四、ユリノキの名前
○呼び名いろいろ
地球上の樹木には、すべて固有の名前があり、学名以外にも、その国、その地方によって、さまざまな呼び方がある。
樹名は、木が育った風土や、名づけた人間の心情とかたく結びついていて、その命名の由来をたずねるだけでも楽しい。
こと植物にかぎらず、たとえ目に見えない無形のものにでも、人々は必要によって他と区別するために、その特徴をとらえたり、自分の思いを託したりして、ひとつの呼び名を選ぶ。その樹名が多くの人々のあいだに広まり、さらに次の世代へと語りつがれていく。また、時の流れとともに、移り変わってしまう名前もある。
ここでいうユリノキは学問のうえでの植物名で、正真正銘の和名だけれども、この木が日本に導入されて以来、他の樹木と同じように各地方によってさまざまな呼びかたをされている。
○ハンテンボク(絆纏木)
ユリノキ以外でわが国で今でも立派に通用する名にハンテンボクという名がある。とくに戦前戦中世代の人々はこの名称を好む傾向がある。かの牧野植物図鑑も俗称名として取り上げている。 ハンテンボクとは葉の形状を絆纏に見立てた命名で「はんてん木」と平仮名書きのほうがしっくりする。ハンテンボクと片仮名で書くと、若い世代の人々には理解されそうにない。「ハンテンって何?」という次第で、印絆纏というよりも北京飯店かなにかを想い浮かべ、おかしいことになる。戦前はこの事情は逆だったのだろう。
ハンテンボクの名はいかにも明治生まれらしい。いっぽうでユリノキの名前もすでに持っていたことからつき合わせると、命名の起源としては、欧化と国粋に振れる当時の日本の精神的状況をうつしだしているようにも思える。前者は後者と比べ明らかに日本的であり、民衆的、世俗的、伝統的な香りに満ち、他の木との区別において明快である。
このハンテンボクの名前だが、いつ、だれが付けたのか、明瞭には判らない。おそらく、明治八年ごろにこの木が導入された直後に、ユリノキと同時期に学者の手によってこの名も与えられたのだろう。
もう一つ別名を拾ってみよう。学名の種小名から出たと思われるチューリップノキの別名である。しかし、この木は大きくならないと花をつけないし、したがって、花を知らない人が多いことからすると、この名は当時としては通称名とはなりにくかったと思われる。
以上は著者の想像である。
もともと植物和名には、こう呼ばれなくてはいけない、という規準はなく、言ってみれば、だれが何と名付けようがいっこうに構わない。分類学上において、混乱をさけるという理由で、ある種の統一をはかっているだけの話である。
ユリノキの日本名について、著者の考えをまとめると、日本にユリノキが導入された直後、前記の理由からハンテンボクの名も与えた。ユリノキの名は、文献上で今日まで使用されつづけてはいるか、戦前までは一般的にハンテンボクの名が圧倒的に通用した。それが戦後に入って、絆纏が生活の場からなくなって以来、名が意を現さなくなってしまって、かつてのユリノキの名が浮上した、という次第であろう。名は時代によって変わるものである。
こうした同種異名の関係は、海外からの導入種の呼び名にいくつもみいだせる。プラタナスとスズカケノキ、マロニエとウマグリ、シンジュとニワウルシ、ニセアカシアとハリエンジュ、ハナミズキとアメリカヤマボウシ、サルスベリとヒャクジツコウ、ライラックとムラサキハシドイ、ワシントンヤシとオキナヤシ、シノブノキとハゴロモガシなどなど、いずれも同種異和名の例である。
さて、話は長くなったが、ユリノキの別名はまだ他にある。
その独自の葉形から、グンバイボク、ヤッコダコノキ、クラガタノキなどの呼び名である。いずれも葉の形を、軍配や奴凧、馬の鞍の形に見立てた命名で、どれも言いあらわし得て妙というほかはない。そして、果実が蝋燭を並べて立てたように見えることからロウソクノキと呼ぶ人さえあり、また、幹から先端までがまっすぐに通っていて、あまり太さも変わりがないので、エンピツノキと呼ぶ地方もあることを付記しておく。
ところで、海を越えた中国では北米産のユリノキのことを、鬱金香樹(うっこんこうじゅ)と書きあらわす。鬱金香草はチューリップの中国の呼び名だから、直訳すれば「チューリップノキ」ということになる。
