文・写真 姉帯正樹
北海道の花として道民に親しまれ、また、新皇后陛下のお印としても知られるハマナス。
しかし、ハマナシを正式名あるいは別名とする植物図鑑や国語辞典も少なからず存在する。
筆者は前号の「北海道の花ハマナスの語源を探る」で、その原因と筆者の語源新説を紹介した。
本号ではその概要を述べた後、続編として道内における二つの呼び名の現状を紹介する。〇3説の概要
ハマナスとハマナシの二つの和名は、語源を異にする二つの説に起因する。則ち、江戸時代中期以降、ハマナスの語源はその果実の形をナスに擬えた浜茄子とされてきた。しかし、大正から昭和初期にかけて、武田久吉(ひさよし)(1883~1972)と牧野富太郎(1862~1957)は浜梨を語源とするハマナシが東北で訛ってハマナスになったという説を主張した。その後、浜梨語源説は中井猛之進(たけのしん)(1882~1952、東大教授他)、前川文夫(1908~1984、東大名誉教授)、新村出(いずる)(1876~1967、『広辞苑』編者)らに支持され、現在も二つの和名が用いられている。これに対し、昔は偏平な丸形のナスが好んで栽培されており、牧野の説明は文献的裏付けを欠くことなどから、植物語源研究家の深津正(1913~2006?)は浜梨語源説を「客観的事実とは言い難く、主観的な意見」と厳しく評していた。
そこで、筆者はこの問題を解決するため、多数の文献を精査した。その結果、ハマナスは丸ナス栽培地域の北陸地方で1200年ほど前に生まれたハマナスビから派生し、後に長ナス栽培地域の北国においてハマナシに転訛したという波末奈須比(はまなすび)語源説を発表することができた。従来の浜茄子語源説を支持し、武田・牧野の浜梨語源説とは全く逆の考えである。
〇ハマナスの普及とハマナシ説を採る文献
北海道の花はハマナスであり、1978年(昭和53年)7月26日に指定された。石狩市、稚内市、天塩町、寿都町、江差町、奥尻町(以上、日本海側)、紋別市、雄武町、興部町、斜里町、標津町(オホーツク海側)、浦幌町、新ひだか町(太平洋側)の花もハマナスである。
1989年(平成元年)に北海道で開催された第44回国民体育大会は、はまなす国体と称された。この例に限らず、行政及び一般的にはハマナスが普及している。
また、道内の植物目録、図鑑類の多くはハマナスを和名として採用しているが、一部はハマナシを採用している。これまでに筆者が目にしたハマナシを和名に採用する道内関係の文献を表1に示す。なお、谷口・三上、原は平成になってから和名をハマナスからハマナシに変更している。
▼ [表1] ハマナシを和名に採用している道内関係の文献 書名 著者名 出版年 えりも町の植物 三浦忠雄 1978 斜里海岸の植物 千田正雄 1980 利尻島の植物目録と礼文島特産植物目録 松野力蔵 1984 新版北海道の植物ー野の花 谷口弘一・三上日出夫 1989 札幌の植物 原松次 1992 北海道の野の花 最新版 谷口弘一・三上日出夫 2005 花も実も美しい! 堀内仁 2013 〇ハマナシと坂本直行
十勝管内で酪農に携わった坂本直行(なおゆき)(1906~1982)は、後に札幌で山岳画に専念した。その随筆『私の草木漫筆』(2000)には「ハマナシ」も取り上げられ、以下のような説明文がある。
「一般には、『はまなし』か『はまなす』かの論争があるが、木になった実を見れば一目瞭然で、その形は『なす』ではなく『なし』に近いのはあきらかである。牧野図鑑には『東北人しをすと発音するより生せし称なり』とある。」
武田・牧野の説は「ハマナシ→ハマナス」であるが、東北地方において「寿司」が「市史」、「降りる人が済んでからお乗りください」が「落ちる人が死んでから」と聞こえる例から判断すると、「ハマナス→ハマナシ」の転訛(筆者の新説)も可である。
また、ナシ果実には似ておらず、蔕(へた)のあるカキ果実[写真1]やトマト果実[写真2]に形と色が似ている、と筆者は思う。江戸時代前期に導入されたトマトは、唐なすび、唐ガキ、珊瑚茄(さんごなすび)などと称されており、これらの古典的名称は当時のナス果実がカキ果実に似た偏平で丸形であったことを示唆している。さらには、青森、岩手及び秋田各県のトマト方言トーナス、トーナシは、唐なすび→トーナス→トーナシを示唆している。
