植物園といえば、そこにはヤシが生え、ランの花が咲き、池にはオオオニバスの葉が浮かぶ大温室のイメージがある。温室は、植物園にとってそれほど大切な要素であり、訪れる人びとに最も人気のあるところでもある。
植物の緑に接したいという願いは、いつの時代にも共通であり、寒い冬が来て木の葉や草の緑がなくなる地方では、この願望がとくに強かった。「冬に緑を」というモチベーション(動機)が温室の始まりであろうが、早くもローマ人が紀元一世紀には、雲母の板を載せた大きな円筒形の器の中で冬にキュウリを栽培していた。将軍カエサル(ジュリアス・シーザー)は、一年中キュウリを食べていた、という。この雲母板を載せた円筒が、太陽熱を利用して保温し夜間の降霜から植物を保護するフレーム、つまり温室のアイデアの始まりであろう。
十六世紀に入って本格的な植物園が造られるようになると、暖かい地方から持ってきた植物を冬のあいだ枯らさないように保護する可能性が生じた。イタリアのパドバ植物園で は、1545年に、屋根に雲母板を使ったフレームを作ってその中で植物を越冬させる方法をとり、このフレームを「ウィリダリウム(Viridarium)」と名づけた。これはラテン語で「快適な場所、ひいては緑の植物のある所」という意味で、温室の英語名の「グリーンハウス(Greenhouse)」の語源はこの語にあると思われる。
十六世紀の終わりから十七世紀にかけて、ヨーロッパの主な植物園は人工的な暖房設備のある温室をもつようになった。初期の温室は、赤れんが造りにガラス窓のある建物で、隣の機関室から、石炭を燃やして暖めた空気を直接送り込んだり、床下に送って温めるオンドル式の暖房を行ったりしていた。オランダのライデン植物園やイギリスのオックスフォード植物園に最初に造られた温室はこのタイプで、香辛料植物の繁殖栽培用として重要であった。
○欧米では社交の場にも使われる
十八世紀後半から温室の構造が変わり、鉄骨と大きな板ガラスで造られた大型の建物になった。イギリスのキュー植物園の旧大温室に代表されるように、中央にヤシ類を植えた背の高い円屋根のドームを、その両側に背の低い翼状の建物を配した美しい温室が生まれ、これらのガラス張りの温室にはその華麗さから「クリスタル・パレス」の名がつけられた。十八世紀から十九世紀にかけて、ヨーロッパ各地のクリスタル・パレスでは熱帯植物を楽しむパーティーが盛んに催され、要人やその夫人たちが盛装で列席した。今でも、温室内での夕食会やレセプションが、ヨーロッパやアメリカ各地で催されている。
現代の温室も、熱帯の花や緑を楽しむ場所というのが一般のイメージだが、このような花や木をながめ、パピルスやオオオニバスの変わった形を楽しむといった類の温室は、展示温室(コンサーバトリー)とよばれる。その中は、ヤシ室、熱帯雨林室、シダ室、サボテン室、水生植物室などに区切られ、それぞれの室内の植物に合った温度と湿度に調節されている。また、これらとは別に春のイースター展、初夏のラン展、秋のキク展、各種のフラワーショウなどそのときどきの催しが行われる展示室もある。
○気候条件を自動制御する施設
展示温室のほかに、一般の人びとの目にはつかないが、準備・増殖温室(プロパゲーション・レンジ)とよばれる温室がある。ここでは、展示用の植物を育てたり、新品種の開発、新しく集めてきた植物の保存と育成、園芸の試験研究などが日々行われている。こちらの建物は一様に工場のような見栄えのしない形で、斜めのガラス屋根をもち、中には、いたるところに植物が置いてあり、珍品や稀種が多い。
また、これとは別に、増殖を主目的としない研究温室(リサーチ・グリーンハウス)もある。植物研究には不可欠な施設である。
温室内の各室は、植物の生態条件に合わせて、温度、湿度、日照などが調整されなくてはならないが、これを自動的にコントロールするように設計した最も新しい構造の温室が「クライマトロン(Climatron)(人工環境制御装置)」である。1950年ごろアメリカで考え出され、1962年のシアトル万国博で紹介されたあと、各地に建設されている。
今や温室は、植物を楽しむところ、あるいは育種・研究用だけではなく、農業その他の植物産業にとっても欠かせないものとなり、野菜や果物を栽培する大規模な営業用温室が、「ハウス」と云う通称で世界各地に見られる。
温室というと温めることだけを考えがちだが、逆に寒帯の植物を温帯や熱帯で栽培するためには室温を下げた冷室が必要である。デンマークのコペンハーゲン大学植物園には、温室の隣にグリーンランドの植物を保存する冷室が設けられている。クライマトロンにはもちろん冷室も設けることができる。
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