五、ロウソクノキの林
○紺野ツマさんの林
岩手県内のユリノキについて、私が調査をはじめて数年を経た昭和五七年現在で、樹齢一五年以上と思われるものは一二八〇余本を数え、その植栽地は八〇余カ所に及んでいた。したがって一カ所の平均植栽本数は一六本となる。なお、これらのうち、樹齢五五年を超えるものはわずかに一〇〇本余り、植栽地は二〇カ所という状態であった。
このように、樹齢五五年以上の数少ない県内のユリノキのなかで、その半数に近い四〇余本が一カ所に集まって、小さい林分をつくっている場所がある。
それは、江刺市田原町横懸五四番地の紺野ツマさん宅の裏山で、江刺市を起点とする大平線根本町ゆきのバス路線の、分限城停留所から東南の方角に約六〇〇メートルをへだてた地点、その付近一帯は、松林に覆われたゆるやかな小高い尾根の中腹である。
この林分が造成された経緯を知るためには、大正一〇年ごろまでさかのぼらなくてはならない。
紺野ツマさんの夫の良光さんは明治三三年に生まれ、養蚕学校を卒業した二二歳の秋に、四つ年下のツマさんを妻として迎えた。その翌秋、良光さんは養蚕の実技を学ぶために福島県の三春へ二年間の修業に出かけた。そして、大正一〇年の秋、研修を終えて帰宅した良光さんは、土産だといって風呂敷に包みきれないほどのユリノキの種子を持ち帰ったのだった。
庭先に苗床をつくって播いた種子からは、約六〇本ほどのユリノキが芽生え、その稚苗を畑の隅に仮植して、一メートルくらいまで育ててから、近くに住む親類の紺野トミ子さんの手伝いも得て裏山に植えたのは、大正一一年の早春だったという。
数年前の晩秋に、私は紺野ツマさん宅を訪れて、次のような話をうかがうことができた。
植えてから二、三年ほどは、自然に生えてくる雑木などを除いていましたが、主人が病弱でとても手が回らず、とくに一〇年目に主人が亡くなってからは、野放しの状態でした……。私はこの木の名前を知らないので、最初はただ〝裏の木〟と呼んでいました。手入れをしないうちに色々な雑木、とくにクリの木が何本も入ってきましたが、裏の木はそれらに負けずにどんどんと伸びて、毎年美しい花をつけるので、近所で評判の木になりました。
私の家に最も近い木は、日当たりがよくて目立って大きくなり、胸の辺まで枝先が垂れさかって、小枝の先につく蕾のときも、咲き終ったあと種子になっても、たくさんの蝋燭を立てたようでした。それで、この木の名前を“ロウソクノキ”と呼ぶことにしたんです。
昭和三八年の暮れに、県の林業試験場の技師さんが調査にきて詳しく調べたあと、「こんなに集まって林になっている所は、岩手県内でほかにないから大事にしてください。林の中のクリを伐ると、もっとすばらしい林になりますよ」と言って帰られました。また、その翌々年に役場の方が見えて、木材を調べたいというので、比較的大きいものを何本かお譲りしました。数日後に、木のお礼だからと、一本当たり一万円に相当する金額を置いていかれました。ロウソクノキがこんなに値打ちのあるものかと驚きながら、さっそく主人の仏壇に供えて、そのお金で、林の中に混じっていたクリの木全部を伐り出し、久しぶりで裏の林の手入れをしました……。しばらくして役場から「木材について調べた結果、とくにろくろ細工用の材木として優秀で、肌も色着きも申し分がなく、立派なものだ」との話を聞きました。
それから、昭和四〇年の夏でしたが、家の近くで丸焼けの火事がありましたとき、裏の林の木を伐って火事見舞いとして差し上げたことがあります。その家を建てた大工さんと五、六年して会いましたが、「伐り倒したときが葉の繁っている時期だったし、乾燥が不十分だから割れが出たが、乾くと案外に固くなって、梁や棟にしたものは杉や松などと同様に立派に役立っています。それに、鋸でひきやすいし、鉋がよく効き、のみを使うほぞ切りも容易であるばかりでなく、釘持ちもよい」と、ほめていただきました。
