そうは思わないか
大きな木を次の世代に残そう―――――と。
ユリノキは日本の気候に溶け込んで
うまく植えると立派になる。
ユリノキ植栽プランナーの成功を祈る。
一、植えたい人へのメッセージ
○「田園の幸福」の花ことば
人間は、遠い昔から草や木と親しんでおり、花と葉の色の色彩や形の美しさ、さらに梢や幹にも詩情をそそられて、洋の東西を問わず数多くの詩を後世に残した。このような詩がさまざまな形で伝承されているうちに、その表現や形容が、いつか植物そのものの意思あるいは意味として与えられるようになり、こうして生まれたものが〝花ことば〟だとされている。
ユリノキに与えられた〝花ことば〟、ルーラルハピネス( Rural happiness )、つまり〝田園の幸福〟である。
数多くの木がいっしょに集まっている。ここはいつも静かに力強い平和共存の世界だ。幸福と繁栄そのもののような緑の国だ。ここでユリノキは、貴族のように、最も高いところから、明るく暖かい目で、あたりの仲間の樹木たちを見守っている………。だからこそ、ユリノキに〝田園の幸福〟という打ってつけの花ことばが与えられたのであろう。
ユリノキのある古里、……その田園に住む人も、また、そこに生活する田園都市の人々も、ともにこの花ことばのように、幸福な恵みをうけられるに違いない。というのも、その地には、こぼれるほどに多くの蜜をつくる花が咲き、木かげからは栄養分に富んだ牧草を腹いっぱいに食べた乳牛ののどかな鳴き声が聞こえて、乳と蜜の湧き流れる田園が作り出されるからである。
○植栽上の七つのポイント
ところで、この本に目を通して、ひとつ私もユリノキを植えてみたい、育ててみたいとの望みを寄せられる方があったとしたら、筆者の喜びである。本書はもとより植栽の指導書でないから、植栽設計や配植、デザインなど計画上の側面については他書に譲るとして、ここでは庭園や緑地にユリノキを植える際、特性上において注意を要するポイントを七項にまとめてみることにする。
- ユリノキは小さな庭には大きすぎて不向きである。しかし、広い空間をもった緑地や緑道などには、単木や群植、あるいは列植するとすばらしい。
- ユリノキは乾燥地には不向きである。深く、肥沃で適度に湿った土壌にもっとも適す。陽の当たる明るい環境の下では、一年間に一メートルの成長も期待できる。
- ユリノキの植栽にはすばらしい秋の黄葉を念頭に入れること。色づいた樹容は、この樹の優れた美性。葉は長期間にわたって飛散するが、霜に当たると急速に落葉する。
- ユリノキの落葉は大量だから、芝生とか管理のしっかりした庭では大変に手間のかかることを覚悟すること。
- 平坦地ではユリノキは花木としては期待できない。花は一〇年生ごろから咲き始める。花は木の上の方に上向きで咲き、しかも緑色をしているから、ほとんどの人は気づかない。しかし、近くで見ると、そのたぐいまれな美しさは息をのむほどだ。(この花を、切り花やフラワーアレンジメントの花材とするフロリストがいる)
- 花木として期待する時は、ユリノキを傾斜地や段差のある土地に花を見おろすように配植する。
- 花から蜜が多量にこぼれ落ちるので、植栽には樹下の利用に気をつけねばならない。花期に木の下に干し物をしたり、ファニチャー類を置かぬこと。とくに、駐車した車の洗車は厄介になる。
ところで、ユリノキの土壌についてだが、私のこれまでの経験からすると、有機質に富んだ土層の深いところを選ぶのは当然として、赤土などを盛り土したところでは、深さ六〇センチメートル、直径八〇センチメートルくらいの穴を掘り、山から運んだ黒土を十分に入れてやるのが理想的である。桑畑の跡地は枯れる危険がある。
水はけは良いに越したことはないが、乾燥しやすい場所より、むしろ湿りがちなほうを好む。とはいっても、地下水の高い場所では良い結果が得られない。
ただ、ユリノキは陽樹の仲間なので、日かげを嫌うが、半日かげ程度であれば、はじめの生育が遅れることがあっても、やがて陽光のあたる空間に頭を出すと、あとはメキメキと伸びて大きくなる。
