六、新宿御苑のシンボル
○御苑の来し方
わが国の広大な洋風公園である新宿御苑は、その面積が約六〇万平方メートルと広く、中央に広々とした芝生の広場が設けられていて、ここを訪れる人々にとってまたとないゆったりした気分に浸ることのできる憩いの場所として親しまれている。
御苑は、もと信州高遠の藩主だった内藤侯が徳川幕府から拝領した邸地と、同藩の下屋敷があった跡地を、明治五年(一八七三年)に維新政府が接収したものである。ここを内務省の所管として、いまの農業試験場にあたる勧農寮新宿農学所を設け、農業振興のための研究機関とした。
明治一二年に至って宮内省に移管し、名も「新宿植物御苑」と改められ、茶畑・桑園・水田などをひらいて総合農事試験場としての充実が図られた。明治二六年になると園芸の研究に主力を置くことになり、促成栽培や温室栽培についても高度な研究が始められた。そのなかではキクとサクラの研究成果に著しいものがあった。
明治三三年、宮内省は新宿御苑のいっさいの業務を農務省の西ヶ原国立農事試験場に移し、苑内を改装して西洋庭園と日本庭園とに区分する計画を決定した。翌年に同苑の福羽逸人と市川之雄とをフランスのベルサイユ園芸学校に派遣し、造園学の世界的権威であるアンリー・マティネー教授のもとで造園技術の修得を図るとともに、御苑の設計指導を受けた。そして、翌々年に二人の帰朝を待って大がかりな改装工事に取りかかった。工事なかばで日露戦争が起こったが、工事は中断されることなく進められて明治三九年に新装を完了し、いまのような新宿御苑に生まれ変わったのである。
○寄せ植えした三本
洋風庭園には中央に芝生の広場を設けて、その中心部に三本のユリノキを寄せ植えし、この近くを通る道路のそばには欧風のガス燈の鉄柱を建て、要所にベンチを配置した。
寄せ植えした三本のユリノキは、現在は優に三五メートルを超え、幹の胸高直径は平均で九三センチメートルに達し、その枝下直径は二五メートルに及んで、まさしく御苑のシンボルの木となった。
新宿御苑とユリノキとのかかわり合いは明治八年に遡る。植物界の最高権威者伊藤圭介が、教育学者の米人モレーから贈られたユリノキの種子を自宅で実生によって育苗し、これを新宿農学所に植え付けしたことに始まるから、御苑の大改装時には樹齢三〇年に近い壮齢木となっていたはずである。
改装以前の御苑内にユリノキが何本あって、どの場所にどのように植えられていたのかは全く不明なので、シンボルとなっている三本のユリノキの由来については推量の域を出ないが、思いつくままに述べてみよう。
もともと今の場所にユリノキの小林分があって、福羽たちが持参した苑内樹木現在図を見たマティネー教授が、その中から三本を選び、不等辺三角形の頂点の位置にそれぞれ一本ずつを残して、他を除伐するように指導したのかも知れない、と考えるのが一つ。いま一つは、当時、一〇年の歳月をかけて明治四三年に完成した赤坂離宮(現在の迎賓館)の、正門から赤坂見付までの沿道の一四四本のユリノキによる両側並木は、すべて新宿御苑で計画的に育成した実生苗木であったことから、広場の芝生中央に植えた三本は、御苑で育てたユリノキの幼苗を定植したものに違いない、という見方である。
どちらが事実なのか、証明する資料に乏しくて明らかにできないのは残念だ。ただ、寄せ植えの方法をとったのはマティネーの指導によるものに間違いないと思う。というのは、まともに風が吹きつける場所に大樹を仕立てるときは、ユリノキに限らず、陽樹の場合には三本を寄せ植えにする。これが欧米における造園学上の基本的な考えとなっているからである。
このような基本的な考え方は、天然林の周縁木を観察して得たものとされている。天然林の周縁部といえば、山が崖のそばまで迫っているあたりか、丘が渓谷か河岸まで近づいて急に切れている所が多い。ここはだいたい空地であって、きわめて陽当たりは良いが、同時にまた、風の通り道でもある。
ユリノキや、ユリノキのように陽当たりを好む木は、このような所に自然下種によって数本またはそれ以上が集まって苗立ちし、互いに枝を組み合わせて風害を避けながら生育を続ける。そして、この生育の途中で、たかが数本の株なのに、とても考えられない厳しい自然淘汰、つまり自然による選抜が行われる。これもユリノキが生来の陽樹だからであって、お互いが影にならない位置を占めたもの、不等辺三角形の頂点にある三本だけが、結局は成木として生き残ることになる。
要するに、環境に順応し得る位置を占めたものだけが生きながらえて、種族存続の役割を果たすのである。この自然の理法を欧米の造園学が取り上げて学理の一つとした。
寄せ植えという言葉に出会うと、私はいつも毛利元就の『三矢の訓』の説話を思い出す。
戦国時代の武将毛利元就はある日、長男の隆元、吉川氏への養子とした元春、小早川氏への養子とした隆景の三人を一堂に集め、矢を一本ずつ手渡して「一本の矢は折るに難くなしといえども、三矢を寄せるときは、もはや折るることなし。三兄弟は一束の矢となりて家名存続に大いに力をいたすべし」と諭した故事を……………。
いま、夏のころに新宿御苑を訪れると、広大な芝生の中央で空を掃くように高く繁ったユリノキが、遠くの超高層ビル群を背景にしてまるで一本の木のように目にとまる。この木の近くを通らなかった人々の多くは、新宿御苑のシンボルの木が三本のユリノキの寄せ植えであることに気づかずに、一本の巨木の印象を抱いたまま帰路につく。
毛藤勤治 著 / 四手井綱英・村井貞允・指田 豊・毛藤圀彦 寄稿
四六判 / 並製 / 304頁(カラー24頁) / 定価1,885円(本体1,714+税)/
ISBN4-900358-23-1
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