さて、アメリカでは、さすがにユリノキの原産地だけあって数多くの呼び名がある。そのなかでツリー( tree )とウッド( wood )が混用され、地方によって樹名に用いたり木材を意味したりするから、その区別の困難な場合が多い。以下に、名称ごとに解説を加えてみたい。
○イエローポプラ( Yellow poplar )
この名の起こりは、ユリノキ材の色や材質がヤナギ科のポプラ(セイヨウハコヤナギ)に似ていることからで、アメリカ各州の材木商で古くから用いられてきた。特に南部アパラチア山脈に沿う地域には、この呼び名が目立って多い。
これ以外の地方で、たとえ別の名前で呼んでいる人でも、イエローポプラと聞けば、ユリノキとすぐに理解するほど米国全域に通用する呼び名となり、林学書はもちろん一般植物学界でも、学名だけを出す場合は別として、すべてイエローポプラと併記している。
ユリノキとポプラとのかかわりあいの始まりは、木が遠見には高くまっすぐに伸びてポプラのようだから……との説をとなえる人がいるが、いささか妥当性に欠けるようだ。イエロー、つまり黄色とつけた根拠にとぼしい。ポプラの紅葉は黄色で、区分すればユリノキと同じく黄葉する樹木の仲間だが、ポプラの葉は淡くよごれていて、義理にもその色を愛でる木とは言えない。
また、ユリノキの緑は、ポプラに比べると、やや淡い。とくに若葉の時代にはその差が少しはっきりする。濃緑のポプラに対して淡い黄色みを帯びた葉の感じから、イエローポプラと呼んだとの説もある。
おそらく、イエローポプラの名は、この二説をひっくるめたものに、さらにポプラへの郷愁が加わって生まれたと思われる。
もともとポプラ類は、ヨーロッパ大陸には一般的な木だが、アメリカ大陸には少ない樹種である。だから、かつて新大陸に移住した白人たちは、ふるさとの地のポプラに寄せる郷愁から、アメリカで見かけたユリノキにポプラの名を与えたのであろう。
その証拠には、ロードアイランド、デラウェア、北・南カロライナ、フロリダ、バージニア、西バージニア、オハイオ、インディアナ州の材木商の間では、単に「ポプラ」と呼んでいる。ヨーロッパでいうポプラ(セイヨウハコヤナギ)は、この地域の木材市場には全く上場されないから間違いの起こりようがない。
なお、おもしろい名に、チューリップツリーとイエローポプラとの合いの子のようなチューリップポプラ( Tulip poplar )があって、これも一部に通用している。
このほかに、材が白いということから、ホワイトポプラ( White poplar )があり、また、ユリノキの構成率の高い天然林の多い土地、ペンシルベニア南部とバージニア西部との両地域は、バージニアポプラ( Virginia poplar )と呼んでいる。さらに西バージニア、バージニア、北カロライナなどの一部の地味ゆたかな地域では、ユリノキの葉は濃緑なので、ブルーポプラ( Blue poplar )ともヒッコリーポプラ( Hickory poplar )とも呼ばれる。
要するに米名のイエローポプラは、ひろく一般にポプラと愛称されており、「ポプラ」の語源がラテン語の人民( Populus=ポプルス)であることを考えると、アメリカ人の気質と好みにあった名前といえるだろう。
○チューリップツリー( Tulip tree )
植物の特長は、花に最もよくあらわれる。花形がチューリップそっくりのユリノキがこう呼ばれるのは当然で、そのものズバリの命名と言ってよい。ヨーロッパでは、このチューリップツリーの名(英= Tulip tree 独= Tulipenbaum 仏= Tulipier )が広く通用し、植物分類学者も学名と併記する通称名( Common Name )として、この名を用いる。米国でもイエローポプラの呼び名に次いで一般化している。
○カヌーウッド( Canoe wood )
アメリカ原産のユリノキは、その地に昔から住む人たちにとって生活に欠かせない重要なつながりをもつ。アメリカインディアンは、この材で大小さまざまの丸木舟(カヌー)を造り、水路の足として用いていた。通直で細工が容易、軽く腐りにくいことから、この木に目を付けないほうがどうかしている。
