詩は私のような愚か者がつくる
しかし樹は ただ神のみがつくりうる――。
ユリノキの古里は北米大陸のアパラチア山麓にあって
詩人ジョイス・キルマーの愛した森だ。
開拓とユリノキ天然林の結末を
一篇のファンタジー「チューリップの木の花かご」からはじめる。
一、チューリップの木の花かご
今から一二〇年ばかり前のことです。
アメリカのペンシルベニア州の東海岸から五〇キロメートルほど入ったところに、ランカスターという小さな町がありました。
この町のはずれに、ことし一〇歳になるリッキーという元気な子供がいました。リッキーのお父さんの名はロバート、お母さんの名はテニーといいました。
リッキーの家には、もう一人、昔から働き手として雇われているカールじいやがいます。
リッキーのお父さんは養蜂家だったので、蜜蜂たちが住む巣箱を家のまわりにいっぱいおいていました。
春がやってくると、雪の下で冬を越したナタネの黄色い花が畑をおおい、町の人たちの家の花壇にもいろいろな美しい花が咲きみだれました。また、近くの森や林のなかの木々もたくさんの花を咲かせます。そして、リッキーの家の蜜蜂たちはいっせいに飛び立っていって、おいしい蜜を巣箱に運んできました。
しかし、ランカスターは一年ごとに町に住む人がふえて、森や畑は、住宅になり、工場がたち、黒い煙を吐きだす煙突が立ちならぶようになりました。町が大きくなるにつれて、リッキーの家の蜜蜂が集めてくる蜜は、毎年のように少なくなるいっぽうでした。
ロバートとテニーは心配顔で話し合いました。
「こんなことになってきては、もうこの町で蜂を飼いつづける仕事ができなくなるなあ」そうロバートが言うと、テニーも悲しげに、
「といっても、亡くなったお父さんが残した蜜蜂を、ここで捨てるわけにはいきません。どうしたらいいのかしら………」ロバートは妻に向かってきっぱりと言いました。
「もちろん、この仕事をやめるわけにはいかないんだよ。蜜蜂たちが思いきり慟いてくれるような土地を探そう、テニー」花の多い四月と五月が過ぎました。蜜蜂たちが集めた花蜜は、去年にくらべて半分にも達しませんでした。
カールが巣箱の手入れをしながら、ロバートに話しかけました。
「ことしの花もおわったというのに、このしまつでは、ここはもう蜜蜂の住む場所じゃありませんな。こうなったら、巣箱をここより高い土地の森のなかに移して、遅れて咲く花の蜜を集めること、これしかない……、そう思っているんですがね」
「そうだ。私もそう考えていたんだ」このときです。山のように荷物を積んだ二頭立ての馬車が近づいてきました。
「やあ、ロバート、カール、いつも元気で、いいなあ」この老人は毛皮商人のデックでした。
ここランカスターの町から、さらに七〇キロメートルも奥によこたわるアパラチア山脈には、野生の動物を追う狩人たちがいます。デックは、その狩人たちから買い取った野牛や鹿などの毛皮を売るために、フィラデルフィアにある毛皮市場へむかう途中でした。
デックは、ロバートの亡くなった父親の昔友達でしたから、そのころの思い出話を聞くことをロバートもカールも楽しみにしていました。その夜もデックを囲んで思い出話がはずんでいました。
そのうちロバートがデックに、ランカスターが養蜂家の住む場所でなくなったことや、蜜の多いところを探して移ろうと思っていることなどを相談しはじめました。
すると、デックがどこか遠くを見ているような目をして語りはじめました。
「二日前だったよ。長々とつづく大きい森の途中で、疲れた馬を休ませていたんだ。……よく晴れていて、とても静かな昼だったな。と、わずかな風が、私のまわりに、とてもよい香りを運んでくる……。それが、あんまりいい匂いだったから、どの木の花の匂いかと探しはじめたんだ……。香りの花を探しあてるのに苦労しなかったね。山道のすぐ近くに、あまり目立たないがチューリップの形をした花をたくさんつけた、大きな木があったんだよ」カールは、いきなり体を乗り出して言いました。
「それはチューリップの木だ」
「そこは、オハイオ川の本流にサンデー川が合流するあたりでな。付近一帯はなだらかな、広い森におおわれていて、その近くには狩人たちの仮小屋があるんだ……。そこからランカスターに向かって馬の足で二時間くらいの間には、山道の両側にも、その奥のほうにも、同じ木があっちにもこっちにもあるんだな。それはいま、カールが言った、チューリップの木なんだろう。……というのは、ほかのどんな木よりも、この木は高く伸びているから、一目でそれとわかるんだよ」いつか洗いものをすませたテニーもその話を聞いていました。
次の日の朝早く、デックは別れをつげ、フィラデルフィアに向かいました。
それを見送ったロバートは、急いで旅の支度をはじめました。
「いまからサンデー川に出かける。四日もしたら帰ってくるから、蜜蜂の世話はテニーとカールに頼んだよ……。さあ、リッキー、私のそばに乗るんだ」ロバートとリッキーがサンデー川の合流点の近くに着いたのは、翌日のちょうど昼ごろでした。デックの話のとおり、今を盛りと咲きはこっているチューリップの木の花が、あたりいっぱいによい香りをただよわせていました。すこし奥のほうに、狩人たちの丸太小屋がポツンと建っているのが見えました。
ここに積んできた巣箱をおろして、出入口を次々に開けました。蜜蜂たちは、いっせいにチューリップの木の花に向かって飛び立っていきました。
あとは、甘い蜜をたくさん集めて、花から帰ってくる蜜蜂たちを待つだけです。ロバートは、蜜蜂たちが巣箱に帰ってくる様子をよく見るようにとリッキーに言いつけて、奥の丸太小屋に出かけていきました。
