四、寿命
○樹高六〇・四メートルの巨木
アメリカ東部のオハイオ州では、山峡のよく発達した天然林にユリノキの典型的な巨木が見られる。
一九五〇年、このあたり一帯をつぶさに調査したW・H・ハーローは、樹高六〇・四メートル、胸高直径三・六六メートルの測定値をもつユリノキを探しあてた。そして「この巨大な老大木は現存する世界最大のものであろう」と報告した。
この高さは、現代の大都市にある高層ビルの一四階に相当するから、雄大なユリノキの高さを想像していただけることと思う。また、幹の直径も、ユリノキの樹幹はほぼ真円に近いことから仮定して、面積は約一〇・五二平方メートル、つまり三・一九坪という広さになる。私たちの家の六畳間よりも大きい。
さらに興味深いことには、オハイオ州産のユリノキを取り扱ってきた木材商人から、ハーローが聞いたという話である。辺地に住むその老人は、幹の直径が四・八〇メートルを超えるユリノキがあると、言っていたという。「まだ、その大きさを実測していない」と、彼は書いている。
そして、そのユリノキの寿命について「二五〇年間は確実に成育をつづけて、自然に枯れ果てるのは、まだまだ先のことである。というのは、枯木のなかには優に三世紀を経たものがあるからだ」と、彼の著書のなかで述べている。
ところで、大樹のなかまのケヤキ・ブナ・ナラなどの寿命だが、独立して生育する場合にくらべ、天然林の構成樹として生育するときには、まことに短命になる。独立樹では一〇〇〇年を超える木でも、天然林の中での生命は、半分の五〇〇年くらいと見なされている。
天然林という多くの樹種が混生している環境では、大木もその生命を全うすることなく、いつか腐朽して倒れ、次代と交代するのが常である。樹木の種類によって交代期間は異なるが、短いもので三五〇年、長いものでも七〇〇年だといわれている。
つまり、天然林の主体をなす、極相に達している樹種は、いずれも老大木が主体で、壮齢木がほんのわずか、幼齢木は見つけるのが困難な状態にある。
さまざまな種類の木の生存率は、常にその環境のストレスに対して適応しながら、ほかの樹木との調和を維持しながら、天然林としての林相をくりかえしていくのである。
もちろんユリノキも例外ではなく、天然林という生育環境のなかでは、いつも樹冠を他の巨木の最上層に保ち、シェンクのことばを借りるなら「森の貴族の地位」を占めながらも、他の多くの長命樹と同様に長くとも五〇〇年ほどの寿命で朽ち果てていく宿命を担い、天然林という土壌生成のなかで、絶えず無益ともいえる種子をつけては、それを自分の周囲に播きつづける。
その多くの種子のなかから、幾粒かが偶然の幸運なめぐり合わせによって、発芽し、発育した場合にだけ、幼稚樹となる。そして、種内および種間の競争を克服して、やがて壮齢木となり、老大木にと成長し、再び数世紀にわたる生命を保って、天然林環境を維持しつづけることに役立っていくのである。
ユリノキは、孤立して、よい環境に恵まれたとき、はじめて本来の生命力を発揮する。
寿命の長いことで知られている屋久杉は、多雨や、四季を通じての温暖というもっともスギが好む最高の条件に置かれている。樹齢一二〇九年を数える屋久杉の標本が岩予大学の農学部にあるが、しかし、このような環境だけでは、一〇〇〇年を超える寿命は望めないはずである。
もしも屋久島が、一般の天然林のように、数十種類から二〇〇種類を超える高木や巨木などで全島が覆われていたなら、おそらく今日の屋久杉は見られなかっただろう、との植物生態学上の意見がある。また一説には、針葉樹種と広葉樹種は、おのずから性質が異なり、天然林の樹木更新三五〇年説は、針葉樹林には適応しないという反論もある。
さらに、かつて屋久島は、巨大な多くの広葉樹種と杉とに覆われた小島だったが、永年にわたる温暖多雨多湿のもとで、広葉樹が杉による被圧とその他の何らかの理由でしだいに減退し、杉だけが孤立木として残ったもの、と推定している学者もいる。
話が脱線したので本題にもどそう。
イギリスの航海術にすぐれた探検家であるヘンリー・ハドソンが、アメリカ東海岸の探検に出かけたのは、彼が死ぬ三年前の一六○九年の八月であった。初めに彼はマンハッタン島北端に近いイングルウッドに上陸してここをアメリカ大陸だと誤認した。
このハドソンは、彼の探検記に、最初の上陸地点であるマンハッタン島に、「葉先を切りとったような大葉の老大木があった」ことを書き残している。
