「ユリノキ」は広葉樹の救世主になるか
マッチ箱苗立ち法と樹下採苗について伐採の補いに「ユリノキ」で自然保護を花の形はチューリップに似ていて、色は緑色をしている。形はどんどん変わっていくが、開花一日目は全体がすぼまって清楚感がある。そして、三日後には腰の黄帯が鮮明に広がってきて、花弁が開き熱花となる。これが、チューリップツリーと言われる「ユリノキ」の花である。
ユリノキの原産地は北米、モクレン科の落葉広葉樹林で、六十メートルにも達し、街路樹としてよく使われるが枝のもろいのが欠点である。以外と知られていないのだが、東京の丸の内オフィス街の丸の内中通りにも美しく並んでいるし、横浜の伊勢崎町や桜木町の街中にもそびえているので、ご覧になれば、あの木だったのかと思われるだろう。
そのユリノキを積極的に後世に残していこうと活動している岩手緑化研究会会長の毛藤勤治(もうとう きんじ)氏が、「ユリノキという木」という本を出した。なぜ、ユリノキに興味を持ち、特別にユリノキを増やすことに力をいえれているのか。
「昭和三十年代に岩手県が全県酪農の旗印をかかげ、乳牛の餌を生産する牧野づくりを進めましたが、この仕事の担当者の一人として県内の自然林約一万七千ヘクタール余の伐採にたずさわりました。(中略)
しかし、ユリノキを増やしていくには、その当時すでに衰退期にある木だったそうで、特にユリノキにとって致命的だった、発芽しない種子が多いこと、発芽するまでに時間がかかることにとても手を焼いたそうである。
ユリノキの種子は、ほとんど粃(しいな)で、たまたま実子が入っていても翌春まで置くと老化と固化が進んで、まったく発芽しなくなる。秋に落下した種子が、運よく良い条件に恵まれて翌春に発芽した場合でも、芽生えの時期が遅いため、周りの雑草や低木に被圧されてほとんど苗として育たない。そのうちに、立ち枯れ病に侵されたり、夜盗虫などに幼い茎を噛みちぎられたりして消えうせてしまう。そこで種子の翼を除き、高い発芽密度を得るために、三つ重ねの播種を考え出されたそうだ。
これが成功し、後に学表した「マッチ箱の大きさの面積(約三×四センチメートルで十二平方センチメートル)に一本ずつの割合で苗立ちさせる方法」である。
しかし、発表される前に、二、三人の人に目を通してもらうと、画期的な技術開発だが、公表すると市価の崩壊につながり、種苗業者から苦情が出るおそれがあると言われたそうだ。しかし、結果は違っていた。(中略)
つまり、学問上だけでなく、企業的にも革新的な出来事だったわけである。
そして、種子の飛散を前にして樹の周辺の雑草をとり、軽く耕して苗床をつくる、樹下採苗の方法で、活着力の強い苗木が生産することができたわけである。
「この方法はユリノキに限らず、実生苗の生産に広く活用できます。そして広葉樹一般による樹下採苗が、「斉林か常緑樹との混交林かで、山に行く苗の生産基盤として活用できるでしょう。つまり、わが国の環境緑化による自然保護にもなります」
毛藤氏はユリノキを通して、自然保護にもとても力を入れている。「不伐の森」を地域的に設け、永遠の森を後世に残そうと力を尽している。林業関係の研究が針葉樹に片寄っていて、広葉樹は置き去りにされていたが、これで少しは広葉樹にも目を向けてくれればと毛藤氏は語る。
毛藤勤治(もうとう きんじ)
明治四十二年、盛岡市に生まれる。盛岡高等農林学校卒業後、岩手大学工学部、農学部講師、現在は岩手緑化研究会会長。
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