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シンガポール植物園について

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1984年3月号 GREEN AGE

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Dr. CHANG KIAW LAN チャン・キァウ・ラン博士
(1982年1月シンガポール植物園における講義録による)

翻訳・坂嵜信之 毛藤圀彦


はじめに

本稿はシンガポール植物園に勤務するチャン・キァウ・ラン博士の欧文の草稿『TOURIST GUIDE COURSE NOTES FOR STUDY』の日本語版である。博士はこの草稿を1982年の春から始まったシンガポール旅行案内のための講演会用に作成した。したがって、元稿は印刷されたものではない。近い将来、加筆修正して小冊子にしたいという意向であった。私たちは1982年の夏、同植物園を訪問した際、この草稿のコピーを博士から直接いただいたのだが、日本語訳の必要性を感じた。草稿は、植物園の歩み、概要などが要点を尽してあったが、単なる来園者サービスのためのテキストをこえて、園を管理、運営する当事者が、来園者に対し植物園をどう理解してほしいと考えているか、どこに関心を持って観覧してほしいかなどの骨子が書かれているからである。私たち日本の植物園や植物公園関係者に何らかのヒントを与えるにちがいないと思った。帰国後、博士から日本語紹介の了解を得た。翻訳と編集には坂嵜と毛藤が当った。

参考図書としては主に渡辺清彦、コーナー共著『図説熱帯植物集成』を用いた。現地との通信や現地語については、関西テレビ放送の由上特派員の協力を得た。東京農大の本間啓教授にもいくつかの助言をいただいた。記して感謝の意にかえたい。


覚え書き

シンガポールを訪れる旅行者コースの中に植物園が含まれているのは、沖縄旅行のコースに海洋博記念公園が含まれているのとよく似ている。

シンガポール植物園は今日、シンガポール旅行のツアーコースの目玉の一つとなっている。団体観光客のパスでの植物園滞在時間は30分前後と限られているため、普通、外国からの観光客は園の裏門から入り、主としてラン園を見たあと、近くの別門から出る。こうした駆け足来園者は、年間入園者数約300万人に及ぶ。この中で日本人入園者は約36万人位だという。もっともこうした駆け足来園者の中で、植物に関心を持つ人々は、シンガポール滞在期間中のフリータイムに、再来園する。植物園は年中無休であり、深夜11時まで開園している。この制度は本園を訪れる植物愛好家にはたまらない魅力である。

ラン園は来園者の人気が高い。シンガポールの国花がランの一種バンダであることも手伝って、見世物としても力を入れている。時季によって多少の差はあるが、開花株を園路に移動して観光客を常に満足させる。またラン園の中には気のきいた土産物展が常設されていて、この花に因んだアクセサリーを客にすすめる。国立の植物園とは思えぬサービス振りである。

1819年、英国が植民地経営の一環として英国東インド会社の看板の下にマレイ半島及びシンガポールを手に入れた。その僅か3年後1821年にシンガポール植物園が設置された。その目的は、植民地の農林業に適した経済植物の研究と繁殖であった。その後中断期があり現在の場所に植物園ができたのは、1859年農園芸協会によるもので、1861年には最初のフラワーショーを開催している。その後、植物園の経営が政府の手になったのは1875年になってからだが、それから数えてももう100年を越した歴史を持っている。

遡って1839年米国のグッドイヤーによるゴム硬化法が発明され、以後ゴム工業は進展し、野生ゴムの不足を来すことになった。英国及びオランダは共に東洋の植民地へ南米産のパラゴムを持ち込み、ゴムの大量生産を計画した。英国は1873年プラジルから2000粒の種子をロンドンのキュー植物園に送り、僅か12本が発芽、うち6本をカルカッタ植物園に送ったが枯死させて失敗している。シンガポール植物園が国に移管されたのは、丁度その時期であったことは興味深い。

こうしてシンガポール植物園は、特にパラゴムのマライ半島への導入の拠点として、1877年その導入に成功した。1881年にはその木が結実し、その種子によって、マライのゴム栽培産業が確立し今日に及んでいる。