しばらくして、丸太小屋からロバートの帰ってくる姿が見えると、リッキーは大声で叫びながら駆けよりました。
「お父さん! 早くこっちへきて、見て! 蜜蜂たちがさっぱり帰ってこないの……」驚いてロバートが巣箱の中をのぞくと、リッキーの言うとおり、巣箱にはいつもの半分しか蜂がもどっていません。
「夕暮れまでには、みんな帰ってくるだろうよ。それまで待つことにしよう……」
と、リッキーは何を考えたのか、いきなり走り出しました。
「何をするんだ! どこに行く、リッキー!」リッキーは走りながら大声で叫びました。
「蜜蜂を探しに行くんだ!」リッキーがめざしたチューリップの木は、大人が二人で手をつないでも抱えきれないような大木でしたが、幸いなことに、リッキーの太ももほどもある太いつる性の植物が、根元から巻き上っていました。
リッキーは、いちばん下の枝の分かれめまで太いつるの幹を登りつめると、こんどは枝をまたいで、小枝のほうに進んでいきます。
「リッキー、あまり先のほうまで行かずに戻るんだぞ!」すると、葉かげからリッキーの叫ぶ声が聞こえました。
「お父さん、蜜蜂たちが、花の中でおぼれているんだ。花の蜜が、体や羽根にベタベタとくっついて、花の底からはい出せないでいるんだ!………」太陽が落ちて、あたりはだんだん暗くなりはじめました。ロバートとリッキーは、巣箱のふたを開けて中の様子を調べはじめました。巣箱にもどっている蜜蜂は多いものでも半数くらいでした。二人はがっかりしましたが、それでも最後の一箱まで調べてみることにしました。
あと数箱で終ろうとしたときです。「これも、だめか」と思いながら箱のふたをとるなり、二人はびっくりしました。
その箱の蜜蜂たちは、全部巣に戻っていて、元気に体を寄せ合っているのでした。
すぐに、ロバートは巣板の一枚を取り出して調べました。ランカスターで蜂たちが集める蜜にくらべて、はるかにすばらしい花蜜が巣板にいっぱい詰まっていました。
ロバートは、傍らのリッキーの手を固く握りながら、
「よし、わかった! このあとは、この巣の中の蜜蜂を増やしていけばいいんだ!」
と力強い声で叫びました。
「ここが、これから私らの暮らす場所だ。さっそくテニーとカールを呼びよせて、家を建てる仕事から取りかかろう」やがて、ロバートたちが新しい家づくりをはじめると、近くの狩人たちは、斧や鋸などを用意しておおぜいで手伝いにやってきました。
男たちはさっそく仕事にかかり、森の奥深くに、木を切る音がこだましてひびきはじめました。それから三日目には、木の肌も美しい丸太小屋ができあがりましたので、お祝いをすることになりました。
テニーは、ここでとれたチューリップの木の花蜜を使って、料理の支度にとりかかりました。男たちは、小屋の中に張りめぐらす小旗づくりをはじめました。
リッキーは、何を考えたのか、だれにも知られないように外へ出ました。
しばらくして帰ってきたリッキーは、小枝つきのチューリップの木の花を両手に抱え切れないほど持ってきて、台所にいるテニーを喜ばせました。
やがて、美しく飾りつけた部屋の中央のテーブルには、テニーの手づくり料理がならび、一同は明るい顔で席につきました。
このとき、テニーがロバートに、なにか耳打ちをしました。すると、ロバートは笑顔で立ちあがり、リッキーの手を引いて台所に行きました。
少しの間をおいて、チューリップの木の花をいっぱいに盛った大きい花かごを持ったリッキーがニコニコして入ってきました。皆がいっせいに拍手で迎えました。
花籠がテーブルのまんなかに置かれると、楽しい食事がはじまりました。
二週間ほどたったある日、ロバートはカールと二人で森の中に出かけました。チューリップの木の花がおわったあとが心配だったからです。森には、あまり品質の良くない蜜を出すクリの木の仲間がわずかにあるだけで、奥深く入るほどチューリップの木が多いので安心しました。
なおも進むと、少し樹木がまばらになっている森がつづいていました。このあたりの木と木の間には、これから秋までの季節に次々と花を咲かせる丈の低い木や、つるを出してこれにからむ植物が一面にはびこっていました。さらにうれしいことには、このあと、あとからあとからと咲くさまざまな小さな草花が地面をおおっていたことでした。
二人は喜び勇んで引き返しました。
ロバートは、心配しながら待っていたテニーとカールに森の様子をくわしく話して聞かせ、皆でいっしょに喜び合いました。
ロバートは、チューリップの木の花蜜を集めるのが上手で、病気にも強い蜜蜂の群れづくりの研究に取り組みました。リッキーもカールも一緒になって手伝いました。そして、ロバートたちの蜜蜂とチューリップの木の花蜜とは、いつのまにか人々の評判になって、養蜂家や蜂蜜屋たちが遠くからわざわざ蜂群や蜂蜜を買いにくるようになりました。
毎年、チューリップの木の花が真っ盛りになる六月、ロバート家では丸太小屋が出来上がった日を記念してパーティを開きます。このパーティでは、いつもチューリップの木の花を、大きいかごいっぱいの盛り花にしてテーブルを飾るのでした。
いま、ペンシルベニア州をはじめ、アパラチア山脈をとりまく広大な地域にひろく飼われている蜜蜂たちは、ロバートとリッキーとが一生をかけて改良したものだといわれています。
毛藤勤治 著 / 四手井綱英・村井貞允・指田 豊・毛藤圀彦 寄稿
四六判 / 並製 / 304頁(カラー24頁) / 定価1,885円(本体1,714+税)/
ISBN4-900358-23-1
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