盛夏爛漫・カラフルで丈夫な植物 夏の花・クサキョウチクトウ(オイランソウ)
毛藤勤治
夏の花・オイランソウ 盛夏爛漫 カラフルで丈夫なオイランソウ
オイランソウ(花魁草)の分類学上の和名は、クサキョウチクトウ(草夾竹桃)で、ハナシノブ科のフロックス属に位置づけされています。フロックス属の植物は約六十種ありますが、アジアには一種だけで、ほかはすべて北アメリカに自生するという珍しい分布です。
フロックス属には、這うタイプと立ち上がるタイプの二形質があり、近年各地方に広まっているシバザクラ(モス・フロックス)は前者に属し、後者の代表的なものはクサキョウチクトウ、つまりオイランソウです。
クサキョウチクトウは、北アメリカの中でもニューヨーク、インデアナ、ジョージア、カンサス、アーカンサスの各州に自生し、学名はフロックス・パニクラータ Plox paniculata です。
属名のフロックスは、ギリシャ語で「炎」を意味し、花が赤いことに由来します。種小名のパニクラータは「円錐形の」という形容詞で、花つきの状態を表わしたものです。
艶やかな名前の由来
クサキョウチクトウは草の仲間ですが、その葉の形と開花時の姿が、夏の花木として知られるキョウチクトウ(キョウチクトウ科)に似ているところから命名されました。このようなケースの命名はほかにも十数例ほどあります。
そのなかの一つにクサレダマ(サクラソウ科の草本植物)があります。清楚可憐な純黄色の小花を咲かせ、昔からイオンソウ(硫黄草)と呼ばれて人びとに親しまれてきたものです。
ところが、いざ日本名をつける段取りになって、植物学者の間で、「本種は、地中海沿岸とカナリー島が原産のレダマ(マメ科の大本植物)に似るから…」ということでクサレダマと命名されました。
植物学者は、命名の経緯を知っているから、クサにアクセントをつけ、またはクサとレダマの間に小間を置いていうから、なんのこともありませんが、いっぱんの人々の間では棒読みしますから、「腐れ玉」になってしまいます。
この植物は可憐なゆえに、清純なゆえに、よく生花の材料に選ばれます。しかし、その名が「腐れ玉」であってはまったく興ざめというわけです。生花に精進するご婦人方の間で、きまって「こんな名をつけられて、可哀想ですネ」とささやき合います。そして、いつか、だれいうとなくカワイソウ(可哀草)と呼ぶようになった…ということです。
そこへいくとクサキョウチクトウは恵まれています。この名を聞けば多くの人は、「夾竹桃の花咲けば」の有名な詩文を思い出してくれるのです。
それなのにどうしていっぱんの人びとがオイランソウと呼ぶようになったのでしょう。
クサキョウチクトウは、一七三二年に原産地の北アメリカからヨーロッパに渡り、日本への渡来は、ヨーロッパの貿易船によって一七七〇年ごろ徳川十代将軍家治の安永年間だったといわれています。強靭な宿根草であって、花の少ない夏に、あたりいっぱいに芳香をただよわせて華麗に咲くこの植物に、江戸の人びとは魅せられて、あっというまに巷間の花として江戸中に広まりました。
そして、花の香りが、江戸市中を練り歩いた花魁の白粉の香に見たてられ、花の咲き方が、多くのかんざしをつけた花魁の髪型そっくりだとなぞらえられ、さらにぞっくりと揃って咲く花が夕映えのあかね色を受けて、美しい風情をかもし出し、夜にはいっても萎むことなく、一夜を通して咲き続けるさまを、日暮れどき、厚化粧を終えて夜の座にはべる花魁のようだとたとえるなど、これらのささやきが重なって、だれというとなく、花魁草と呼ぶようになりました。
大正時代のアララギ派の歌人、今井邦子はつぎの二首を残しています。
夏草の深草みだれてはてしなく
おいらん花は重たげに咲く草深野おいらん花の大き花
くれない深く寂しくも見ゆまた、北原白秋は、
わが夢はおいらん草の香のごとし
雨ふればぬれ風吹けば散ると詠っています。