植え穴には、かならず丈夫な支柱を立て、植え付け後は、根元やその回りを強く踏みつけないで、水だけはたっぷりと与えるのが活着させるコツである。ユリノキはゴボウ根だとはいうものの、植え付けして二、三年のあいだは、太いゴボウ根を出すための栄養を求めて、地表に近い場所へ盛んに側根を出すから、あまり周囲の土を踏みかためると側根の発生がおさえられてしまう。
このあとの管理は、ときどき水を与える程度でよい。
つぎに、ユリノキの若木で最も大切にしなければならないのは、最頂上枝の先端につく芽である。この最頂上の芽を傷めたり欠いたりしては、恰好のよいユリノキの仕立てが困難になる。
とくに寒地では、植えた年の初冬に、頂上芽より少し高めに添え木を結び、この上にビニール袋をかぶせて、冬期の寒さによる凍害から防いでやり、翌年の霜流しの雨がくるころにビニール袋を取り外す。このような手当ては、真冬の気温が零下五度以下になるところでは、かならず実行してほしい。
もっとも二年目からは、苗木も芽も丈夫になるので必要がなく、ビニールをかぶせるのは初年度の冬越しの一回だけでよい。
○北限および南限と適地
約六五年生だといわれるユリノキが、北海道大学農学部の附属植物園内にある。岩手県のユリノキにくらべて生育はかなり劣るが、幹の直径六〇センチメートル、樹高二〇メートルに達していて、六月下旬には毎年たくさんの花をつけ、訪れる人々の目を楽しませている。
しかし、この札幌より寒さの強い美唄地方は、ユリノキの半数が花を咲かせない。さらに寒気のきびしい釧路地方では、毎年、冬のあいだに枝枯れをしてしまうが、翌春になると枝の基部あたりからふたたび芽をふいて新しい枝を伸ばしている。これが繰り返される結果だと思われるが、コブだらけの大きい根株になり、それでもなお生命を絶つことがない。
以上のことから、東北地方では、標高五〇〇メートルあたりがユリノキの生育の限界線とみてよい。
ユリノキの暖地植栽だが、原産地のアメリカでは、カナダの国境からフロリダまでと分布地は広い。有名な海水浴場のマイアミがあるフロリダ州の北方の無霜地帯から、やや南下したあたりまでが、ユリノキの自然分布地域に入っている。
わが国では、宮崎県の都城市や小林市、そして熊本市内などに、りっぱに育ったユリノキを見ることができるが、その場所はいずれも、他の大木の多いお寺の境内とか、広葉照葉樹の周縁、風よけになってくれる建物の側面などに限られており、さすがのユリノキも台風の玄関番といわれる九州地方は苦手なようである。
また、ユリノキの適地では、大きい葉がよく繁るので、約五年を過ぎたころから、重さのため、強い雨や風で枝折れすることがある。この枝折れは、きまって下方部の枝に起きるのだが、枝折れと同時に主幹の樹皮まで大きく裂けてちぎれることが多いので、危ないと見たら、枝の根元から三分の二くらいの位置で、先端の枝を切り落としておくのが賢明である。
どうしても風が吹き抜ける場所に植えざるを得ないときは、寄せ植えするのがよい。寄せ植えにしたユリノキは、やがて互いに枝を組み、風に対する抵抗力をいっそう強めるのである。
前述した東京の新宿御苑のユリノキは、風が吹き抜ける広々とした芝生の庭園の真中に、三本のユリノキが二メートルから二・五メートルの近距離で不等辺三角形に寄せ植えされている。
これに反して、強風を受けとめてくれる丈夫な木や建造物があれば、それに越したことはない。この最高・完璧な条件を与えられているのは、上野公園のなかにある国立科学博物館のユリノキの右に出るものはない。南の方向をあけてコの字に並んだ洋風の建物に三方から囲まれ、太陽の光をふんだんにうけながら、広く大きく枝を伸ばしている姿は、まことに荘厳華麗である。
東北地方の農家の場合、昔に植えた屋敷まわり、とくに西北の風よけになってくれる大きな木のあるところなどは、ユリノキにはもってこいの場所と言える。
