な湿度に恵まれて発芽したとする。ところが、この年に日照りがつづいたり洪水があったりして、発芽したものが全て枯れたり流されたりすると、その個体植物の種系は絶滅することになってしまうわけだ。
しかし、硬実性をもつ植物だけは、たとえその数が少なくても、次の年かその後の年の春には発芽することができる。洪水などで運ばれてゆくどこかの違った土地で、芽を出すこともあるだろう。
このような硬実の存在が、種の本来の個体に生育して花を開き、実を結び、種の存続をはたすという仕組みであって、天が与えた性質とはいえ、玄妙なことに驚く。
ユリノキもまた、このすばらしい性質を明らかに備えている。しかも硬実が混入している率、つまり硬実歩合は、他の植物にくらべて高く、四〇パーセントに近いことは間違いないようだ。
ユリノキの発芽期は、岩手県の盛岡地方では五月初めから始まって、約四〇日という長い期間に及ぶ。前半期に発芽したものは、本葉が出はじめた時点で二〇×三〇センチメートルの密度で床替えするが、後半期に発芽したものは、前と同じく本葉が出はじめた時点で、苗床をなるべく掘り返さないように注意して、細身の移植ベラを用いてひとまず掘り出し、根を一〇センチメートルの長さに伐り落としたうえで、ほぼ一〇×一五センチメートルの間隔で播種した苗床に植え直し、床替えはしない。
苗畑に移植したほうの苗は、秋までに五〇センチメートルを超すほど大きくなるが、苗床に植え直したほうの苗は、遅植えと密植という二つの悪い条件が重なるので、大きいものでもせいぜい二〇センチメートルにとどまる。翌春の五月には、前々年に播いた種子、つまり硬実が、二〇センチメートルに伸びた前年苗の下から芽を出すという勘定である。
三年間の平均値で、一年目の産苗数を一〇〇とした場合、二年目は三五・二だった。要するに、播いた翌年に一〇〇本の苗を得た苗床は、そのまま放っておけば、二年目には三五株の苗が求められることになる。これが、不稔度の著しく高いユリノキの種子を無駄なく利用する唯一の方法だと信じている。
ただ、どのように丁寧に作業をしても、苗床を三度も移植ベラで部分的に掘ることになるので、二度目の苗の発芽は、一度目の場合より少なくとも一〇日間は遅れるし、発芽した苗の茎にあたる部分は、写真の右に示すように著しく長いものが多い。つまり相当に深播きされた状態になるからである。
○五〇〇メートルも飛ぶ翼果
ユリノキの種子は、直径が一二~一七ミリメートル、長さが六~八センチメートルくらいの翼果であって、これが直立した円錐状に集まり、梢の先にろうそくを立てたように着く。
翼をつけた種実は、翼の基部に種殼をもっている。このなかに種室があって、二個の種子を内蔵する。
一つ一つの翼果は、果軸の基部からゆるやかに数本の線を巻き上げたような螺旋状になって、順序正しく重なりながら着生し、小枝の葉の着生部を結んだ螺旋形と同じ方向にめぐっていて、梢と葉とが花の進化源だという説を証明しているようだ。
翼の大きさは、平均値で、長さ三~四センチメートル、幅四~七ミリメートルであるが、果軸の基部に近いものほど大きい。
果軸の根元を包む外周の翼果の翼の先端部から、内周する翼の先端部が、それぞれ四~六ミリメートルほど頭を出しながら、しだいに翼果の長さを増してゆく。
しかし、果実の先端に至るにつれて重なりが深くなって、突出する程度が減少する反面、着生密度を増して頂端に達し、七〇~一〇〇粒で一果を形成する。また、翼果の果軸へ付着している周縁部は、ナイフで切ったように鋭い。
なお、果翼の先端部の、雌芯の柱頭部にあたる部分から、果実が未熟なうち、ちょうど単子葉に属する針葉樹の若いマツカサと同じように、粘液を分泌していることが興味深い。
