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第二話 古代エジプトに逆上る歴史

中国の伝説の帝王で、紀元前2,838年から同2,698年まで中国を統治したとされる神農は、多くの植物を中国へ導入した。そして、それら食用や薬用になる植物を植えて育て、栽培する方法を民に教え、中国農業の創始者とされる。人間の役に立つ植物を集め、栽培保存する場所を設けることが植物園の始まりのひとつであるとすれば、神農はその創始者であると云える。

栽培植物の記録が残っているという意味で世界最古の植物園は、同じく中国の漢の武帝(在位紀元前141から同87年)が華南に造ったもので、レイシ、リュウガン、ビンロウ、シクンシ、カンラン、ニッケイ、ミカン、カンナなどが植えられていたと云う。

植物園の歴史を、美しい花や木を楽しむ庭園という意味でみると、紀元前1,500年のエジプトにまで逆上る。庭園はバラをあしらった塀に囲まれ、四辺形の幾何学的模様をした花壇があったとされている。

科学的な研究の対象として植物を栽培したのは、ギリシャの哲人アリストテレスであった。そして、紀元前340年ごろにアテネに造られた植物園には、彼の後援者だったアレキサンダー大帝の力で、世界各地の「生きた植物標本」が集められていた。

その後の植物園の歴史は、ヨーロッパを中心とするものとなるが、アメリカ大陸にも古い時代に植物園が無かったわけではない。十六世紀の初めスペイン人のコルテスがメキシコを制圧したとき、アステカ王国のモンテスマ二世の宮殿には薬草園があり、そこにはカカオノキなどが植えられていた。その種子が持ち帰られて、ヨーロッパの人びとは初めてチョコレートの味を知ることになるのである。

薬草園から植物学研究の場へ

ところで、中世ヨーロッパの修道院は、病気の治療を主要な仕事のひとつとしていた。そのため、アラビア医術などで用いられる東方の薬草を栽培するために、薬草園をもっていた。スイスのベネディクト修道院には今も古い形の薬草園が保存されていて、当時の様子を知ることができるが、花壇は高い塀で囲まれた秘密の園であった。

修道院の薬草園には、東方からさまざまな植物が、生きたままあるいは乾燥した形で持ち込まれた。それらの植物が何であるかを調べることが、当時の医学植物学者を植物研究に駆り立てた。薬草園は次第に大きくなり、十三世紀には、ローマ法王ニコラウス三世により、大規模な薬草植物園としてバチカン植物園が造られた。ニコラウス六世のとき、バチカン植物園で、同園に植えられていた植物を使って、ローマ大学の教授が植物学の講義をしたが、これが植物園と大学の関連の始まりであろう。

植物学研究のために造られた最初の植物園は、イタリーのパドバ植物園(Orto Botanico di Padova)である。

これは、植物学を医学から独立した学問体系としたイタリアの植物学者F・ボナフェデが、そのための植物園として学園都市パドバに1545年に設立したものである。

1786年にパドバ植物園を訪れたゲーテは、北アフリカ産のヤシの一種チャボトウジュロを観察したが、翌年シチリアのパレルモでこの植物を再び見る機会を得、その形態の変異をきっかけにまとめた論説が、植物形態学の大論『植物の形態変化」(Pflanzenmetamorphose)である。パドバ植物園と同じころ、同じくイタリーのピサ植物園とフィレンツェ植物園も開園している。

これらに続いて、ヨーロッパの伝統的な植物園のほとんどが、十六世紀から十八世紀初めまでに開設された。ライデン(1587年)、パリ(1591年)、ベルリン(1646年)、ウプサラ(1655年)、レニングラード(1713年)などがそうである。

植民地経営に重要な役割を果たす

十八世紀から十九世紀になると、熱帯のスパイスなどを中心とした有用植物の多くが知られるようになり、イギリス、オランダ、フランスなどの植物園は、植民地経営のための有用植物を栽培増殖する場所として重要になり、王立キュー、ライデン、アムステルダム、パリ植物園などは大発展をした。しかし、熱帯植物の増殖は熱帯圏で行うほうが効率がよいことから、イギリスは1767年に西インド諸島のセントビンセント島に植物園を造った。「バウンティ号の反乱」で知られる南太平洋タヒチ産のパンノキが運び込まれたのが、この植物園である。

次いで1786年、イギリスはインドにカルカッタ植物園(現・インド国立植物園)を造り、東インド会社がインドネシアのモルッカ諸島から運んでくる香料植物の増殖を図ったが、緯度が高かったために失敗した。そこで1817年にスリランカ中央山地にペラデニヤ植物園を造り、これは、シナモン、ナツメグ、コショウなどの英領インド植民地への導入に役立った。カルカッタ植物園は後に、南米のキナノキやワタの導入のほか、中国のチャをアッサムやシッキム方面へ中継するのに役立ち、中国南部の野菜や果実を英本国へ中継した。

オランダが一八一七年にインドネシアに造ったボゴール植物園も、東インド諸島植民地へキナノキ、コーヒーノキ、ゴムなどを移入するのに貢献するなど、この時代の植物園が歴史に占めた比重は大きかった。

ゴムと植物園

ゴムは二国の経済を左右した産業資源植物の例としてよく引用される。そのゴムの南米から東南アジアへの導入に植物園が重要な働きをした。

ゴムはパラゴムと呼ばれ、学名をヘベア・ブラシリエンシス(Hebea brasiliensis)と云うように、元来はブラジルのアマゾン河流域の雨林の中に生育するタカトウダイ科の高木である。これがブラジルのゴム産業を興し、マナオスにはかの有名なオペラハウスが建った程にブラジルの経済が潤った。ゴムの需要の急増と明るい将来性を見込んで英国は、ゴムを自国の東南アジア植民地の植物産業振興の資源と考え、パラゴムの熱帯アジアへの導入を行った。

初めはパラゴムの種子を、二回にわたり原産地のブラジルからインドへ船で運んだが、寿命の短いパラゴムの種子は、インドへ着くまでに全部死んで発芽力を失い、不成功に終わった。この失敗後、1876年に英国のウイッカムは約七万粒のパラゴム種子をアマゾンで集め、船で大西洋を横断して、いったん英国の王立キュー植物園に持ち込み、そこで発芽させて、約二千本の丈夫な苗木に育て、ガンパハ植物園(Gampaha Botanic Garden)やシンガポール植物園を中継基地として、スリランカおよびマレー半島に導入した。

現在、世界の天然ゴム産出の中心はマレーシアからタイ国の半島部にかけてで、全世界での消費量の約90%を賄っている。アマゾンからマレーへのパラゴムの移植は、ブラジルのゴム産業を衰退させ、当時の英国マレー植民地の産業活性化を招来し、ゴム産業は事実上英国の手に移った。

余談ながら、二百年前ウイッカムの種子から発芽したパラゴムの古木は、現在なおスリランカのガンパハ植物園で健在である。

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