また、屋敷の庭や住居のまわりに植えるのはよいが、木が大きくなるにつれて起こってくるのが、日照問題である。
植えたのち五年目ごろから、最下部の枝からはじめて、順次上部に向かって切り落としをする。約八年目くらいで打ち止めとするが、この間に、窓辺であれば軒端あたりまで、二階建ての家では屋根すれすれまで切りあげて、そこに達するまでを一本の側枝もない幹に仕立てるのがよい。
庭園の場合は、いちばん丈の高い庭木の一・五メートルほど上までの下枝を払えば、庭木に日も当たるし、風通しをさまたげることもない。この仕立ては、期するところ、太陽の移動につれて日影が動き、同じ場所を長時間にわたって日光をさえぎらないのがねらいであり、このような一見無謀と見られる剪定にユリノキはよく耐えてくれる。
なお、子供たちの勉強部屋や老人の居間、主婦の働き場である台所、主人の書斎や応接間などに、夏の強い西日がさしこんで困っている家庭には、ユリノキの植栽をとくにお薦めしておきたい。
○防火樹としての効果と萌芽力
ユリノキは、若木のうちは樹皮が薄いので、火に対する抵抗力が弱い。直径三~四センチメートル以下のときには、ほんの軽い地表火にあっても致命的な被害をうける。
しかし、壮齢期になると、樹皮は三センチメートル以上と厚さを増し、激しい火災時にも良好な絶縁体の役目を果たすようになる。
わが国では、火の粉を防ぎ炎に強いといわれているイチョウが、昔から神社仏閣の境内に植えられてきたが、アメリカの報告によると、一般に広葉樹のほうが針葉樹にくらべて防火効果が大きく、なかでもユリノキの火災や野火に対する絶縁効果は目立って高いとされている。
つぎに、ユリノキが順調に生育しているときは、ほとんど根ぎわにおける萌芽は見られない。
しかし、主幹に大きい外傷をうけたり、風雪などで枝折れや凍害をうけたりした場合、要するに樹木の地上部と地下部とのバランスに狂いが生じると、さっそく地ぎわの幹の根元から不定芽の萌芽をはじめる。
しかも、どの芽も力強く伸び、その周囲のどのような競合樹木のそれにまさるほどの勢いをもっている。
ことに若木を伐採すると、すべての切り株のまわりから例外なく芽をふいて、その数が一〇本を超すことさえある。この芽をまた傷めつけると、翌年も新しい芽を増し、これを繰り返すとまるで籔のように密生する。このような性質は、五〇年以上を経たユリノキの壮齢木でも見られる。
また、幹から出る枝の根元の上下に、各一個ずつの潜芽を秘めているのも珍しい。小枝を伐り落としたり、小枝を途中から伐り除いたりすると、この潜芽が動き出してくるのも妙であるし、忘れたころ、思い出したように幹から小さい芽をふく。
よく調べてみると、この部分の多くは、過去において、そこから枝を出したことのある場所であるのも興味をそそられる。
どの木の枝でもそうだが、枝の先端を伐りとると急に脇芽が動き出して、やがて一人前の枝を形成する。ユリノキも例外でないが、苗木の時代に頂上枝が折れたり、凍害にあったりすると、休眠芽の潜芽が出て、これが二股の木となる原因をつくる。
この場合は、思いきって両枝を伐り、根元から新梢の発生をうながすのがよい。そして、数本の新梢のうち、いちばん元気のよい枝を一本残して、他をいっさい伐り除いてしまう。
これは、苗木づくりの技術では「伐り戻し」といわれるものだが、ユリノキの育苗に使ってよい技術である。この方法は根部にすこしも影響を与えないから、正常苗より勢いよく伸び、やがて追いついて見分けがつかなくなる。
ユリノキは通直幹が生命だからといって、小苗時代から剪枝を強くやって側枝を伐り落とすのは考えものだ。小苗のときには、頂上芽を大事に伸ばしながら、四~五年までは側枝も思いきり繁らせて栄養生長を促進させるのがよい。
ただ、植えた場所が肥沃なために繁茂し過ぎ、時には枝が葉の重さに耐えきれず、分枝点から欠け落ちることがある。このような場合に限って、側枝の先端部を適当に伐り除き、枝にかかる重さを軽減してやるとよい。
また、ユリノキの樹皮は縫合性が旺盛だが、これにもおのずから限界がある。
