第一四話 花の気配のはなし
樹液上昇は〝春の息づかい〟
人の気配と同じように、春の訪れは花の気配で分かります。
節分から一夜明けると立春だ。これから春を告げる花の気配が、日本の各地、暖地から北国へと順に感じられるようになる。
ある年の立春の日、読売新聞に千葉県柏市の小林光夫さんが「春告げ草謹呈」として、オオイヌノフグリのことを投書していた。オオイヌノフグリはゴマノハグサ科の二年草で、明治の初めごろにヨーロッパから帰化した。ちょうどこの頃住宅地の道端などで花の気配を感じて見まわすと、直径7~8mm、鮮やかなコバルトブルーの花が咲いている。これがオオイヌノフグリだ。兄弟種にイヌノフグリ、タチイヌノフグリがあるが、いずれもひとまわり小さく目立たない。なぜかおかしな名だが、花後に付く実の形が犬の陰のうに似ているからである。
小林さんは惨めな名だと嘆いたあげく、〝春告げ草〟という美しい名を謹呈して大方の共感を求めたのであろう。逆に私は、どぎつい名前だからこそ、一度聞いたら忘れられないのではないかと、常々思っている。
この花の面白さは、開き具合が日によって違うということだ。晴れた日はパッと咲くが、雨の日、曇りの日や日陰のところでは半開きか閉じていて分かりにくく、そこに花があるという気配すら感じさせない。
花の開閉は、環境要因としては温度、光に影響されることが多い。午前中、曇りで閉じていた花が、午後の日がさしてくると、とたんに開いたりする。
冬と隣りあわせのこの頃は花が少ない。だから、こういう変化に人はつい敏感になる。もっとも感じやすいのが、オオイヌノフグリのような野の花なのである。今は見つけることが少なくなったが、節分草も同じようなことがいえる野の花だ。雑木林の中を散策していて花の気配を感じ、あたりをよく見ると、節分草がある。重なり合った枯れ草をしとねに咲いている白い花だ。
花の気配を感じるのは誰でもという訳にはいかないだろうが、花が出すなにか生気のようなものを感ずる人がいることは確かだ。なにかあるような気がする、というと非科学的、文学的ではないかと思うかもしれないが、私はそうは思わない。
人の気配と同じように、心因的とか、霊感的ななにかがあるかも知れない。あるいは人自身にある呼吸、息づかいのようなもの、または肌から発散するぬくもりが、気配を感じさせるのかもしれない。植物の場合はどうだろう。開いた花から発散される化学的物質、香りに似たようなものか、ということである。
私の場合、立春のころ、花の気配を感ずることが多い。周囲がひっそりと静かな季節だからであろうか。樹液が上昇し、春の生命が動きはじめたからなのであろう。
植物の世界は、まだまだ人間の知恵の及ばないところがたくさんある。花の気配の究明も今後の課題ながら、面白いと思う。
川上幸男 著
B6変型判 / 並製 / 301頁 / 定価1362円(本体1,238+税)/
ISBN4-900358-40-1
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