降って1924年には経済植物に関する仕事は農務省に移り、植物園の中の経済植物園は閉鎖されたが、その1924年という年は、1918年の第一次世界大戦の終決以後の不況期に当り、ゴムの生産過剰がおこって、マライからのゴムの輸出に制限が加えられた時期と一致する。

すなわち植物園、特にその中の経済植物園はマライへのパラゴムの導入とゴムプランテーションの発展の原動力の役割を担わされ、かつはたしたといえる。それ以後植物園は基礎研究と園芸の試験、観賞植物の導入、更には市民(特に植民者)のレクリエーションの施設としての役割を負うことになった。

第二次世界大戦後、1963年にはマレイシア連邦が独立し140年にわたる英国の支配は終った。同年シンガポールで、世界ラン会議が開催された。1965年には、シンガポール共和国が独立、今日に至っている。

同園は今日世界屈指の熱帯植物園として有名であるが、公共事業庁、公園及びレクリエーション局に所属している。日本でいえばさしずめ建設省公園緑地課に属する国営武蔵丘陵森林公園や沖縄海洋博記念公園と同列であろう。

この植物園の業務内容は植物部門と園芸部門とに大別される。植物部門はこの園の歴史の故ともいえるが、すばらしい標本室と図書室を持っている。標本室は独立を目前にして1964年立派なものに建てかえられ新興国の心意気を示している。そしてその標本の維持管理に数名の者が常に働いている。今日でも勿論、標本植物の収集から植物の鑑定および相談、植物関係の図書の発行から自然保護に至る部門を分担している。園芸部門は植物園園地の管理は勿論、ランの繁殖、育種に関する研究、新しい植物の導入、研究及び普及の仕事を行い、更に花卉学校を担当している。

植物園はガーデンシティと呼ばれるシンガポールの都市緑化のバックボーンとして植民地時代とは別の面で大きな役割をはたしているのである。

(写真)池と花時計
BOTANIC GARDENと市民が呼ぶ憩いの場である。
国花ランの研究・開発の場であり、東南アジアの植物研究の中心地でもある。

(※中間部「1」原稿データ不明)


交配年 雜種名
1950 Aranda Bertha Braga Vanda tricolor × Arachnis Maggie Oei
1948 Aranda Hilda Galistan Arachnis hookerana × Wanda suavis
1951 Aranda Wendy Scott Arachnis hookerana × Vanda Rothschildiana
1944 Aranda Peter Ewart Arachnis hookerana × Vanda Kapoho
1950 Aranthera Anne Black Arachnis Maggie Oei × Renanthera coccinea

図書室には重要な花や分類学の文献が収集されている。その中にはすでに絶版になっていて、今では手に入らない貴重な文献も数多い。

こうした施設を利用して今日、地方の植物相についての研究、新植物の導入、繁殖の遅い植物、雑種、特にランの組織培養及び土壌や肥料についての研究を当園の研究者たちはおし進めている。

当園は、また熱帯各地の植物や鑑賞用植物に興味を持っている一般の人々の植物観察やレクリエーションとしての場として重要な役割を果たしている。更に当園には原始林の一部が残っていて、シンガポール自生の植物を身近に観察できる。

また、園内にはさまざまな興味のある植物が多数植栽されている。各国から収集された野生植物、園芸植物、有用樹木などで、それらの一つ一つにはラベルが付けてある。ラベルには現地名、ラテン名、科名、原産地名が記入してある。

いくつかの属、又は種は、園内の特別地区の中で集中してみることができる。例えば、ムユウジュ=無憂樹(Saracca)やホウカンボク=宝冠木(Brownea)の類は「芝生F」にある。ほかのマメ科植物は「芝生J」と「O」及び小渓谷にある。「芝生W」はヤシの谷と呼ばれ、ここには大型ヤシの蒐集品がある。「芝生K」と「D」には少数のヤシがある。裸子植物は正門を入った所、またモクマオウ(Casuarina)は「芝生B」で見られる。特別の植物室、岩石園、池などに集められている種類もある。それらの位置は、園の入口の案内板に掲示してある地図及び案内書の地図でわかる。