幹の直径が一〇センチメートル以上になってからの枝払いでは、伐り跡がコブ状になったり、茶釜の底のように周りが高くなったりして傷跡が残り、美観を損じる。
だから結論としては、ユリノキを植えてから四~五年ほどは頂上生長に主力をそそぎ、五~六年目ごろを見計らって自分の好む高さまで下枝を伐り落とし、そのあとは自然にまかせるのが最も上策である。
○枝折れ
柿は枝が折れやすい木だということは、多くの人が知っているであろう。わんぱく盛りの子供のころ、私もよく親たちから注意されたことを覚えている。また、柿は「実だけをもぎとるのではなく、小枝をつけてもぎとれば、翌年に実の成るのが多い」ということを、柿もぎにきた人から言い聞かされた記憶もある。
昔は、秋になると、柿の木のある家々をまわって歩き、柿もぎを専門にする人たちがいたものだ。その人たちが用いる梯子は、素性のよいまっすぐな長木に、上にいくにしたがって短い木串をかんざし挿しにした一本梯子で、これに竿梯子を使って安全を期し、小枝のこみあったところは、実を小枝ごともぎとっていた。
このような柿もぎを職業とする人は、柿の木のある家の人々からの信用も厚く、秋の仕事には事欠かなかった。そして、枝さきに少しばかりの実を残しておいて、初冬の寒空のなかを探し求めてくる鳥たちにご馳走してやるのも、趣のある風習だった。
たしかに柿は他の樹木にくらべて小枝は折れやすい。しかし、幹から出た太い枝の根元や、太い枝から分かれて、ある期間を過ぎたものは、その分枝点から折れることは、まずない。木登りして折れたりするのは、若枝や枯れ枝をよく見きわめないことにあった。
ユリノキは生育が速いだけに、小枝の折れやすさは柿にまさるとも劣らない。柿とちがって実を収穫するものではないから心配はないが、風害をうけやすい欠点をもっている。だから、潮風などをまともに受ける場所に植えるのは避けたいものだが、そうでない場所でも、暴風雨による枝折れが発生しやすい。
このように枝の強さに弱点のあるユリノキを上手に育てるのには、要領がある。結論から先にいうと「冬越しの枝は折れにくい」の一語に尽きる。
試みに、二度冬越しをした前々年の枝は、たとえ小枝であっても非常にしなやかで強く、これを樹皮が破れて材の組織が砕けるほど極度に折りまげても、ちぎれることはない。また、どれほど下方に引いても、幹あるいは太枝の付け根、つまり分枝点から分離することがない。要するにユリノキの上手な仕立て方は「年越しの枝を持たす」ことであって、自然仕立てが最上なのである。
孤立して育ったユリノキの自然な樹形はピラミッド形で、放っておくと、この形をくずさずに生長する。そして、地上に近いいちばん古い枝が、その上のより弱い枝を支えるという具合に、木全体として常に枝に切損のない伸長をとげてゆくのである。こうしたユリノキ自身の生育の形を、人間が鋏や鋸を入れるからいけないので、すべて自然の手にゆだねるのが最上の方法といえるだろう。
しかし、ユリノキの緑陰林や並木づくりでは、幹が地上近くのところで二股になっては面白くない。このような場合にかぎり、高さが一~一・五メートルの幼苗の時代に一本仕立てにするだけで、あとは伸びるにまかせることがいい。そして、四年か五年を経過したときに、所定の高さで、下のほうの枝を幹の根元で剪除して、地上第一枝を決めればいい。
ユリノキの幹の通直性をはじめから出させようとして、植栽の年から側枝を切り除くことは、葉の面積が切られた分だけ少なくなって木の勢いが弱まり、根も十分に発達しないことになる。
ただ、ここで注意しておきたいのは、非常に肥えた土地では、植栽して五年か六年を経たころに、たまに幹の上部が同じ太さの二本に分かれることがある。これを放っておくと、暴風雨がおとずれたとき、真っ二つに幹が割れることになる。したがって、このように二本に分かれた幹は、見つけしだいにどちらかを幹の根元で伐り落して一本だけ立て、将来の主幹にする配慮が必要である。
○冬の小苗管理法