もし坂本が丸ナスの存在やトマトの旧名、東北方言を知っていたなら、「一目瞭然」「あきらか」などという断定的な言葉は用いなかったであろう。
〇札幌市内の公園
公益財団法人札幌市公園緑化協会の管理する札幌市内の公園30のうち、管理事務所のある17カ所について、同協会からハマナス植栽の有無、表示等の情報提供を受けた[表2]。植栽されていた公園は13あり、そのうち表示があったのは、表2に示すようにハマナス4カ所、ハマナシ2カ所の計6カ所であった。
現在、前田森林公園(手稲区)に表示はないが、「今後表示する場合はハマナスで記載予定(林野庁・北海道庁・宮内庁ではハマナスだから)」という。また、モエレ沼公園(東区)にハマナスの植栽はないが、「ガイドツアー等で尋ねられた時は両方の名前を紹介している」という。
▼ [表2] ハマナスを植栽する札幌市の公園とその名称 区 公園名 表示名称 表示名称の理由(根拠、基準等) 北 百合が原公園 ハマナシ 過去に在籍していた職員の見解に基づく 豊平 豊平公園 ハマナス 『園芸植物大事典』(小学館、1988)を参考に 清田 平岡公園 ハマナス 公園造成時に設置 手稲 手稲稲積公園 ハマナス 札幌市の公園造成図の植栽図表記に準じる 中央 旭山記念公園 ハマナシ 百合が原公園の慣例に従う 南 滝野すずらん丘陵公園 ハマナス 国作成の図面表示に準じる
- *植栽されているが表示なし:大通、中島、川下、厚別、農試、前田森林、西岡の7公園
- *植栽なし:円山、モエレ沼、平岡樹芸センター、月寒の4公園
- データ提供:公益財団法人札幌市公園緑化協会 2019年11月
〇和名調査
北海道におけるハマナスの呼び名に関する調査を植物画家、北大職員、NPO法人、親類、知人等の協力も得て、395名(男性151名、女性242名、性別無回答2名、共に20~90歳代)について行った。筆者は面接、電話等による聞き取りやメールを主とし、協力依頼分はアンケート用紙への回答を主とした。各人の道内出身地あるいは在住地を表3に示す。
その結果、大多数はハマナスであったが、19名(4.8%)がハマナシと回答した。男性は8名(5.3%)、女性は11名(4.5%)で、男性の比率がわずかに高かった。ハマナシ派の出身地あるいは在住地は北海道全域に拡がっていたが、網走(オホーツク)管内1.9%、十勝管内0.0%、石狩管内3.6%、胆振管内 4.1%、渡島管内7.1%(50人以上の管内のみ算出)と日高山脈の東で低く、西で高い傾向が認められた。
▼ [表3] 北海道におけるハマナスの呼び名調査結果 / アンケート回答者の出身地または在住地 地域 ハマナス 人 ハマナシ 人 根室 根室市、標津町 2 標津町(女90) 1 釧路 釧路市5、弟子屈町 6 ー 0 網走 網走市4、北見市24、紋別市11、湧別町、遠軽町、佐呂間町2、置戸町2、大空町2、斜里町4、清里町 52 北見市(男60) 1 十勝 帯広町71、池田町、本別町、清水町2、士幌町、広尾町 77 ー 0 日高 平取町、日高町、新ひだか町、浦河町、様似町2 6 新ひだか町静内(女30) 1 上川 旭川市6、名寄市2、士別市2、富良野市、美瑛町、東神楽町、美深町 14 ー 0 宗谷 稚内市2、豊富町、浜頓別町 4 ー 0 留萌 留萌市2 2 留萌市(女70) 1 空知 岩見沢市5、夕張市4、美唄市2、赤平市2、芦別市、深川市2、長沼町2、栗山町2、上砂川町、幌加内町 22 岩見沢市(男60)、夕張市(女70) 2 石狩 札幌市50、石狩市、千歳市3 54 札幌市2(女70、80) 2 胆振 伊達市33、室蘭市11、登別市11、苫小牧市5、洞爺湖町5、壮瞥町4、白老町 70 室蘭市2(男50、80)、伊達市(女70) 3 後志 小樽市4、余市町、古平町、仁木町、倶知安町2、京極町2、蘭越町、寿都町、留寿都村 14 小樽市2(女70、80)、蘭越町(男90) 3 檜山 江差町 1 せたな町(男70) 1 渡島 函館市42、七飯町2、木古内町、松前町2、森町4、鹿部町 52 函館市3(男60、60、女30)、鹿部町(女40) 4 合計 376 19 〇回答者の一言(ハマナス他)
