1993年4月『花とみどり』岩手緑化研究会報 No.6 (P7)
毛藤勤治
「蜜蜂が群なす火の草」の見出しで、朝日新聞が、アカバナ科のヤナギランを「世界の花の旅」(日曜版)で取り上げたのは、平成2年(1990)7月1日の紙上でした。
カナダのアンカレージ空港から東の方の川辺や、夏季にやや雨の多い地帯にかけて「火の草」の大群落が各所にあり、ここには、良質な花粉と多量の花蜜を採集して暮らしている大規模な養蜂家が多いという情報は本会の8月の例会で話題となりました。
そのとき、瀬川幸三会員から「ヤナギランは安比高原の田代平に多く、所々に小さい群落をつくっていて、赤い花が下の方から咲くが、熟した種は、タンポポのそれのように、純白な細い棉毛をつけて、高原の風に乗って、フワリフワリと無数に舞上がっていた」と言う話を出しました。そして、一同の間で、低地への適応性を研究しようということになりました。8月20日、瀬川会員の案内で、石川事務局長と細田事務局長がさっそく安比高原を訪れました。
現地は、あいにく小雨でしたが、これがかえって幸いでした。そのわけは、乾けばすぐに散る子実を、雨のためにさく果が開かないので、採取が楽々にできたためでした。
会では、「とりまき」と「春まき」によって試作することになり、「とりまき」は9月に播種を終えました。
瀬川会員は、その後、間もなく「アジア農業振興開発援助事業の指導者として、遠く中国の四川省に旅立たれました。
出発が近づいたある日、「ヤナギランの大群落造成にかける夢が新たに生まれました」といって、つぎの二句を会に託されました。
火の草や 棉毛飛び立ち 秋を知る * 幸三
秋立ちて 棉毛飛び交う やなぎらん * 幸三翌春、4月末に「とりまき」区の種はいっせいに発芽しましたが、3月下旬の播種区は、4月に入っても発芽の気配がなく、そのままに終わり、本種の増殖法はとりまきによるべきことが立証できました。
6月には、とりまき苗がスクスクと育って約50糎位になりましたが、ほんの数日の間、目を離しているうちに、カメムシが大発生して、茎を残して、全葉が食い尽くされてしまいました。ヤナギランにとってカメムシは「蓼食う虫」でした。
やがて、茎が枯れはじめましたが、それとは別に株の地ぎわから萌芽がはじまり、中秋までに約30糎位に伸びました。やがて、折からの霜で、地上部が枯れ、越冬を迎えました。
翌春(平成4年)は、他の草花にさきがけて勢いよく芽を出し、永年性の本領を発揮しました。
私の試験畑の100株余りのヤナギランは、いずれも勢いよく伸び、6月中旬から咲きはじめました。8月下旬まで火のような花を咲かせ、沢山の子実をつぎつぎと作りました。
ヤナギランは、花の色からつけられた名だという説と高原火災のあと、いの一番に入ってくるからだとする説があります。
ところで、私が10年前から使いはじめた試験畑(浅岸の中津川河畔、借地)は区画整理事業にひっかかり、この夏には立ち退かなければなりません。
私が3年前に南仙北町の佐藤さんからいただいた「ショウジョウバカマ」もヤナギランやウラハグサ(風知草)もほぼ同様に100株になっていますので、会員の方々に植えていただこうと思っています。なお、ヤナギランについては、岩手県養蜂組合角館副会長さん(安代町在住の養蜂家)が今年から本格的に大群落の造成にとりかかりたいと張り切っておりますので、中国で活躍しておられる瀬川さんがヤナギランにかける新しい夢がきっと現実のものとなる日が近いのではないかと思われます。
(おわり)
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