一年生のユリノキの小苗を仮植した年の冬、きびしい寒さのために、頂芽が凍傷にあったり、枝の先枯れが生じたりすることがある。冬の終りごろに雨で濡れたまま夜を迎え、夜間に気温が急に下がって氷に包まれるような状態のつづくとき、とくに被害が多い。
最頂上の芽や小枝が枯れると、その後の樹形が著しく損なわれて、ユリノキの最も美しい特長といわれている「幹の通直性」を保てなくなる。
このようなときは、早春に思いきって切り戻しをする。
切り戻しをした小苗の根元からは、新しく数個の芽が発生する。このうち、最も丈夫なものを一本だけ残して、他の芽をすべて切り落してしまう。
岩手県は桐材の産地として名高いが、キリ( Paulownia tomentosa Steud. =ノウゼンカズラ科 ※原文ママ)の育苗期に、障害をうけて通直に育たないものが発生する。これらを転び苗といって、いままでは廃棄していた。しかし、翌年に根際部から切断(台切り)して植え替えをすると、根張りのよい、がっちりとした苗木となる。
ユリノキの小苗の台切りも、この理屈に合っているのである。また、東北地方の北部では、小苗のころに頂芽の寒害にあうことは、いちおう覚悟しておく必要がある。
つぎに、芽の強弱に関係のある剪定だが、原則として幼齢のときには枝下しをしないのがよい。大きい葉をつける植物はどれでもそうだが、根張りが十分でないうちは葉の大きさをみずから制し、根からの養分吸収力が整えられるにつれて葉の大きさを増し、光合成を盛んにすすめて木全体が健やかになってゆく。
ユリノキも例外でない。小苗の下枝を強く剪定すると、幹のあちこちから不定芽が動きだす。また、定植して一〇年を経たユリノキを強く剪枝すると、キリの葉ほどの驚くような大きい葉を沢山つけて、よく張った根部とのバランスを保とうとする性質が見られる。いずれも、葉部と根部との調整現象に外ならない。
極端な例では、壮齢木のユリノキの周囲を所かまわず舗装したりすると、枝枯れが目立って増加し、かなり大きい枝までが枯れて危険視されるような場合も出てくる。
この現象も、ユリノキ自身が根と地上部とのバランスを保つための自衛力の現れで、みずから地下部の悪条件を補正することを地上部に強いたものにすぎない。
いつだったか、ユリノキの並木づくりの議論があったときに、反対論者のひとりが、得々として「ユリノキは大枝を枯れ落とすので、危険きわまりない樹種である」と、数年前に回りを舗装したユリノキ並木を例に挙げてまくし立てるのを聞いたことがある。おそらくその方は、樹木がこの世に生きるために備えている条件変化への自然対応の力を知らなかったのだろう。
要するに、苗木の剪定は、樹液の動きがまだ始まらない早春がよく、それも枝が混んでいる部分を軽く取り去る程度でとめておくのがいい。
さて、この項では、剪定、つまり「枝伐り」、「枝下し」による枝抜きについて触れたが、そのつど、伐る部位について「幹の根元より伐り落す」と書いた。
その理由は、枝を残して伐ると幹皮の縫合が進まないからだ。そのうちに伐り残された枝が枯れ、やがて腐敗がはじまり、ここから病菌類が幹の木質部に侵入する。これを防ぐためなのである。要するに、樹皮の縫合に邪魔しない伐り方を行うことに尽きる。
ところで、早く木を大きく育てようとして追肥を施すのは悪いことではないが、問題はその時期である。夏を過ぎてからの追肥は、冬芽の越冬力を弱めるので面白くない。とくに、秋口に窒素質の肥料を施すのは、越年中に冬芽の枯れが目立つことから、絶対に避けていただきたいと思っている。
○アメリカシロヒトリ
わが国の樹木を害する昆虫のなかで、最も恐れ嫌われているのは、何といっても緑の大敵と言われるアメリカシロヒトリ( Hyphantria cunea Drury )であろう。
最近、被害が下火になってはいるか、このアメリカシロヒトリは、昭和二〇年(一九四五年)の夏、太平洋戦争の終結とともに、米軍の軍需物資のなかに潜んで上陸してきた恐怖の害虫である。それ以来、侵害のほこ先をゆるめることなく、二〇年後には二二都府県にひろがって、行くさきざきで緑の木を片端から丸坊主にした。
