1993年 週刊ポスト
<鬼神>
およそ、ひとりの人間のなした仕事とは思われない。鬼神の手がくわわったか、じしんが鬼か。なんとも物凄い成果が目の前にある。
列島全域の地名が集められている。字(あざ)名までふくめて約三十八万五千。県名・市町村名だけでなく、緯度・経度も記される。公園・スキー場・ロッジはいうにおよばず、学校・診療所から霊園まで、すべて掬いあげられ、分類され、網羅されている。資料として 使った国土地理院の地形図 (2万5000分の1)が、四千四百余枚にものぼる。
これを、ひとりでやってのけた。地名を拾いあげるにあたって学生を五、六人雇った が、「千」が「干」になる。「糠」が「糖」になる。最終的には全部、じぶんでチェックした。
植物学が本業である。標本と採集地を照合し、分布図を作る。しかし地名が地図でみつからないこともある。探しそこねか、地図にない地か。索引があれば確認は楽だが、そんなものはない。ないものは、じぶんで作るよりない。それで作った。
国立科学博物館の植物研究部長のこの仕事は、素人目にも驚異である。
<照応記①佳字>
姓氏研究家の文学博士・丹羽基二氏に会いにいった。博士も独行で、全国の姓約十三万四千を集め、姓名辞典を編んだ鬼のようなひとだ。博士のみるところ、われわれの姓は八割以上、地名に由来する。『索引』で、地名と姓を照応 し、ルーツ探しをはじめ、楽しもうというつもりである。『索引』を携行するのは、かんべんしてもらった。なにせ三巻あわせて七千三百余ページ、重量十一キロにおよぶ。博士はすでに購入ずみときき、厚かましくも、それを使わせてもらうことにした。
「えらい仕事ですよ、これは。私も変人だといわれるが、金井博士も相当なものだ」
のっけから博士は、同志を得たようにご機嫌だ。陽気な大声でエールを送り、さてまず、われわれの差し出した名刺の点検である。
「倉本というのは、山際の出ですね」とはじまった。「倉」は、雪を掘って部屋をこしらえて遊ぶのをカマクラというように、洞や穴をうがつこと。 鎌倉なんか、だから、あちこち掘りあけたように、地形がうねうねしているでしょ。蔵元といえば室町時代に、金銭や穀類などを出し入れした役人というけども、穴だから酒倉だって、穀物倉だって、なかが暗いわけさ」
すでに、地名と姓の相関図がつきつけられていた。大阪の梅田は埋め田、つまり埋め立て地である。新田しかり、荒田しかり。その姓を持つ者は、新田(にった)義貞が上野国(こうずけのくに)、いまの群馬に荒蕪地を開拓して土着した新田太郎の末裔であるように、干拓や開拓とかかわっている、というぐあいだ。
「ただ地名にしろ姓にしろ、飾るからね。埋めるじゃどうも感じが悪いからというので、梅にする。佳字を使う。だけど埋も梅も荒も新も、根は同じです」
聖地への出入りを制す
<照応記②早計>
「そういう飾りは、いくらでもあるよ」。
陽気な鬼みたいに昆揚した博士はつづける。
「大岡昇平の"武蔵野夫人"出てくる恋ヶ窪。あれ、ほんとは肥ヶ窪だね。よく肥えた土地という意味。だけど肥じゃ下肥とか肥料を連想させるところもあって、ぐあいが 悪い。それで恋をあてた。鯉をあてるばあいもある。じっさい、恋ヶ窪じゃ江戸時代に鯉コクを出したんだよ。その窪はさ、くぼんだのは嫌だというので、久保と飾る。全国の久保さんは、窪地の出身をいうわけだ」
埋が梅、窪が久保、となると桜もまた怪しくなる。『索引』にあたると、桜のつく地名は、桜一字にはじまり桜ヶ丘・桜ヶ峠、桜ヶ池・桜堂など、うんざりするほどある。これらをすべて、桜がよく咲く地だと思いこむのは、早合点ということにならないか。
なる、なる、と博士は合点した。「追(さこ)を桜としたところはずいぶんある。迫は谷がしだいにせばまったどんづまりの地をいう。よほど逼迫迫しないかぎり、ここを田に拓くことはないが、拓いたら、その田は迫田、飾って桜田とよばれる。桜田門というのもこれでね、地名や姓は漢字で考えると、まず、悩まされるね」
<照応記③精霊>
きいていると、なにかしら秘密の函(はこ)を開けたような、夢見心地な 気分になってくる。
われわれのうちのひとり、倉本は天草で育った。その村に迫川(さこがわ)というどんづまりの地があり、泉が湧いていた。村で最も甘美な水とされ、正月には、村の他の地区からも若水を汲みにくる。この井戸の背後に迫る山中に、山の素・神の元(ヤマンス カミンモト)という地名がある。