開園時刻は午前5時。閉園時刻は午後11時であるが、土・日曜、国民休暇日及びクリスマスイブは、夜の12時までとなっている。


2 園内の興味のある植物たち

(1) 沼地園は植物を水浸しの状態にしておく目的で「芝生A」の低い部分に計画的につくられたもので、ここの植物は全て植栽したものである。水辺のタコノキの種類は相当古くからそこにある。またほかにも栽培した水生植物が見れる。

(2) 池、最初の池(古い方の池)は「芝生F」のHolland Road Tyersall Avenueの角に位置している。その池の面積は1.3へクタール(3エー カー)で、スイレンとか幾種類かのスゲが生育している。近年この池にアマゾンオオオニバス(ビクトリア・アマゾニカ)(Victoria amazonica)とクルジアナ・オオオニバス(V. cruziana)やまた米国のロングウッドガーデンでつくられた強勢の雑種などを再導入し、人気を得ている。

ビクトリア Victoria (オオオニバス属)は大型の浮葉をもつ属であって、葉の上に子供をのせている図がらがよく画かれるものである。また植物の他にこの池には日本の鯉やアヒル、白鳥、黒鳥が放されている。白鳥はかつて雛鳥が孵化した。しかし残念ながら何者かによって食われてしまった。おそらく犯人は大蛇であろう。池の中央にある小島には数本のニボンヤシ(Oncosperme tigillarium)とタコノキの一種(Pandanus Kaida)が生えている。奥にある二番目の池はスイレン池である。

(3) 岩石を配し、砂質土でつくった2つのサンロッケリーには、少ない水で生きることのできる植物を展示している。枝分れしているドームヤシ(Doum Palm)は、学名をHyphaene indicaといい「芝生X」のロッケリーにある。オプンチア(Opuntia)のような大型のサボテン、ミドリサンゴ(tulang-tulang)(Euphorbia tirucalli)のような、サボテンのような形のトウダイグサ科植物。アロエ、アガべが「芝生X」と「芝生E」のロッケリーの両方にある。サイザルアサ(Agave sisalana)は「芝生X」のロッケリーにある。

(4) 熱帯室「芝生Z」や囲んで建てまし部のある植物室「芝生L」には観葉植物を展示している。植物室(手前のあずまや)の屋根はつる植物で覆われている。特記すべきものにオレンジ赤の花のニューギニアクリーパー(Mucuna bennettii)と屋根から中側にたれているジェードカラーバイン(Strongylodon macrobotrys)がある。ジェードバインは「池I」の近くの食堂のテラスにも植えられている。ここの屋根にはサトイモ科、マランタ科、ユリ科のさまざまの観葉植物がある。大型の四阿(あずまや)で囲まれた中央部には大きな長方形のプールがある。その近くにはシダ、べゴニア、そして風がわりな植物と知られる食虫植物のウツボカズラ(Nepenthes)及びマランタ科の大コレクションがある。

(5) シダ植物園は植物室のうしろ「芝生L」内の日陰地にある。そこでは地植えや鉢植えにしてあるさまざまなシダが観察できる。特記すべきはエレファントファーン(Angiopteris erectaと、低地木性シダのヘゴの一種(Cyathea latebrosa)である。

(6) 完全な人工低温環境は「芝生X」内にある。ここはエアコンディションによって冷たくしてある温帯室で、ここには高地又は亜熱帯気候の植物が集められている。一般の見学者は室内にはいれないが、ペランダからガラス壁を通して展示品が見れるようになっている。植物の大多数はスリッパーオーキッド(シプリペデューム)のようなラン類であるが、セントポーリアとか、ツバキ、ツツジ類も入っている。

(写真)ミズヤツデ、若葉の葉柄は皮をはぎ食用

(7) 植物園には面積4へクタール(10エーカー)の原始林がある。ここは、ガーデンジャングル(Gardens Jungle)と呼ばれ、都市のセンターに近いために、見学者には非常に喜ばれている。もっと広大な原始林にふれたい旅行者達は、プキテマ保護地を訪れるとよい。そこは古くから住んだ 人々によって昔伐られつくしたことがあって、二次林と判明しているのだが、原始林のなごりを多くとどめている。