一人で操るものから、夫婦などの二人乗り、また、家族や仲間などが乗る中形の丸木舟、さらに二〇~三〇人を乗せるほどの大形のものもあり、時には他の種族との争いに弓や槍で武装した若い戦士たちを運ぶこともあったという。
さらに新大陸発見後の、ヨーロッパ諸民族のアメリカ開拓時代には船材として用いられたし、まっすぐな幹は大筏を組むのに恰好の材となった。アメリカ映画の西部劇には、家財道具と家族たちを積みこんだ頑丈な幌馬車が登場するが、車輪以外のほとんどがユリノキ材が用いられた。その幌馬車は、連れてきた家畜とともに、ユリノキの大筏で渡河して、西へと進んでいった。
このようなことから、開拓者のあいだで、「丸木舟の木」と呼んだのである。この名前の分布範囲は、テネシー、ケンタッキー、そしてオハイオ渓谷の北部に及ぶ。
○サドルツリー( Saddle tree )
手を合わせたように真中から二つ折りになって出てくる若葉を横から見ると、馬の鞍にそっくりなので、これがサドルツリーの名前を生んだ。わが国のクラガタノキや、クラカケノキと同じ発想だが、ところによってはサドルリーフ( Saddle leaf=鞍の葉)と呼ぶ地方もある。一部の材木商の仲間はサドルウッド( Saddle wood )と呼んで、生木と材とを区別しないで用いた。
○カナリーウッド( Canary wood )
ユリノキは人々に好まれる特長を多くもっているが、なかでもイチョウにも勝る黄葉美は目をみはるばかりで、まことにすばらしい。金茶色に彩られた黄葉の枝が重なり、ふっくらした樹形をつくって、あたかもカナリアの胸毛を思わせる……。カナリーウッドの名はこうして始まった。そして、材木商はユリノキ材をカナリーホワイトウッド( Canary white wood )と呼んでユリノキ材の取引に用いた。
また、北部アパラチア山脈の、やや標高の高い地域に住む人々はイェローツリー( Yellow tree )とも呼んでいる。美しく黄葉する木ということからの命名であろう。
○バスウッド( Bass wood )
シナノキ科に属する樹種で、アメリカに分布しているシナノキはバスウッドと呼ばれているが、地方によってはユリノキのことをバスウッドと言っている。
かつて一部の原住民のあいだでは、太鼓の胴にシナノキが用いられており、また、別な種族ではユリノキが利用されていた。ユリノキの材でつくった胴は低音が非常によくひびくので、ばちでたたく大形の太鼓に使われたという。
このようなことから、その地方を開墾して住みついた白人たちによってバスウッドと名付けられたという説がある。しかし、いっぽうバスウッドの名は、材木商のあいだで、シナノキのように樹高にすぐれているため同じ名で呼んだとする説もあって、同定することが難しい。
○ホワイトウッド( White wood )
アメリカ東部の幾つかの州の材木商の間で用いている名がホワイトウッド、すなわち白色材である。
ユリノキ材は他の用材にくらべて白く美しいために、ホワイトウッドといえば、ユリノキをさすようになった。
その他、ロードアイランドでは、ニューヨーククーカンバーツリー( New York cucamber tree )と呼ぶ人びとがいる。このクーカンバーツリーというのは、もともとモクレン科のアクミナータホオノキ( Magnolia acuminata )のことだが、ニューヨーク附近にあるモクレン科に属する木という意味を強く感じて、この名をユリノキに与えたらしい。
また、ところによってはライムツリー( Lime tree )と呼ぶ。ライムツリーとは、シナノキ、またはボダイジュのことだが、ユリノキほどではないが巨木の仲間に入っている木なので、呼び名に用いたのかも知れない。 要するにアメリカ大陸に移住したヨーロッパの諸民族は、はじめて見るユリノキのすばらしさに心をうたれて、思いのままに色々な名前を考えだしたということが事実であろう。
○ユリノキの学名