「ハマナシなんて聞いたことない」は稚内市出身の30代前半女性の声。「ハマナスはハマナス」。道北とオホーツク海沿岸地域出身者の多くはこれに類した回答であった。
前述のように、十勝は坂本直行の活躍した地であり、没後40年近く経った今も「直行(ちょっこう)さん」と呼ばれて人気がある。その影響でハマナシ派1〜2割との予想の下、帯広市在住者を対象に聞き取り調査を依頼した。しかし、65名(男性20名、女性45名、共に30~80歳代)中ハマナシと回答した市民は皆無であった。ただ、坂本がハマナシを採用していること、別名としてハマナシを知っている人が多数を占め、前述の地域とは様相を異にした。
回答はハマナスであるが、「青森県出身の祖父母はハマナシと言っていた」(宗谷管内豊富町出身70代女性)、「出身地の弘前ではハマナシと言っていた」(登別市在住70代女性)とのコメントから、東北地方における訛りを確認できた。また、「昔はハマナシと言っていた」(札幌市出身90代男性)、「花はハマナス、実はハマナシ」(札幌市在住80代男性)というコメントもあった。
〇『知床旅情』とハマナスの普及
札幌市出身の50代及び60代男性からは「『知床旅情』の歌詞でハマナスと認識している人が多いと思われる」というコメントがあった。この歌謡曲に関しては、森繁久弥が1960年(昭和35年)に発表した時はハマナシで、1970年(昭和45年)に加藤登紀子が歌ってヒットした時はハマナスであった、という情報が羅臼町在住者から寄せられている。
全国的に大ヒットしたことによりハマナスの知名度が上がり、呼び方をハマナシからハマナスに変更した人も多いであろう。また、福岡県出身札幌市在住の70代男性のコメントは「九州では未知、『知床旅情』でハマナスを知る」であった。
〇回答者の一言(ハマナシ他)
室蘭市生まれの80代男性は『牧野植物図鑑』に親しんで育ったため、浜梨語源説に強いこだわりを持っており、筆者の新語源説に戸惑いを隠せなかった。留萌市出身70代女性とせたな町出身70代男性の回答は「話す時はハマナスだが、正しいのはハマナシ」であった。
函館市及び新ひだか町静内の30代女性は親もハマナシと呼んでおり、親も本人も植物に特に詳しいわけではなかった。室蘭市で生まれ育った植物に詳しい50代男性は、長年慣れ親しんだハマナシに強いこだわりを持っていた。「浜の人は訛りがあり、ハマナスかハマナシかよくわからない」(胆振管内白老町50代女性)というコメントもあった。これらの地域は地理的に東北地方に近いこともあり、訛りが方言として定着している可能性がある。
岩見沢市出身者からは「年配の人がハマナシと言うのを聞く」(20代男性)とのコメントをもらった。さらに、60代男性のハマナシという回答や「出身地の岩見沢市でハマナシ、在住地の登別市でハマナス」(60代女性)という回答もあった。
筆者の新説により「これまでの疑問が解けた」と喜んだ植物関係者も多かったが、「ハマナス、ハマナシにそれほどこだわりはなく、昔からこの名前で呼んでいる」という複数の回答も耳にした。「語源や方言、訛りがどうのこうのなど関係ない」が道民の一般的な答であろうか。
〇ハマナスとハマナシ
北海道の全体的傾向としては和名ハマナスが普及しており、道民の多くは語源や訛りを全く意識することなく紅紫色の大きな花[写真3]を眺めていると推察される。北海道の花に選ばれ、公園などにも植栽されており、今回の調査でもほとんどの人が「花を見たことがある」と回答し、その知名度と人気の高さを改めて知ることができた。
道南と後志、胆振、日高、空知地方にはハマナス派とハマナシ派が混在した。道南は松前方言ハマナシの流れを引き継ぐ人たちも多く、地理的にも東北地方に近いことが原因と考えられた。後志、胆振、日高、空知地方の一部の地域においても、方言ハマナシが生き続けている可能性があり、それぞれの生まれ育った環境の影響を受けていると考えられた。