また、キャッチメント(Catchment)地区にも 原始林に近い広大な二次林がある。ガーデンジャングルを構成している樹種のいくつかは、シンガポールの緑化樹として用いられている。フタバガキ科の8種があり、樹木は材として大きな価値があり、その果実は、はねつきの羽根のように見える。そのほかの興味ある植物が見られる。

林床に日光が多くとどく所には、ネフロレビス(Nephrolepis biserrata)というシダが繁茂している。デイフェンバキア属(Diffenbachia)の類は斑入葉があるので、室内植物として、かつてマランタ通りなどにたくさん栽培されていた。それが今、原始林内に入りこみ育っている。デイフェンバキアは、外国から導入した植物である。

(写真)ガジュマル、気根に注意

(8) 最後に下記のものを特記しておこう。

① サポテン室「芝生X」・サボテン類のほかにユーホルビアなどの多肉植物、乾燥地植物及びサンセビエリア(Sansevieria)類。

② プロメリア(パイナップル科植物)室「芝生T」・約20の種と変種があり、ネオレゲリア (Neoregelia)を含む。

③ トビアリー園「芝生H」・トピアリーは観賞用として装飾用の形に灌木を仕立てかつ刈込む芸術である。フクマンギ(Carmona retuse)は、現在トピアリーの多くに用いられている種類である。マルピギア(Malpighia glabra)もまたこの用途に使われている。

④ 日本庭園「芝生M」

⑤ 禽舍「芝生S」

⑥ 蔭地岩石園「芝生M」・そこには森林の下草で見られるようなシダ類・クラマゴケ類・サトイモ科植物のような日蔭の植物が集められている。

⑦ 日時計園及U花時計園「芝生O」

⑧ 楽隊の舞台「芝生O」


3 組織培養及び生長点培養サービス

1970年を境として、この地方のラン植物体の増殖方法が変った。それは生長点培養法で、1960年にひとりのフランス人によって発明されたのである。この方法が確立されるまで、シンガポール植物園内では数々の試験が行われた。

今までの方法では、ラン植物体を短期間に大量に増殖させることは不可能であった。しかし、生長点培養法(茎の生長点からの培養)及び組織培養法(若い葉、花芽などからの培養)を用いることによって、比較的短時間に数多くの小さな苗を得ることが可能となった。出来上がった苗は、種子を播いた苗と違って親と全く同じものである。さらに病気を引き起こすビールスの汚染がないという特色がある。

頂芽を使う場合には、生長点の増殖細胞の部分の外側の層は、低倍率の顕微鏡下で切り取って除く。培養に際し普通には組織の中心(それはプロトコームをつくる緑色の小さな球体)を使う。もしもっと多数の増殖を望むなら、各プロトコームは4部分に分けることができるし、培養して更にもっと多くに分けることもできる。

各プロトコームから、或いは各々の4分の1から1植物体が育つ。この段階では、これまでの培養基をそのまま使うことができる。各プロトコームから小さな緑色の植物体に育つのに12~24ヵ月 かかる。

この手法は、ランの優良な交配種、又は系統を僅かしかもっていない場合、一つの頂芽又は花芽から短期間にたくさんの植物体を増やすことができる点で経済的に極めて有利である。そうでなければ組織培養法はむしろ不経済である。1975年以来、シンガポール植物園では、勢力的にこれらの研究に取り組み、1978年には一般向けのメリクロンサービスをはじめた。フラスコに入ったランのメリクロン苗は、今では植物園の事務所で入手可能である。

また、ラン以外では、アフリカンパイオレット’セントポーリア)の葉体培養の研究から、一般の人々が、アフリカンパイオレットをデュネアン通りの植物セールスセンターで購入できるようになった。

当園の組織培養法について、その詳細を知りたい方は、以下の出版物を参照されることをおすすめする。

Lim-Ho Chee Lee Len (1980)「Experimental findings of the tissue culture of orchid hybrids at the Singapore Botanic Gardens」: Gard. Bull. Vol. 34 : 148-160


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