1990年11月26 岩手日報「ばん茶せん茶」
八重樫 良暉
小学校一年生の子供の宿題に、秋の落ち葉を拾ってくるようにということがあった。
それを聞いたおばあちゃんが、手伝いがてら自分でさまざまな樹木の葉を集めてみたのはよいが、これをどのように説明したらよいのか迷った。
紅葉の美しいカエデの葉、通称ヤマモミジであるが、紅葉と書いてモミジと読む、紅(あか)い葉になるからモミジというのだという説明では子供は分からない。もちろん「もみじする」はさらに難解である。
その仲間は、カエデ科なのでカエデとは、カエルの手のように水掻(か)きのある手に似ている葉をカエデということで分かってもらえた。しかし肝心のカエデの代表のようなイタヤカエデの木が近くになかった。
さらにイロハカエデの葉、これはイロハニホヘトと七つの裂片を数えることからついたのだと説明しても分かったとうな、分からぬようなことだった。
そういうと、秋深く、すっかり葉を落とし赤い実をたわわにつけたウメモドキなど、この葉がウメの葉に似ているので梅に似て非なることから梅擬(うめもどき)というなど全くチンプンカンプンであろう。
ニシキギにしても、その紅葉が錦(にしき)のように美しいからとしても、錦を知らなければ実感がともなわない。
植物名を知ることは、植物と友達になることであると、わが国の植物学の泰斗、牧野富太郎博士がいう。確かに名前を知らない友達はない。
昔の子供たちは、今のようにパソコンなどの遊びもなく、もっぱら野や山の自然界がその場であり、当然植物が遊びの道具でもあった。
カヤツリグサなど、これは蚊帳釣り草の意味で、二人の子供が互いに茎を両端から裂くと四本に分かれ四角になるので、この遊びを蚊帳をつるのに模して名づけられたと牧野植物園に記載されている。
子供たちが植物の名前を覚えるようにするため、さまざまの学習方法が考えられるのであるが、なんといっても、その植物が身近にあることが必要である。
四季折々の家族の対話にも、春は樹木の芽ぶき、草花の芽生え、秋は紅葉、落ち葉あるいは果実など、植物の名がでてくることは、それを聞く子供たちに植物の名前を覚えさせる。
自然保護、さらには地球にやさしさを叫ばれている昨今、その具体的な活動にいささか縁遠い感じがしないでもないが、それにはまず子供たちに多くの植物たちと友達になれるような心くばりが必要ではないかと思う。
公園や遊園地の造成に当たっても、それに配する樹木、草花もその正しい名前がはっきり分かるような、またでき得れば名前のいわれなど明記してほしいものである。
さらに大人たちも植物名を知る努力があってもよいのではと思う。
(北上市柳原町、団体役員)
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