ユリノキは、植物分類学ではモクレン科のなかのユリノキ属に位置づけされ、ユリノキ( Liriodendron tulipifera L. )と、シナユリノキ( Liriodendron chinense Sargent )との二種だけで構成されている。
以前には、中国とビルマを原産地とするテトラセントロン( Tetracentron sinense Oliv.=水青樹)を加えた三種を一属として扱われていた。カツラに似て葉は互生し、三〇メートルほどの巨木になるテトラセントロンは、今は一属一種としてユリノキ属からは分離されている。
学問の世界では、植物をふくむあらゆる生物に、どこの国でも通用する名前を与えることが研究を進めるうえに好都合であるとして、スウェーデンの博物学者、ウプサラ大学教授のカール・フォン・リンネ( Carl von Linneus 一七〇七~一七七八)が提唱する「二名法」が採用された。
これは、ラテン語、あるいはラテン語化されたことばで、属名と種小名とを併記して、そのあとに、命名者の氏名を付け加える。変種( Varietas )や品種( Forma )などは、その次に付記するという方法である。国際命名規約を設定して、すべての生物には学名( Scientific name )として国際的共通名が与えられることになった。こうして現在までに学名を与えられた植物は、世界では種の単位で約三五万種が数えられ、そのうち種子植物約二四万四〇〇〇種が含まれる。日本には野生と野生化した種子植物は四六〇〇種といわれている。
○リリオデンドロン・ツリピフェラ
さて、ユリノキの学名はリリオデンドロン ツリピフェラ リンネ( Liriodendron tulipifera Linne )だが、これはラテン語のLirion(ユリ)とDendron(樹木)とを併せて「ユリにかかわりのある木」という意味の属名だし、Tulipiferaは「チューリップによく似た形の花の咲く」という種(種小名ともいう)を意味する。最後の、リンネ(略称L. )は、名付け親の名前、つまりユリノキの場合では、リンネ教授の名がつけられたものだ。
ところで、ユリノキの学名のなかの属名には、ギリシア語のLirion(ユリ)に由来したものとする説もあるし、種小名についても、花のチューリップではなくて、チューリップの原産地であるトルコの人々が常用するトルコ帽( Tulbend=頭巾)が語源であるとし、ツリピフェラは、「チューリップに似た形をした」ではなくて「トルコ帽に似た形をした」と解すべきだ、という説もある。
名付け親のリンネは、植物の雄しべと雌しべの性質によって分類する体系を立てた学者だから、ユリノキは花形よりも、分類学的には、むしろ花の構造によって名前を与えたように推定される。
ただ、私はユリノキを知りはじめたころ、ユリも、ユリノキも、その差はあっても、花が緑の花弁をもつことで一致しているし、馥郁とした香気を放つことも共通しているので、案外こんなことがユリノキと名づけられた理由かも知れない、などと勝手な想像をしていたものだ。
だが、その後になって分かったことだが、一般に花の雄しべは、きまって中央の雌しべに対して花粉を出す面を向けるのに、ユリもユリノキも、ともに雌しべに背中を向け、一般の花とまったく反対になっている。この点にユリとユリノキとの共通点を見出して、学名の最初に「ユリ」の名を冠したのではないか、と考えるようになった。しかし、これも明確な資料に基づいたものではなく、識者の御教示を願う次第である。
ただ、ユリノキは、その学名に、二つの花にかかわりをもつ名前を与えられた樹であることだけは事実である。このような例はまことに珍しく、学問のうえでのユリノキは、その身に余る厚遇をうけている植物の一つといえるであろう。
毛藤勤治 著 / 四手井綱英・村井貞允・指田 豊・毛藤圀彦 寄稿
四六判 / 並製 / 304頁(カラー24頁) / 定価1,885円(本体1,714+税)/
ISBN4-900358-23-1
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