筆者が住む盛岡地方では、子供たちはオイランソウの花を摘んで、母親の乳房を吸うように口に喰んで花管の根元についている花蜜を吸って遊ぶので「チチバナ」と呼び、また、初夏より咲き始め、秋の訪れをも知らずに咲き続けるので「アキシラズ」(秋知らず)とも呼びます。しかしアキシラズは厭くことなく咲き続けることから「厭き知らず」の呼び名が生まれたとする説もあります。さらに農山村では、ほかの花が少ない盆のころに咲くので「ボンバナ」と呼んでいます。
その形と花の色
オイランソウは、葉を枯らして散り、茎を残して越冬し、翌春、多数の新しい茎が立ってきます。鋭頭狭脚で柳葉の形をした葉は対生しますが、上のものと下のものとは交互に直角に並び、ときには葉三枚が輪生することもあります。
花穂は茎の頂部につき、花序の形は主に円錐状(ピラミッド型)、毬状(ボール型)、傘状(アンブレラ型)ですが、たまに散房花序のものもあります。
花は径二cmぐらいの筒状花で、色は純黄色と青色がないだけで、まことに色彩に富んだものが多く、宿根草の中でもトップクラスにランクされています。筆者は昭和三十五年このかた、交配と群植選択によって、出てくる花の色の異なったものを記録し続けてきましたが、その数は優に三百種を越しています。現在も約二万株を栽培して観察を続けています。
花の命
それはさておき、オイランソウの一つ一つの花の命は、せいぜい四~五日間で、萎まないままで落下します。だから野外鑑賞に向く花といえましょう。しかし水揚げが良いこともあってか、かなり切り花としても利用されているようです。もっとも花の散らないサルモネア種がありますが、しぼんだままで花序についているものより、むしろアッサリ散り落ちるほうが良いのかもしれません。
一つ一つの花の命は短くとも、花序全体の開花期間となるととても長く、東北地方では七月中旬から九月下旬にまで及びます。それは一次花が咲き終わらないうちに二次咲きの蕾が同じ花序に発生しますし、ものによっては三次花が楽しめるものもあります。
茎が四十cmぐらいのときに摘芯しますと、対生葉の根元から数本の新たな花枝を出し、遅咲きの花が得られるし、頂上花序を開花一ヶ月ぐらいで切り棄てて、一茎当たりの花序数を増加させることもできます。
オイランソウの花は、雨にうなだれてしまい、アジサイ(ユキノシタ科)のように雨の日に愛でる花ではありませんが、晴れの日はふくいくとした芳香に誘われてクマバチや大小の野性蜂がワンサと集まってきます。
まずクマバチは花筒の根元のがく片越しに、あの強い口吻を突きさして花蜜を吸ってほかの花に移ると、小蜂たちが寄ってきて、クマバチが作った孔から蜜を吸います。自然界の共生の妙が、ここでも行われているわけです。
オイランソウを植える場所は、よく肥えて保水力があり、しかも水排けの良い土で、日当たりの良好な場所を選びます。
梅雨期の長い年や日陰に植えたものにはうどんこ病、ときにべと病が発生します。うどんこ病にはダイセンを、べと病にはベンレートまたはバイレトーンなどの薬剤を早めに散布しますが、それよりだいじなことは、水やりのとき、葉に灌水しないことです。ぬれた葉に病菌がつきやすくなるからです。むしろ乾燥防止を兼ねて、枯葉や堆肥または枯れた茎を根ぎわに敷いてやります。
殖やし方
株を殖やしたいときは、株分け、挿し芽によります。株分けは暖地では秋、雪積寒冷地では早春がよく、一株に一芽をつけて根分けします。挿し芽は茎が四十~五十cmぐらいに伸びたところ、六~九cmぐらいに葉つきのままで切り取り、下部のほうの二節の葉を取り去って砂床に挿し、すのこの下で、灌水しながら育てます。
最後に「私の胸が燃えている」、これがオイランソウの花ことばであることを紹介させていただきます。
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