東北地方では、一一月の下旬、秋空が高く澄んで空気が乾燥した日に落果がはじまる。おおむね一〇日間がユリノキの落果の期間である。この期間に強い風雨に会うと、大部分のものが落ちつくして、落果期が短縮されてしまう。
しかし、量はわずかだが、落果期が過ぎても付着をつづけ、霜や雪の季節も落ちることなく、翌年の春の嵐に襲われても、なお離れずにへばりついている翼果がある。
このような翼果は、比較的下枝に多いし、付着する場所は果軸の基部に限られている。
早春まで離脱しない翼果について、果実の有無を調べたところ、すべて無胚で、成熟果は皆無だった。この残存翼果も、樹液が動きだす春のめざめを迎えると、新旧交代して果軸とともに落下してしまう。
盛岡地方では、数年に一回くらいだが、瞬間風速三〇メートルを超す西北からの雨まじりの強風が吹き荒れる。岩手山麓では、この風を稲荷風といって忌み嫌っている。
二月中旬だった。この風のあと種子の飛散状況を知ろうと、樹齢五〇年くらいのユリノキの大木がある二宮邸を目当てにして出かけた。
まず、昨夜の強風の風下、三〇〇メートルくらいの道路でユリノキの果実を探した。まだ乾ききらないアスファルト道路に、濡れたままのユリノキの翼果があちこちに散っていた。
かがみ込んで指先がとどく範囲で拾いながら、足を、一〇歩運んで一一粒を集めた。
このあと、同じく風下の約五〇〇メートル付近の場所を、同様のやり方で三〇歩を歩いて六粒の果実を拾った。
このなかには、一つ一つの果殼は指先でつぶせないほどの堅さだが、自動車の重みにはかなわないと見えて、タイヤでつぶれたものも混じっていた。 アメリカの記録によると、晴天の日、風に舞って五〇〇メートルの遠くに及んだとあるが、納得のいくこの日の観察結果であった。
○一樹から採れる種子数
毎年、老壮木一本が生産する翼果粒数については、推定粒数で常に二〇〇万粒以上であって、最も多い場合は五〇〇万粒に近いものとされている。
アメリカの文献では、一キログラムの粒数を一万七〇〇〇粒としたとき、最大量三〇〇キログラムに達するとある。また、翼翅を除いた場合の種殼は一〇〇〇粒重が三五グラム前後であるから、換算すると七六~一九〇キログラムの量となる、と記していた。
私の調査では、翼果の重さは、秋の天候のもとで日光にあてて完全に風乾した状態(水分含有率は一五パーセント)で、一〇〇〇粒の平均重量は五七グラムであった。したがって、翼果一キログラムの粒数は一万七五〇〇粒と計算された。
しかし、実際の場合では、風乾の程度に差があるので、一万二〇〇〇~二万粒と大きく開きが出てくる。
なお、ユリノキの種子の生産量は年によって多少の豊凶差があるが、隔年結果の性質は認められない。
このように毎年の産種量は多くて毛、粃歩合の八六パーセントというのが原産地アメリカの報告のなかでは最小だし、わが国では、岩手県のユリノキのうちで、八九パーセント以下の粃歩合を示す種子をまとめて得ることは困難である。
くりかえしになるが、その上、播いてもその年に発芽しない硬実の混入歩合が、場合によっては四〇パーセントを超すこともあるから、大量な種子を用いても得られる苗木がまことに少ない。
かつて種苗生産業者が、囗をそろえて「ユリノキの実生苗の生産は、苗畑面積を多く要し、そのうえ時間も金もかかり、安価な供給がむずかしい」としていたのは、この辺の事情によるものだ。
毛藤勤治 著 / 四手井綱英・村井貞允・指田 豊・毛藤圀彦 寄稿
四六判 / 並製 / 304頁(カラー24頁) / 定価1,885円(本体1,714+税)/
ISBN4-900358-23-1
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