1991年12月『花とみどり』岩手緑化研究会報 No.2 (P22)ミヤコスワレ
承久三年(1221)鎌倉幕府北条義時を討ち、王制復古を目指そうとした後鳥羽上皇が敗北し(承久の乱)、後鳥羽上皇は隠岐に、順徳上皇は佐渡に幽閉されました。順徳上皇は都では第84代天皇として11年間君臨した身でしたが、佐渡で21年間の配流人生を送り45才でなくなりました。
ある春の日、順徳上皇は野原で紫の可憐な花を見つけました。その花は、都にいた頃の栄華や流人としての失意などのすべてを忘れさせるほどの美しさでした。これがミヤコワスレの名にまつわる物語です。
園芸図鑑を開いて見ると「わが国に自生しているミヤマヨメナの一種、ノシュンギクから出たもので文化2年(1805)に記録があるので徳川時代から栽培されていた。」とあります。
開花期は6月、花色は紫、桃、白などで切花には濃紫が好まれますが、草丈が低いのでジベレリン(徒長促進剤)を散布し、草丈をのばして出荷されます。種子が出ないので繁殖は株分けで行います。
花言葉は「別れ」「しばしの憩い」です。
〔採録・Aboc Works〕カテゴリリンク