○半世紀後のみごとな林分
ツマさんはロウソクノキについて話し終ったあと、裏手の小林分を案内してくれた。
植栽してから半世紀を経ている林、しかも一度も間伐の手を加えていないこの林分は、肥大生長のチャンスを失い、ひたすら伸長生長だけによって生き続けてきた。周縁の木は生育もよく、密生していたが、中心部に進むにつれて幹が細長く、立木密度も疎になって、樹木の生長と陽光との関係、樹木間の陽光の奪いあいなど、自然のもとで続けられた長年の競合の結果をはっきりと物語っていた。
いま残っている四一本の主林木の間にはさまれながら散在し、主林木の半ばにも達しない被圧木にされた仲間のユリノキは、それでも主林木と同じく細い電柱のようにまっすぐに立ち、ひねくれた姿をしているものは一本もない。
細い被圧木化したユリノキを見上げながら、もっと早期にクリの木の除伐を行い、さらに適期にユリノキの間伐を行っていたら……と、私は予測できるユリノキの林を心に思い描いて、しばらく林の中に立ちつくした。
やがて、林から出てきた私を迎えて、ツマさんは付近の松の丘陵を見回しながら、ひとりごとのように言った。
ここから種子が風に乗って飛んだものか、それとも、この周囲に出る苗木を持って行って植えたものか、どちらか分かりませんが、ご覧のとおり、付近の松林のなかに育ったロウソクノキが黄葉していて、その黄色がはっきりと見分けられます。この季節になると、いつもここに立って、今年はあそこまで広がって行ったなぁと、確かめることを楽しみにしているのですよ………………。
そう言いながら紺野ツマさんの指差すあたりには、遠くまで黒々とつらなる一面の松林のそこかしこに、まぎれもないユリノキの黄葉した樹冠が輝き、折からの夕日に美しく映えていた。 昭和三八年の調査は、岩手県林業試験場高野徳明育林部長と堀田成雄技師によって行われたもので、その結果は、同場昭和三八年度業務報告第一五号九四~一〇〇ページに報告されており、概要は以下の通りである。
・調査日 昭和三八年一一月二〇日 ・標高 一二〇メートル ・土壌酸度 五・二 ・樹齢 四二年 ・植付間隔 二・五×一・五メートル ・面積 五六〇平方メートル ・主林地本数 四三本 ・被圧木 一八本 ・林内のクリ本数 約七メートルのもの一六本 ・平均胸高直径 三二・五センチメートル ・平均樹高 二五・六メートル ・標準木の幹材積 〇・八立方メートル ・樹間投影面積 一六・八平方メートル 【調査結果】
- 造林地は〇・一ヘクタール当たり四四四本植えで、過密な立木分布状態である。植栽後は自然の成り行きに任されたため、林縁および林縁より第二列目が厚く、中心部に欠損したる大きな穴が目立ち、造林地としての意味が薄まっている。
- 土壌条件が悪いこの付近の、植栽四〇年後のアカマツの蓄積量が一ヘクタール当たり一五〇立方メートルなのに比べて、成長が非常に良く、四・一倍の六一六立方メートルである。
- ここの土壌は、表層近くに鉄分の多い盤層が現れて非常に堅いが、ユリノキの根は、このような嫌気的な土のところへも伸びている。
- 樹幹は、いずれも通直で枝下高が長く、樹冠の小さいのが特長である。
毛藤勤治 著 / 四手井綱英・村井貞允・指田 豊・毛藤圀彦 寄稿
四六判 / 並製 / 304頁(カラー24頁) / 定価1,885円(本体1,714+税)/
ISBN4-900358-23-1
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