世界的に知られた植物分類学者牧野富太郎先生にお会いしたのはもう半世紀以上も前で、ただの一度だけでした。先生が発見した植物新種は約500種、日本植物について学問上の名付けの親、つまりゴッドファーザーになられたのは2,500余種に達しています。
私が在学中のことでした。当時の東京帝国大学講師の牧野先生が盛岡においでになりました。一日、30人位の人びとの中に加わって、愛宕山から高松の池にかけての植物採集に参加いたしました。その日の私のいでたちは真田紐で釣った緑色のブリキ製のどうらんを肩にかけ、せんてい鋏と移植べらをたずさえたひとかどの植物学者の卵然としたものでした。
参加者が先生に同定(植物の正しい名前を決めること)をお願いしている植物を横からながめるだけで、私にはすべて判断がつかないものばかりで、先生の同定力のすばらしさに驚くとともに、植物通の人たちがうらやましくてなりませんでした。最終コースが終りに近づいてきた頃、せっかく参加したのだから私も何か一つ位は先生に見ていただかなくちゃと思ったりしていた時、畑の垣根の外に可憐に咲く淡紅紫色の始めて見る小花が目にとまりました。私はこれを摘んで思い切って先生に同定をお願いしました。
先生はルーペ(虫眼鏡)を取り出されて入念に調べられ、やがて「もしやと思いましたが、やはり一般に栽培しているダイコンでしたよ」と物静かに言われました。まわりの人びとの失笑の中で私は全身に冷や汗をかいて、若気のいたりを心から悔いたのでした。
ダイコンの花の同定を、おくめんもなくお願いしたのは先生にとって、後にも先にもなかったことに違いありません。ダイコンの花を真剣にみつめられながら、新しいものでもとさがされておられた先生のまなざしは、今も忘れることはできません。
毛藤 勤治
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