ハタハタという名をきくと、秋田生まれの私はハッとする。ハタハタの味覚とそれにともなう郷愁であろうか。
この頃、東京でもハタハタの生ぼしのようなものが手に入る。だから食べようと思えば食べられる。また、秋田の酒を飲ますような小料理屋に行くと季節には生のハタハタをきれいな皿に一尾づけでだすこともある。しかし、ハタハタの味はとてもこんなきれいごとではすまされないのだ、と私は思う。
いったい、ものの味というものには絶対のものはあり得ないのではなかろうか。味そのものだけ切り離すことはできないのではないか。味わう人の身体の工合、その時の環境や雰囲気、慣れなどが大いに関係するといってよいだろう。
私にとって、ハタハタの味覚は多分に郷愁により強く左右されていることを否むわけにはいかない。だから、どこがうまいのだと問われてもうまい返答はできないのだ。
ハタハタの季節は冬、十一月下旬から十二月中旬まで、割合短期間である。少年時代の私の町では、この頃になるとどっと出廻り、町中ハタハタを焼く香りと煙で充満した。これは少し誇張にすぎるが、とにかくそんな気分であった。
囲炉裏をかこんで家族が車座になる。炉には炭火がかっかとおきている。その廻りに、竹串に口から一尾ずつさしたハタハタを輪にさして焼く。油が火にたれ、ジュッジュッと音をたててもうもうと煙があがり、ハタハタの香りが部屋にたちこめると、とたんに食欲がかきたてられる。
ほどよく焼けるのを待ちかねて手早くとりあげ、串から抜き、背と腹を手で押し、尾を切って頭の方へ引くとすっと骨が抜ける。骨ばなれがきわめてよいのでこれができる。骨を抜いた丸身を、皿におとした醤油にさっとつけて口の中にほうり込む。二口、三口ぐらい噛んでのみ下す。噛むのとのみこむのと同じぐらいの早さだから、二、三尾はまたたく間だ。この時の、口中と喉とを通る感触がハタハタの味覚だ、と私はきめている。
身は淡白であるが、白子には一種の風味があり、卵(ブリコという)は特殊のねばりと適当な固さをもって独特の感触がある。しかし、身は身、白子は白子、卵は卵と別々に食うのではハタハタの真価はわからない。身と白子、身と卵と渾然一体となって口中から喉を通るときの感触がハタハタの味覚であると、重ねていいたい。あまり噛んではいけないのだ。したがって食う速度は早くなる。そこで、焼いたり、骨を抜いたりする世話係がどうしても必要になる。五、六人の家族が一人平均八尾食べるとしたら、世話係は目のまわるほど忙しい。
どういうものか、食べだすと次を待つ時間がもどかしい。間をおかず、休まず食べつづけ満腹したところで箸をおく。そしてガッコ(漬物のこと)で飯をさっと食べておしまいになる。
今考えてみると、早く食べるということは必ずしもハタハタの味覚の一条件ではないかも知れぬ。子供は、早くたくさん食べないと損だという気持があるから競争した。そしてそれが味覚と結びついてこんなことをいっているのかも知れない。
ハタハタの季節が終る頃、貯蔵食として、味噌漬、粕漬、塩漬などが用意される。長期の貯蔵には塩漬が一番である。私の家では、正月用の尾頭付きの魚として、ハタハタの塩漬が使われたのを覚えている。今から考えるとまことに質素なもので、武家の家風の名残りででもあったろう。塩を強くしてあるので焼いて食べると口が曲がるほどで、生のような風味も何もない。卵(ブリコ)は卵膜が強靱になり、まるでゴムを噛むようである。歯のよい人が噛むとブツブツ大きな音をたてるので、これも子供が面白がって競争したものだ。老人から教わった、「元日やブリコかむ音隣まで」というざれ句はよくこの情景を表している。
ハタハタの卵を何故ブリコというか。ハタハタが沿岸にくるのは、浅い所にある海藻類に産卵するためであるが、濫獲を防止するために藩侯が禁止期間をもうけた。その裹をくぐって漁師の密漁したものを業者がブリコと称して売ったことからきているという。
食わずぎらい、ということがある。はじめてハタハタを食べた人は大てい、なんだこれがハタハタか、お前らがさわぐほどうまくも何ともない魚じゃないか、という顔をする。もうなくなった私の親戚で東京育ちにそういう人がいた。うまいものは食べあきたという人で、こんな田舎くさい魚なんて食えるかいといっていたが、家に送ってくるハタハタを毎年とどけているうちに、何年かたったら、まだハタハタはこないかと催促するようになった。慣れというものは恐ろしいものである。ハタハタの食べ方はほかにもある。煮つけ、味噌汁などにもするが、私は好かない。近頃、東京の店にでる干物は昔なかったもので、これもハタハタの味覚のほんの一端にすぎない。何といってもハタハタの味は、生のものを炭火で焼いて、頭と骨を抜き、まるかじりするのが本命である。
秋田料理にショッツル鍋がある。ショッツルは「塩しろ」または「ひしおじる」の転化で、ハタハタを原料にしたものが本格である。生のハタハタを塩漬にして冷暗所に貯え、しみだす汁のうわ水をこした一種のスープで、これにねぎ、とうふ、せり、魚などをいれて煮て食べる。
ハタハタは秋田特産のように思われるが、太平洋側では東北地方、日本海側では山陰以北から北海道、カムチャッカ、アラスカに分布する寒流の魚である。
(味覚の記録・一九六七年八月)
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