一方、牧野の植物図鑑等を座右の書として和名ハマナシ、則ち浜梨語源説を支持している人は、少数派ではあるが道内各地に点在していることが明らかになった。牧野富太郎の影響力を物語る事例の一つである。
〇浜梨語源説懐疑派、否定派
深津は『植物和名の語源探究』(2000)の中で「植物学者としては超一流の牧野博士が、こと語源となると、考証がかなりずさんであり、単なる思いつきを筆にされたものが多い」、さらには「古来唱えられた説には十二分な根拠があるのだから、これらを無視して、必ずしも確実とは言い難いハマナシ説を、唯一絶対視して、多くの植物書がいとも簡単にこれを正名として採用し、信用ある国語辞典までがこれに追随するのは果たして如何なものであろうか」と述べている。
筆者がハマナスに関心を持つきっかけとなった文言のため、別刷を出版社に送ったところ、「深津氏は十数年前に鬼籍に入られました」という返事があった。しかし、筆者の書棚にある『考註 大和本草』(1932)は、挟まれていた紙片から故人の旧蔵書であったことが判明している。上記の唐ガキ、珊瑚茄は『大和本草』(貝原益軒、1708成)に記載されており、本考註書は筆者の語源新説根拠文献の一つである。奇跡のような縁であり、故人の遺志を継いだ形となった。
一方、深津が浜梨語源説に疑問を抱くきっかけを与えた管野邦夫仙台市野草園名誉園長(1929~)とは連絡が取れ、その縁で「河北新報」に波末奈須比語源説が紹介された。ハマナシの訛り説を強く否定する東北人の園長は、筆者の論文を「冥土の土産に」と言って喜んでいた。因みに、園長からの郵便物にはいつも〝ハマナスの切手〞が貼られ、葉書には〝ハマナスの貼り絵〞が印刷され、「ハマナスをハマナシなどと呼ばないでください」と書かれている。
〇おわりに
筆者の新語源説発表にあたり『享保・元文諸国産物帳』(1735~38、影印本:科学書院、1985~2003)及び『全国樹木地方名検索辞典』(生物情報社、2007)は決定的な役割を果たした。武田・牧野の存命時、前書は各地に埋もれ散在したままになって閲覧できず、後書の編纂は最近のことである。もし彼らがこれらの文献を目にすることができたなら、浜梨語源説は生まれなかったであろう。
『オホーツクの植物』(西田達郎・辻井達一、1983)のハマナス解説文中には「牧野先生も知床をかつてお供した高山植物の大家、武田久吉先生も、うっかりハマナスというと必ず訂正された。しかし、今やハマナシ、などというと逆に訂正される。無駄な抵抗か」と当時のエピソード等が挿入されている。余談として付記しておく。
アンケート調査取り纏め者:安藤牧子(植物画家、石狩市)、酒井育子(函館市)、清水晶子(植物画家、網走市)、中川孝子(北見市)、長屋ひろ子(北見市)、佐々木由衣((株)三省堂書店札幌営業所)、三澤由比子(特定非営利活動法人キウシト湿原・登別理事長)、乙黒聡子(北海道大学大学院薬学研究院創薬科学研究教育センター)、齊藤須美子(同大学院薬学研究院生体分子機能学研究室)、須賀好子(同大学院先端生命科学研究院化学生物学研究室)、七尾佳菜(同産学・地域協働推進機構産学連携推進本部)、山本美穂子(同大学文書館)、楢木司(新琴似むつみゴールドクラブ会長)、大楽宣夫(伊達市)及び大松智子(帯広市)の各氏。
情報提供者:岡本康寿(公益財団法人札幌市公園緑化協会)、日浦智子(六花亭製菓(株)文化部)及び三宅郁子((株)八坂書房編集部)の各氏。
あねたい・まさき(北海道大学客員教授)
1949年喜茂別町生まれ。札幌市在住。1968年函館ラ・サール高等学校卒業。1977年北海道大学大学院理学研究科化学専攻博士課程修了。理学博士。1982年から2014年3月まで北海道立衛生研究所に 勤務し、薬草、山菜、毒草、アイヌ民族有用植物などの化学的研究に従事。定年退職後、本草学に傾注。2012年から北海道大学大学院先端生命科学研究院招へい教員、2017年12月から同大学院薬学研究院招へい教員を兼ね、現在に至る。保科喜右衛門のペンネームで本誌に「北方本草誌」を連載中。
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