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何時,何処で,誰が?

植物の採集行は前後2回にわたって行われた.最初,すなわち第1回目の採集は1853年にペリー提督自身の黒船隊によって,その隊員に加わって来たエイサ・グレイ教授の友人のウィリアムス氏(S. Wells Williams, Esq.)と,モロウ博士(Dr. James Morrow)という当時の在マカオ米国領事館員の2人によって,黒船隊員の最初の上陸地であった三浦半島の浦賀を起点とし,横浜,ついで伊豆下田,そして箱館(函館)の4地点であった.

第2回目の採集行は,1854年から55年にかけてより大がかりに行われた.この遠征隊は1853年6月11日に米国ヴァージニア州のノーフォーク(Norfolk)を出帆した時点では,リンゴルド(Captain Cadwalader Ringgold)隊長の指揮下に置かれていたが,2つの航路に分かれて来た黒船船団が1854年5月に香港に集結していた時にリンゴルド隊長が病気になったため,同年10月以降の黒船船団はリンゴルド隊長の副隊長であったロジャース(Captain John Rodgers)が隊長となり,続けられた.それで日本付近での黒船艦隊はロジャース隊長の遠征隊であったが,前述の経緯で,植物標本の台箋にはHerbarium of the U. S. North Pacific Exploring Expedition under the Commanders Ringgold and Rodgers,1853-56と印刷されているのである.ちなみに最初のペリー提督自身の指揮下の標本の名箋は白い紙ですべて手書きであり,この第2次のロジャース隊長の時の名箋は淡青色の紙に印刷されているので一見して区別できる.また,この第2次の遠征も元々その計画はペリー提督によるものであった.

この第2次の採集ルートは表1に示した通りであるが,植物の採集に直接関与した黒船は2隻で,旗艦のヴィンセンス号(U. S. S. Vincennes)と,もう1隻の蒸気船のハンコック号(U. S. S. John Hancock)であった.この時までに既に植物採集や研究に経験のあったライト博士(Dr. Charles Wright)はこの間ヴィンセンス号に乗っており,ライト博士の助手を努めた当時の海軍軍人のスモール氏(James Small)は主としてハンコック号にそれぞれ乗っていた.スモール氏は海軍軍人とはいえ,優れた植物採集家であって,標本も精力的に採っており,特に日本の北辺の採集品は標本ラベル上はライト採集となってはいても,実際にはスモール氏の採集品である.同氏は後に植物の研究家になった.

表1に見るように,1855年4月以降の沖縄採集までは,この2隻は別行動を取って来て,ヴィンセンス号は1854年10月後半には小笠原諸島で採集し,次いで11月後半には沖縄,さらに12月末から1月には鹿児島湾から薩南諸島の種子島,鬼界島,奄美大島で採集している.この地域での採集品はライト博士のもので,名箋上「カトナ島(Katonashima)」とあるのは,察するに鬼界島のことではないかと思われる.他方スモール氏はハンコック号にて,1854年11月上旬に沖縄を訪ね,上海から台湾に行ついているが,この間1855年3月26日に尖閣諸島に立ち寄っている.

2隻の黒船はその後,1855年4月上旬から6月28日までは行動を共にして,沖縄,奄美大島,伊豆下田,箱館(函館)の各地で大量に日本の植物を採集した(表1の破線の囲いの部分).その後,旗艦のヴィンセンス号は一路カムチャッカのペトロパウロフスクからベーリング海峡へ北上している.

その後のハンコック号の航路はペリーの周航記等の文献には地図の表示がないが,表1を作製した時に参照した文献によると,ハンコック号は6月末にヴィンセンス号と別れてから,津軽海峡(“Sangar Straight”と表示)の両岸に寄り,海峡を抜けて岩内に出,その後北海道の西岸に沿って北上し,「日本の北方の島々(“Northern Japanese Islands”)――恐らく利尻・礼文両島であろう――」を経て宗谷岬に至り,そこから東へ航行してオホーツク海に入り,更に東北へ進んで7月24日には「カムチャッカ半島の西岸を見ている.」例えば,コマクサ,チシマスズメノヒエ等の標本は「オホーツク産」としてあるが,この辺りで採集された模様であり,エゾゴゼンタチバナは「Hakodadi(箱館)産」とされているが,この道南にない植物も名箋の間違いで,実際はこの道北での採集であろう.千島列島で植物を採集したか否かについては記録がない.ハンコック号は更に,オホーツク海を東に廻り,スモール氏は沿海州のアヤンとその南のアムール河の河口付近でも植物を採集している.このオホーツク海沿岸地域での標本の名箋に詳細な地点の記事がないのは残念である.


[地図1] 日本付近の黒船の航路(点線の部分は周航記に示されていない部分で正確な航路は不明)
地図1
日本付近の黒船の航路(点線の部分は周航記に示されていない部分で正確な航路は不明)
Map1
Routes of Black Ships around Japan and China

[表1] 黒船の日本とその付近の植物採集ルート(第2次,1854-55年)
表1
黒船の日本とその付近の植物採集ルート(第2次,1854-55年)
Table1.
The routes of the Black Ships for collecting plants in Japan and its adjoining territories (The Second Expedition,1854-55)

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発刊に寄せて

刊行にあたって

はしがき

1.黒船による日本及びその付近での植物採集

何時,何処で,誰が?
エイサ・グレイ教授の研究
昭和天皇による黒船採集植物の御研究
Plant collecting in Japan and its adjoining territories by the Black Ships (Abstract)

2.東アジアと北アメリカの間の植物の隔離分布について

東亜と北米の間の植物の不連続分布の4型
東亜・北米間の隔離分布の由来
東亜と北米の間で隔離分布する植物の生態
隔離分布している植物の分化
Disjunct distribution of flowering plants between eastern Asia and North America (A summary account)

3.米国北太平洋探検隊採集の日本植物の図録
An annotated catalogue of plant specimens collected in Japan by the U. S. North Pacific Exploring Expeditions(1853-1855), based mainly on the set housed in The New York Botanical Garden, U.S.A.

タイプ標本 (Type materials)
琉球列島 (The Ryukyus)
九州 (Kyushu)
小笠原 (The Bonin Isls.)
V下田・横浜 (Shimoda and Yokohama)
VI北海道とその周辺 (Hokkaido and its surrounding regions)

書籍詳細

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