1981年5月 毎日グラフ「仕事場の窓から (40)」
真鍋 博(文とイラスト)
今年の桜は、もちがよかった。いや、我慢強かった、というべきかもしれぬ。
見頃といわれていた四月の第一日曜日は雨が降って、もう散ってしまったが、と思っていたのに、第二週の日曜日になってもまだ花が咲いていた。今年の冬は寒くて長かっただけに、どの桜もなんとか花を満喫してもらおうとし、花を散らすまい、と必死で努力していたようにも見えた。
マンションの屋上から新宿御苑を見て、その桜のいじらしさ、けなげさを見るにつけ、近くまでいって見ないでは桜にあいすまぬという気がして、新宿御苑へ出かけていった。
ものすごい人手だったが、今年の特徴は、カセットラジオをもった若い人の多かったこと。音響世代の若ものは、バックグラウンドミュージックなしには、花を見ることもできないのであろうか。
苑内を一周して帰ろうと新宿門を過ぎていくと、木に番号がついている。三〇から四〇センチ角のオレンジ色のプラスチック板に、大きく番号がついている。下に小さく「青少年交流協会」とある。これは何事かと、守衛のおじさんに聞くと、“グリーン アドベンチャー”といって、一口でいうと樹のオリエンテーリングなのだそうだ。
番号順に木の名前をあてて、苑内をまわっていく。正解は、管理事務所に出ているという。じゃあ、今日もやっているのですかと聞くと、人ごみを指さして、「このありさまでしょう、とても混雑していて、いまはやれません。毎年、ゴールデンウィークが終った五月の六日頃から、はじめます。
正解を見に行くと、初級、中級、上級とあるらしく、初級は①びわ②さんしょう⑧やつで、中級は③まゆみ④なつぐみ⑥くさぎ⑦あかがし……と、あまり名前も聞いたことのない木になってゆき、上級ともなると、⑤おおもみじ⑨さいかち⑩めたせこいあなどの難かしい木になっていく。
なるほど、これは面白そうだ。
木とのふれあい、縁のある生活なんていっても、木の名前を知るチャンスは少い。苑内の代表的な木は、木の名前の看板が出ているが、できればすべての木に名札をつけておいたら、大人も子どもも名前をおぼえられるのに……と思いながら帰ってきた。
新宿御苑にかぎらず、舗道の木や、小公園、遊園地、駅前などの木、いや木だけでなく草花にも名札をつけたら、植物とのふれあいがうまれるし、名前を知ったら、もっと木や草を大事にしようと思うだろうに。
と、仕事場にやってきた友人は、樹のプレートを売っている会社もあるし、ある銀行が小中学校に樹のプレートを寄贈しているという。
「木と親しくなるには、その木の名前を知る。人間が知りあうのと同じ」という考え方で、小学校を対象にプレートを寄贈しはじめているのだそうだ。
プレートは、十五センチほどの樹脂にアルミ金属板焼付文字をかぶせ、木につりさげたり、木のそばに立てられるようになっている。こういう場合、よくスポンサー名が入るものだが、それが一切ないのがいいと感心している。
木や草の名前を知ることは、興味をもつ第一段階。特に小学生などは、校庭にある木の名前や分類を知り、理科の勉強にもなるし、小学校時代の“緑色の思い出”にもなる。
小学一年生になると、(幼稚園もそうだが)自分の持ち物すべてに名前をつけさせられる。落しものがあっても、すぐわかる。それが三年生、四年生になると、名前のついていない落しものがふえ、ひきとりてのないまま先生のところに貯ってしまうという。
ものに持ち主の名前をつけたり、街路樹に名札をつけることは、それを大切にすることにつながる。オフィスで、社員に名札をつけさせるのも、(管理というより)個人を大切にしようという発想なのだろうが、植物の名札の方が、ぼくにはありがたいし、うれしい。
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