現在、この場所はニューヨーク市の建築街となって高層ビルが林立している。ところが、去る一九一二年、ハドソンの書き残したユリノキが見出されて、ニューヨーク市民の手によってここに鉄柵がつくられ、記念樹として保存されたという記録がある。
このユリノキが現存しているかどうかは、今のところ判明していない。もし仮に、ハドソンが発見した当時のユリノキが樹齢三〇〇年のものであったとすれば、現在の樹齢は六七〇年を超えることになる。
ここではユリノキの寿命を探ることが目的で筆を起こしたが、さまざまなユリノキについて、その大きさ(樹高と樹径)には多くの記録があるのにくらべ、その寿命となると、皆無といっていいほど記載がない。
ユリノキに年輪測定値の記録が残っていないのは残念だ。ユリノキは、その古里である北アメリカにおいて、大陸発見以後の三世紀にわたって巨大木のほとんどが伐採されつづけたというのにもかかわらず、年輪の記録は全く残されていないのである。
○枝と幹と樹皮
どのような木でも、その木からうける最も強い印象は、まず樹幹であることは万人の認めるところであろう。幹は、その木の顔であるからだ。
とくに幹の肌は、それぞれの木の個有の性質を明確に示しているので、たとえ花や葉を見なくても、他の種類と混同されることがない。人間では面相というが、いわば「樹相」とでも呼びたいのが樹幹で、それぞれの種が、それぞれの異なった目鼻立ちをもっている。
生長したユリノキの幹は、巨木に最もふさわしく、縦に通った深い裂けめのある黒褐色の幹肌をもち、天に向かってあくまでまっすぐに伸びようとする迫力を遺憾なく示している。
しかし、若いユリノキの幹はやさしい彩りをみせる。頂上に扁平な若芽をつけた小枝は、青みがかったオリーブ色で、根元に近づくにつれて帯紅褐色に変化し、無毛のなめらかな枝の表面に、いぶし銀のような小さい斑点をちりばめている。その全体からうける印象は、すべすべとして軟らかい感じだ。
各枝の髄には隔膜があり、枝のどの部分も丸みをもっているから、切断するとその切り口は真円に近い。
さて、この隔膜のある両側には、うっかりすると見落とすような小さい側芽を上下にひとつずつ秘めていて、時にはこれが伸び出して、直立分枝しながら調和のとれた樹形をつくっていく。この側芽は、枝折れなどの障害に会ったとき、頂芽に代わって勢いよく伸びて、主幹となるだけの強靱な力を備えている。
樹齢四〇年を経たユリノキの巨大な幹にも、ときおり側芽が動きだしてきれいな葉をつけるのを見かけることがある。これらはほとんどが大成するものではなく、いつとはなしに消え失せるか、細々とうら枯れたようになって、巨幹のむだ毛のような格好でへばりついている。
しかし、もしも巨幹が折れたり切られたりすると、にわかに勢いを増して伸びはじめ、枝から枝を張るようになる。
ユリノキは、広い葉を沢山つけるので、一般の広葉樹にくらべて、枝にかかる重さは大きい。この重みをいくらかでも軽減しようとして枝は上に向かって伸びるが、それでも葉の重みで次第に横に広がってくる。一年枝が葉の重さに耐えぬいて年を越し、二年枝になると、強度を増して決して枝落ちすることはない。
孤立して巨木となったユリノキでは、とくに下のほうの古い枝は葉の重さで手の届くところまで垂れさがり、ここに多くの新しい梢を上向きに伸ばし、その先端に花を咲かせて人々の目を楽しませる。そして落葉後は、これらの枝がまっすぐな幹にまつわりついて、たわむれているかのように見え、ユリノキ独特の趣をかもしだす。
また、林分のなかのユリノキは、人工造林樹種のように、人手を煩わして何度となく枝打ちや枝下ろしをする必要はない。はなはだしく疎林の状態でないかぎり、ひとりでに下枝から枯れ落ちて、枝下高が樹齢とともにますます増加し、幹は先細りとならずに木材の蓄積を進めていく。
幹のまっすぐな点では、いつもドイツトウヒが代表木にあげられるが、それをしのぐ通直な幹は、いっそうユリノキの印象を深くさせる。というのも、一般の広葉樹では、根元から頂上枝にいたるまでの幹は段階的に生長が進み、結局は、元は太いが先が細い、いわゆる「ウラコケ」となるのが普通である。
しかしユリノキは、最下枝の位置を自力でより上へ上へとあげながら、頂上枝をいっそう繁茂させて、下方から上方に向かって充実した材積を蓄えていくのである。
毛藤勤治 著 / 四手井綱英・村井貞允・指田 豊・毛藤圀彦 寄稿
四六判 / 並製 / 304頁(カラー24頁) / 定価1,885円(本体1,714+税)/
ISBN4-900358-23-1
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