(掲載年不明)3月30日 週刊ポスト
森へ ダリウス・キンゼイ写真集
D・ボーン R・ペチェック 著 / 田口孝吉 訳 / アボック社出版局 刊
えぐる者に露出する不安
<巨樹の専制>
はじまりはポートレート。男とその妻。娘。両親。つまり家族の。家。部屋。ひらけゆく西部の町の。男の目が暗い欲望で光るようである以外、とくに変わったところはない。どの顔も日常のやわい影をおびている。
ついで樹。河に集積された。貨車に積まれた。つまり伐り倒された。それから、立っている樹。たとえば周囲三十メートルにおよぶ杉の巨樹だ。
にわかに空気が変わる。町が退きはじめる。家族が退いてゆく。さらに新たな巨樹。もう一本。いずれも樹齢数百年をかぞえるものばかりだ。それがつづけざまに重ねられる。退いていたものが消える。完全にしめ出される。空気はいまや非人間的な力で張りつめるようだ。
巨樹の専制。眼前にあるのはD・H・ローレンスが「唇も眼も心臓も持たぬ驚嘆すげき巨人。かつて顔を有したことのないこの屹立する生物」とよんだ当のもの、それも一部ののみだ。顔をもたぬ屹立する生物は、いわば下腹のみで、世界を領してしまっているのだ。
しかし、この下腹はえぐられている。深ぶかとえぐられて、巨鯨の口さながらぱっくり開いている。
傷口に、三人の男たちが入りこんでいる。中央の腰かけた男をはさんで、左右に寝そべってふたり。彼らをはさんで左右にさらにふたり。こちらは傷口の下に打ち込まれた板の上に立つ。手に長い柄の斧を携えている。彼らがえぐった者らだ。板はそのおきの足場である。
彼らはポーズをとっている。 えぐり、さらに切り倒そうとする獲物を前にした記念写真だ。 撮影するのは、あの暗い熱望で光るようだった目をした男である。姿をみせぬこの男のみが、すべてが退けれれるなかで、ここに残った。殺しの現場に写真機を据えたのである。
血がほとばしったはずだ。顔をもたぬ屹立する生物は、地と空へ同時にむかう。すなわち天界と冥府を円環によらず、二方向への垂直運動で貫通しようとする。じたい宇宙的な意志の試みである。D・Hがいうように運動のさなか、その樹液の血は「大いなる円注を喚き攀じる」。えぐった者らは、血をあびたはずだ
しかし、巨樹の専制はまだと…
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