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閉鎖花というもの

ふつうの植物の花には、萼、花弁、雄蕊、雌蕊がある。花が開くとこれらが開放し、外気にふれる。雄蕊からでる花粉が雌蕊の柱頭に達すると受精がおこり、実を結び、種子が成熟する。同じ花の雄蕊の花粉が雌蕊の柱頭につくこともあるが、これは極めて稀で、一般には、風とか、昆虫、かたつむり、鳥などの動物、または水などによって他の花の花粉が他の花の雌蕊の柱頭にはこばれ、受精がおこる。

ところが、ある特殊の植物群では、花が全く開かずに、雄蕊も、雌蕊も外気にふれないで、いいかえるとつぼみの閉ざされた内部で、雌蕊の柱頭が花粉をうけて受精がおこり、結実し、種子ができる。このような花を閉鎖花あるいは単に閉花といい、そのなかでおこる受精を閉花受精という。これに対してふつうの正常花を開花、その受精を開花受精という。

閉鎖花の現象はすでに十七世紀ごろから知られ、植物界に五〇科ぐらいにわたって報告されている。非常によく研究された群に、タネツケバナ、カタバミ、スミレ、ハコベ、オドリコソウ、イグサ、ツユクサ、イネなどのなかまがある。

日本で閉鎖花を観察するに都合のよい植物はスミレ属である。日本に自生するスミレ属は五〇種内外あるが、その大部分は閉鎖花をつける。スミレ属の正常花の花季は三~六月であるが、種類により、また生育地によりちがいがある。開花期間の長短も種類によっていろいろである。閉鎖花は正常花が終るころからあらわれはじめるが、その出現する期間は種類により長短がある。タチツボスミレやその近縁種では、正常花がすんだ後、夏から秋までつぎつぎにでてくる。

スミレ属の閉鎖花は五枚の萼片につつまれていて、正常花のつぼみより細くとがっている。これを解剖してみると、花弁五個のうち一〜三個は発達しているが、他のものは萎縮するか痕跡だけをとどめている。雄蕊も五本のうち三本は大抵は萎縮し、花粉のできるものは下方の二本だけである。雌蕊も正常花のものとちがい、花柱は短く彎曲し、柱頭は単一で下向きに開口し、雄蕊の葯の上部に密接している。花粉は葯のなかで発芽し、花粉管はのびて葯の上壁を破って柱頭に達しめしべの内部にはいりこむ。正常花では、花粉は一たん外気に放出されてから柱頭に運ばれるが、閉鎖花では花粉は単刀直入、自力で柱頭に達するのである。

したがって、閉鎖花では、自花以外の花粉がめしべにはいることは絶対にない。ましてや、他の種類の花粉がはいることはもちろんない。このことは、閉鎖花においては他種と自然交雑することがなく純粋性を保っていることを示している。

閉鎖花を生ずる要因が何であるかはっきりわかっていない。少なくも、乾燥とか、低温とか、光量不足などの悪条件に対する適応性が主なものであろうといわれている。つまり正常花の開花する好条件が悪条件に変ると、開花すべき花が閉鎖花に変るようになる。これを裏づけるのは半閉鎖花の存在で、これは条件が中間的のときにおこる正常花の閉鎖花への移行型である。

閉鎖花の内容は消極的ではあるが、自衛であり、純粋である。この純粋さに私は魅力を感ずるのであるが、この純粋がその種の弱体化につながることを思うと礼賛してばかりいるわけにはいかないのである。

考えてみれば、世の中には純粋なものはしだいに少なくなった。しかし閉鎖的なものはいろいろ形をかえて存在し、将来もつづいていきそうである。明治以前は日本の国そのものが閉鎖されていた。貴族、武士、町人、百姓などの閉鎖階級があった。明治維新によってこの閉鎖は開放された。しかしまた別の新らしい閉鎖を生じた。このような閉鎖の世界は、消極であり、純粋であり、静態であるうちはいいが、何かの機会に積極、膨脹、動態に変ると始末のわるいものになる。閥がこれである。軍閥、政治閥、財閥などその最たるものであろう。軍閥は太平洋戦争をおこし、自らつぶれ、国をめちゃくちゃにしてしまった。戦後はまた新らしい閥ができた。いやらしく不潔なものは政治閥、官僚閥である。学閥などは大局からみればたわいのないものであろう。閥の細分されたものが派閥である。近頃有名になったものに政党内の派閥がある。同じ職場にも、派閥とまでいかないグループがある。大方の場合これらは悪につながるものである。

他方、社会のもろもろの汚濁をきらい、批判し、抵抗するグループができるのも自然の成行である。これらのグループが静的で純粋な閉鎖の小世界をつくる。好い条件に恵まれさえすれば必ず美しい花をひらくための活動がおこるにちがいない。これこそ人々が大きな期待をかけるはずのものであろう。

私は三月末には現在の職場を定年で退くことになる。長い間、さまざまの苦い経験をなめてきた。さらに新らしい職場を求めて心身をわずらわしたくない。どこか静かに平和な閉鎖された小世界がないものかと考える。

自分の研究に関連して一昨年から昨年にかけて、春、夏、秋の季節にたずねたことのある、ある村をひそかに候補地にあげてみる。この村は行政的には塩山市に属しているが、塩山駅からバスで一時間半、徒歩で六km、峠を越した山の中にある。春は、モモ、スモモ、ヤマブキが一時に開く桃源境で、人情は純朴で自然はよい、無償で土地を貸してくれるという人もいる。しかし医者はいないし、何よりもそこの人達が閉ざされた村の連帯意識のなかによその人を受けいれてくれるかどうか。自分はその土地で住めるであろうか。かぎりない混迷のなかで、やはりこの都会の一隅で、自ら閉ざした生活をつづけるほかはないようにも思えてくる。

(群像3月号・一九六七年)

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