伝承では、ここに村の氏神である阿蘇の神が降りくだったことになっている。迫川の井戸から、ほぼ真東に位置し、ふたつを結ぶ線上に阿蘇神社も位置している。
とすると迫は、その地の精霊が宿る聖地であり、それゆえ水も甘美だったということにもなる。
およそ大きな仕事を前に、脱臼した脳味噌がひねり出した妄想としか思われぬが、そうなんだね! と、博士は、いよいよ陽気な鬼の様相をあらわにしながらいった。
「迫は、それ以上は人間は入れないという境の地で、そこから奥は聖地ともなった。その奥に源流をもつ井戸の水は 美味で当然なんだな」
<照応記④支配>
とすると、大迫さんは偉いんだと、われわれは面白がっていいかわした。穴掘りの倉本さんや、涸(か)れた沢を意味する唐沢さんとは、一線を画して豊潤なわけだ。「唐沢」は博士との面談をとりつけた編集者の名前である。
同時に、その境界の地をもって桜田門とし、ここに検察庁・警視庁を置いた、権力の想像力を思いやって、いささか背筋が寒くなった。なるほど権力にとっては、精霊の集まる境の地、聖地への出入り口を制することが、その支配力を、聖性によって裏づけ、高めることになるわけだった。
「名前が地名と深く関係しているとことは、姓に、出身地の精霊(スピリット)をまとうという意味があるということです。その証拠に、分村して余所の地に移ったひとは、出身地の地名を名乗ることが多いよ」
見知らぬ地では、新参者は裸も同然だ。故郷の精霊をまとうことが、唯一の庇護の証である。権力は当の故郷の聖地を制することで、これら新 参者を掌中にする。
鬼神のなせる業
<照応記⑤検索>
この地名と姓名の掌握が、すなわち時の権力の支配を証明する例がある。東京の赤坂という地名の由来は、一般にそこが坂で、土を削ると赤土が出たからだ、といわれている。しかし、博士によれば、ただ三河の赤坂から狩り出され、江戸建設に従わされた労働者の収容場だったにすぎない。一方、三河の赤坂は、真実、削れば赤土ののぞく坂の地である。
「東京の地名が姓に結びつくことは、まずないな。江戸はつくられた都市だし、地名も姓名も、ほとんど余所から持ちこまれたものです」と、博士はいう。
「都市というのは、つまり、余所者の集合体であり、自然発生的にできるものではないわけで。大阪・京都となるとひらけかたが早いから、東京とちがって、姓に地名の反映がまだ認められますがね」
桜田門や赤坂は、ほんの一例。『索引』にあたれば、東京の地名が、どれほど持ちこまれた地名であるか、たちどころにわかるはずだ。たとえば新宿は、関東地方にゴマンとある地名なのだ。
『索引』は、パソコンを使えば、すぐに分布図が出てくるつくりになっている。発行者の鎌倉・アボック社と、編者の金井博士の協力で、宿のつく地名を検索してみると、千葉・埼玉・茨城・栃木あたり旧・江戸の後背地だ。列島の白地図が黒くなるほど、所在を示す黒点が集中した。
宿という一字だけの地名でも、結果は同じだった。一方、箱根を越えた西側一帯では、ポツポツと数えるほどしかない。日本海側に至っては、皆無に近い。
「宿は、交通がひらけた土地にある。日本海側では、宿よりも峠・越です。京阪から西にみられないのは、大津とか 津があるからでね。津というのは、宿よりも古い、交通の要所であり、物の集積所だ」
博士はわれわれにビールを振る舞い、みずからも飲む。(写真:丹羽基二氏)
ほとんど鬼殺しをたたえた甕(かめ)から、柄杓(ひしゃく)でふるまわれているような心地に陥って、どーんとおぼろになった。
<民俗>
いや、凄い仕事だ。三巻十五万五千円は高いが、図書館を利用すれば、コタツでいろいろ楽しめよう。ちなみに丹波博士の丹は水銀をつくる丹砂(たんさ)の丹、金井博士の金は、明治期まで金属民が信仰した金屋子(かなやこ)神の金。近年の民俗学は金属民と鬼のイメージの間に、密接な関係があると証明しつつある。
ふたりとも、やっばり鬼だった。十一キロもの三巻本を前に、思うのは、われわれの民俗とその時間の作用である。
●倉本四郎
新日本地名索引・全三巻
金并弘夫 編
アボック社出版局 刊 B5判変形 全三巻7,389頁
総発売元 丸善 155,000円(分売せず)
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