Ⅲ 園芸品種紹介
D. 育種こぼればなし -亜細亜の平和を願う夢-
どんな植物の育種でも、交配を行うには母本父本それぞれの特質を見極めて、それを組合せてより良い品種の作出を願うのである。
小形品の作出には小形品種同士を交配するとか、大形を希望すれば大形同士を組合せ、香りのある花を狙うなら、有香種を母本としたり花粉を利用するのは当然の方法である。
小形の斑入品数を作出するために、中形の縞斑品に最小形の青葉品を交配し、その実生の縞斑にもう一度青葉小形品を戻し交配して、小形化を計るなどの手法を行なう。
日本・中国・朝鮮のギボウシの主要原産国の原種三種を用いて、三元交配を行い、斑入品が出現したことがあった。
他の斑入品と区別する為には、記号だけでは台帳を調べないと判らないので、仮名をつけることにしている。
先づ浮んだのは「亜細亜錦」であったが、左程大形でも無いので、名前が重過ぎる感じだ。次に「三元錦」はと思ったが、これは気に入らなくて中止した。
最後に三ヶ国の原種を使っているので、「三国錦」と仮決定してラベルをつけた。
その後、残念乍ら斑が抜けて青葉になってしまい、文字通り腑抜け(斑抜け)だ。
こうなるとこの名に想いが残り、何とか活かしたくなる。
戦時中は一兵として、また会社員として中国に九年間も居住し、朝鮮に出張したこともあった。
敗戦後の混乱期には、軍人でないのにロシア兵の奴隷狩りの綱に掛って収容所に入れられ、危くシベリア送りになるところを、朝鮮の方の盡力により救出され、命拾いをした身であり、平和への願いで一層その想いが募る。
中国とは複交が成っているが、朝鮮半島は二分されたままで、アジアの戦後処理が終っておらず、東亜の平和が未だ実現していない。
好きなギボウシの名だけなりと、平和親善の夢を托したいとの秘めた念願が加わる。
再度三ヶ国の三原種の交配で斑入品種を作出して、三国錦の名を活かしたと思う。
幸いに日本産と朝鮮産の交配で、良い斑入り品が出来ていた。タチギボウシの縞斑の品種「津軽錦」と、朝鮮産のオトメギボウシの交配品で、小形で美しい縞斑の「津軽小町」である。
「津軽錦」は青森県産であるが、タチギボウシは日本だけでなくサハリンにも分布しており、三ヶ国のみでなくロシア領土にも自生する種類であるのも嬉しい。
「津軽小町」の作出は、小形の斑入を目標とした交配から成功したもので、花期の早い再小形のオトメギボウシの花粉を冷蔵保存して、津軽錦お開花を待って交配した。
少量ながら種子が種子が採集できて、実生苗から斑入葉だけを選んで養成し、更に良い縞斑の個体を選んで増殖し、「津軽小町」の雅名をつけた。鮮明な美しい斑の品種で、来訪者や展示会などでも好評が得られた。
先づ日朝の両種の交配品種はこれを用いることとしたが、それに交配する中国産が問題である。香りが高く最大花のマルバタマノカンザシも用いたいのは山々であるが、開花期が晩いので利用は不可能だ。
もう一種の中国原産のムラサキギボウシの方は、開花期は早過ぎる。
極早生のオトメギボウシと、中生のタチギボウシとの交配品である「津軽小町」は、早咲と中生の中間位の時期の開花である。
ムラサキギボウシの花粉を冷蔵して、「津軽小町」に交配し、夢の実現へ一歩踏み出したのだった。交配品種は往々にして不稔性のものが多いが、「津軽小町」は幸いに稔性があり、他品種との交配やオトメギボウシを戻し交配しても種子が得られていた。
また斑の遺伝性もあり、「津軽小町」×オトメギボウシ小形品では、種々の斑入が出現しており、更に小形となっていて、美しい中斑品には「津軽姫」の仮(雅)名をつけている。
三国錦への夢を担って交配した後は、莢が膨らんで来て、容易に実現へ近づいたと信じていた。ところが以外な伏兵があり、儚ない一朝の夢と化してしまった。
それは害虫の被害で、大きく膨らんだ莢が黄色くなったので、採集して開いて見ると、中にはズイムシやその糞だけで、一粒の種子も入っていなかったのだ。
平成二年七月、再度この交配に挑戦し、台風の余波の被害を受けながらも、幾つかの莢が結実した模様である。
翌春、この三元交配種の種子を播き、よい斑が出現した。更に選抜して養成し、「三国錦」復活への実現に踏み出した。
どんな花になるかは目下のところ不明だが、ムラサキギボウシの血を受け継いで花色が濃く大形になることが、期待される。
南北朝鮮の統合は未知数であり、日ソの複交も一歩を踏み出さんとしている情況である。
日・中・朝の三国やソ連を含めたギボウシの特産地帯に、三国錦のような平和な文化的の花咲く日の早からんことを祈るのみ。
〔花の美術館〕カテゴリリンク