第一五話 花と緑のはなし
〝うるおい〟を咲かせる
花は人知れずひっそりと咲き終わることの方が多いのです
私達は、花といえばすぐに美しい花びらのあるサクラやチューリップを目に浮かべると思う。『古語辞典』(三省堂)を見ると「花」とは美しいもの、代名詞は桜と梅とある。そして、桜の一面に咲いているさまを「花の雲」といい、誰よりも早く咲く梅は「花の兄」、反対に遅く咲く菊は「花の弟」と呼んでいる。「花の父母」は恵の雨と露だと、古人は思ったのである。だから花というと、きれいな花だけを連想するのも無理はない。ところが、花の多くには、人知れずひっそりと咲き終わるものがいっぱいある。数からいえば、この方がずっと多い。
例えば日本人の主食である米はイネで、花はきわめて地味だ。秋の黄色の稲穂は目立つが、花は目立たない。外国人は日本の自然で、イネの田園風景にはワンダフルを連発する。山間の千枚田など一幅の絵の様で、芸術作品といっていい。
もっと地味な花がある。シダやコケ、トクサなどのグループ。2月末、南九州ではツクシ(土筆)が出るところもあるという。ツクシは胞子の花が咲いたもの。あとで出た葉の姿がスギナ。シダの仲間のフユノハナワラビも花のようだ。だから、地味な胞子植物にも、この際注目してほしい。千載一遇のこの機会に、花とはこんなにも幅があるのだということをPRすることが大切だ。
欧米の人たちは、花の形を見て笑っている顔という。「咲く」という漢字も口を開けて笑っている意だ。だいぶ前、銀座のビルのたれ幕に「女咲きます」とあったが、女性が笑って咲いているという表現は面白いし、美しさを意味していると思う。
さて、「緑」についてもふれてみたい。漢字と仮名では趣が異なるという人もいる。その前に緑とは? の基本的なことにメスを入れてみよう。
かつて、造園学専攻の短大生50人に聞いてみた。緑から何を連想するか? その結果、葉、植物、森、公園、芝生と答えたのが多かったが、これは常識人。ユニークな答に花、空、海、というのが数人いた。また、やすらぎというのもあった。私は、緑――花、やすらぎというのが気に入った。同時に、21世紀にはこういうフィーリングで、緑に接したいとも思った。
「花」とは緑の葉が化けたものであり、だから「花葉」という方がより正しい。
八重ザクラの品種に〈普賢象〉がある。花芯に2枚の葉が出るのをキバに見たてて名付けられたが、めしべが葉に変身したのである。
ハナミズキの花弁は苞葉、シデコブシやハクモクレンの外弁はがく片、アジサイの花弁はがく片などなど、造化の神は、花と葉を相同な仲間同士として自在に操っている。
花と葉の緑が渾然一体となって、私達にやすらぎとうるおいを与えてくれることこそ、快適な市民生活に欠かせないというコンセンサスが必要なのではないか。
私は思う。再び、〝花はどこへいった〟(Sag mir wo die Blumen sind!)の時代に戻してはならない。〝花と緑〟は、常に、私達の周りにある――そうあって欲しいと思う。
川上幸男 著
B6変型判 / 並製 / 301頁 / 定価1362円(本体1,238+税)/
ISBN4-900358-40-1
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