生きものに学ぶ空間がほしい
造園・緑地のビジネス領域にとって、新しい時代の価値とは何か、その価値を一体どこに見いだせばよいのだろう。
キーワードは「生きもの」にあると考える。なぜなら、今、生きもの環境を軽視した設計は、生き残れないし、支持もされないからだ。
新時代をになう子供たちに、石ころや土、水の流れを含めて生きものを観察でき、その存在をうれしく感じ取れる環境を残すことこそ意味深い。このような形で自然空間をつくる仕事は、造園に大きな付加価値を与えるはずだ。子供たちが誘い合って遊ぶ、生きもの空間をプロデュースすることが、今、造園の仕事で強く期待されている。
まず、目指したいのは「まあ、キレイ!からの脱出」であろう。
「花いっぱい」は、まあ、キレイ!の典型で、この言葉の後には何も残らない。
では、替わるものは何なのか。それは、「歴史観」に裏打ちされ、「文化的・郷土的価値」を内包する造園空間ではなかろうか。
本来、日本の庭空間は、ヨーロッパのそれとは明らかに異なる。ヨーロッパの庭の場合は、いわば「楽園(パラダイス)の再現」につきると思うが、日本の庭の究極とはなんだろう。
一言でいえば「自然の縮図をとりこむ」ということだと思う。
換言すれば、物事を思考する場、静けさの中で生命を感じる空間、自然景観に溶け込み、生きものと人とが一体となる場こそ「日本っぽいもの」ではないか。この感覚をもっと大切にできないものか。
生きものの中で、特に植物と共存する庭づくりは、これからの大切な造園テーマだ。
たとえば宮沢賢治の「涙のこぼれ落ちる花壇」のような、人の心と植物がつながれる空間などは、どうだろう。
別の方向から考えてみよう。人は知識を求める動物である。なぜか教育を受けたいと欲し、知識が増すのに喜びを感じ、もっと増やすべく行動する。庭いじりにいそしみ、ハンディ図鑑を持ってハイキングに出かける光景を見ると、つくづく人は植物と共存する暮らしを欲しているのだと思う。
昔から日本では、自然と触れ合い、短歌や歌を詠むことが一種の教養であった。江戸時代、世界一といわれた日本の伝統園芸文化には、特に学ぶべき多くの作法や技がある。
学習したい対象は、まあ、キレイ!の空間ではない。趣味の域ではなく、趣味を超えた教養の対象として、植物を認識してもらえるような設計や仕組みづくりが大切であろう。
「音痴は幼少のある時期に音楽に触れる環境がないことが原因だ」と聞いたことがある。同じ原因で「生きもの音痴」の子供たちが増えている。「教養としての生きもの学」をもっと大切にしていきたい。
これからの新しい公園は自治体主導型では限界があるだろう。園芸も造園も反発しあわないで、力を合わせて一体となることが重要だ。そうなると関係者は生きもの情報を扱うプロの設計集団として連携し、市民に社会にアプローチしていく存在になる。自然も教養の対象として考え、その知識を高めることに、造園のステータスを見いだしたい。
今から30年後、60年後を考える。たぶん、文化的価値を見いだせる造園プロジェクトのみが、評価されているだろう。今の環境問題があるからこそ、景観材料以上に、もっと生きものとしての植物の価値を市民にアピールしていけたらおもしろい。造園空間を楽しみながら「ふと気づくと、環境教育されている」ような生きもの学がさりげなく、そのコンセプトの中にほしい。
うわついたガーデニング熱は過ぎた。本物こそがきちんと評価されるチャンスの到来である。わがAbocも的確な情報を提供するサインやラベルのインタープリター(自然解説者)として、プロ意識を持って生きものとの共存を図りたい。
もうとう まりこ
早稲田大学人間科学部スポーツ科学科精神生理学専攻、同校卒。国立医薬品食品衛生研究所生薬部勤務後、『ブラジル産薬用植物事典』、『日本で育つ熱帯花木植栽事典』『日本花名鑑』など植物関連書籍の企画・編集。(株)アボック社社長室兼企画営業室所属。「植物・生きもの情報」、環境教育メディアのデザインと提案。02年5月、「ネイチャー宣言」として、(株)GK設計と作家立松和平氏の協賛のもと、Abocサイン・ラベルの新カタログを発行。神奈川県鎌倉市出身。
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