ここで二つばかり、ユリノキとアメリカシロヒトリにまつわる話を紹介しよう。
ユリノキも例外でなく、アメリカシロヒトリによる被害植物のなかに加えられてはいるが、「たまに被害をうけることがある」という、ただし書きが付いての話である。
一つは、横浜市の記録である。同市に植えられている街路樹のうち、ユリノキは三九一六本を数える(昭和四二年調べ)。
市の公園課の調査書によると、昭和四五年の夏は被害が目立って多く、「街路樹のうち、全葉の九〇パーセント以上をアメリカシロヒトリに食い荒らされたものは一八〇〇本に達した」とある。しかし、このなかに「ユリノキの被害樹は一本も含まれていなかった」との注記があった。
これについて、同市の担当係長は「市では今後の植栽樹は雑多な種類を選ばずにユリノキを優先していく」と言うのである。
つぎに、元岩手県林木育種場の八重樫良暉場長が、岩手日報の随想欄に寄せられた『アメリカシロヒトリ』と題する一文を紹介しよう。
ふと、ことしの日記を開いて見ると、七月三日・日曜、ヤナギ、ベンケイソウの葉についたアメリカシロヒトリを捕殺。また、八月二八日・日曜、二度目の発生、ドウダンツツジ、ラクウショウ(落羽松)で捕殺するとある。手入れといっても、あまりやっていない雑木林のような庭なのだが、一年を通じて気になるのは、このアメリカシロヒトリである。(中略)北上市のわが家の庭で見付けたのは三年前のことである。その年は目についた幼虫の集まりを、葉とともにもぎ取って退治したつもりだったが、高い木にいるのは見落してしまい、大きく育った毛虫が分散して、そばにあるハクサイまで虫だらけになってしまった。
毎年の年中行事として虫退治を繰り返していると、木の種類で全然虫のつかない木もある。それは、松やヒノキなどの針葉常緑樹は当然としても、ラクウショウの葉とよく似ているメタセコイアと、落葉樹ではハンテンボク、つまりユリノキである。
この木だけは、虫さがしをしないでもすむ木のようだ。
この二つの事例にしたがえば、ユリノキとアメヒトとは、どうやら相性が悪いらしい。この辺の事情を、いま少し科学の分野で知りたいと思って、県の農業試験場で昆虫の研究をするかたわら、『岩手の動物たち』と題して月刊誌に健筆をふるっている阿部禎専門研究員を訪れた。
蛾や蝶は、すべて触角の基部に臭覚を感じる特別な組織をもっていますが、この組織と、ユリノキの匂いに、関連があるかも知れません。
昆虫生理の分野で被害植物をテストするときは、蛾や蝶を自然環境から分離し、検出する植物の葉とともに箱のなかに入れて産卵させ、孵化した幼虫が葉を食うかどうかで決めています。ユリノキが、アメヒトの被害樹だとされているのは、そのケースに属するものかも知れません。
ですから、親である蛾の触角(アンテナ)がどうかしていて、ユリノキの葉に産卵したとすれば、孵化した幼虫たちは生きるために、どうしても孵化した場所の葉を食わないと命を失います。
この答えに、私はただ、なるほどと言って退散したが、要は、アメヒトは特殊な場合を除き、ユリノキの葉には好んで産卵しない。その原因はどうあれ、ユリノキは、アメヒトから見れば好ましくない存在のようである。ユリノキにとっては、好かれなくて幸いというものだ。
その後のアメリカシロヒトリの足取りを見ると、岩手県では盛岡市の北方滝沢村あたりでストップしているし、秋田県でもその分布は以前とほぼ同じ範囲で足ぶみしている。
今はほぼ分布の安定が保たれた状況、あるいは下火に入ったと見られているようである。
毛藤勤治 著 / 四手井綱英・村井貞允・指田 豊・毛藤圀彦 寄稿
四六判 / 並製 / 304頁(カラー24頁) / 定価1,885円(本体1,714+税)/
ISBN4-900358-23-1
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