1991年3月8日 朝日新聞
景勝地から風物詩まで 民俗学的にも貴重
元全日写連県本部長 故佐々木清八さん
岩手の自然や民俗を撮り続け、元全日写連県本部長でもあった盛岡市天神町の故・佐々木清八さんの写真約三万点が、故人の妻・国子さん(七七)から「盛岡の環境を守る会」副会長の同市加賀野一丁目、毛藤勤治さん(八二)に託された。一枚一枚のネガには克明なメモが付いており、「失われつつある自然の記録写真として、将来的にも価値あるもの」という。
国子さんが、一九八九年六月、夫の一三回忌を機に自宅にある膨大な量のネガを整理しようと考え、毛藤さんに頼んだ。「約三万カットの写真には、時期、場所、被写体の名称など、すべてが細かく記録されていた。ここまで正確に記録された写真は珍しく驚きました」と毛藤さんは話す。
佐々木さんが亡くなってから間もなく、写真仲間が集まり、盛岡市で遺作展も開かれたが、作品はその後、自宅の蔵に埋まっていた。毛藤さんは二ヵ月かけてネガを年月日順に分けてインデックスを作り、佐々木さんの十三回忌に墓前に供えた。
佐々木さんは、盛岡生まれの盛岡育ち。今は解体された国鉄盛岡工場「赤レンガ」に勤める傍ら、七七年八月に亡くなるまで、全日写連の県本部長を十五年間務めた。
七六年には、東京で開かれた全日写連創立五十周年の記念式典で表彰されたほか、数多くの写真コンテストで入賞を果たしている。
残された写真は六〇年代から七〇年代末までのもので、浄土ヶ浜、高田松原などの景勝地からチャグチャグ馬コ、舟っこ流しなどの風物詩まで対象は幅広い。撮影範囲も広く、岩手のほか秋田、宮城まで及んでいる。
国子さんは、亡き夫について「ネガを乾かしているときはゴミがつくからと言って掃除もできない。撮影から帰ってくると『めしくれ』。食べたらすぐ寝る、そんな人でした」と振り返る。現像から焼き付けまで、自分で満足がいくように、すべて自宅の手作りの暗室でやった。
また、野に咲くツキミソウを撮るために、撮影機材、草刈り道具などを詰め込んだトラックで出掛けることもしばしばあった。
「今見ても、それほど新鮮味は感じないかもしれない。しかし、五十年、百年先を考えれば、民俗学的にも、自然の記録としても、貴重な写真です。何とか、しかるべき所で保存したい」と、毛藤さんは話している。
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