谷戸の中で、最も警戒心の強い住人は、ノウサギ君であろう。私のこれまでの観察では、この谷戸には少なくても十頭は棲んでいる。ふだんは全く姿をみせないが、春先のいちばん陽気のいい日などに、シイタケの榾木の上にぴょこんと立ち上がってお腹をみせ日向ぼっこしている。こんな姿に私は二、三度出逢った。
この頃は、不運にもクロの発情期にあたる。この時ばかりはクロは徹底的にウサ公を追いつめた。大家の話によると、この時期クロはいちばん危険な状態で、一、二頭のウサ公をくわえて帰ってくると、ロープに繋いでしまうという。
ところで、クロが内心、この住人でいちばん厄介者と思っている奴はというと、前述した作業小屋の天井に棲む、野良猫一家に間違いあるまい。
ふだんは見てみぬふりを装っているが、野良が一歩でも地上に降りるやいなや猛然と追いかける。野良は軽く身をかわして姿を消すのだが、時として、といっても年にほんの二、三度であるが、薮の中に飛び込むどじを踏む。そして、カヤ、ケヤキ、クリ、などの樹上にかけ登る。この時とばかりに、クロは一日中威嚇し、激しく吠えつづけるのである。
このように縄張り意識に燃えるクロも、こいつばかりはと全く無視せざるを得ぬ住人もいた。
その一つはヘビ公である。鎌倉は湿った気候が多く、特に谷戸内は相当なもので、長わずらいのお年寄りなどにとっては、全くの悪環境なのだが、この多湿状況は、ヘビ公どもにとっては最適である。わが谷戸にもアオダイショウ、シマヘビ、ヤマカガシと一通りの仲間が出没する。マムシも例外ではない。
横浜で団地暮らしをしていた頃、約一メートル半ほどのヤマカガシを飼育していたことがあったが、ここに来てからはその必要がなくなった。マムシを除くと、他のヘビ公はよく家の周りに現れたし、木の枝などにぶらさがって、わが客人たちを驚かすことも度々あったが、なんといっても有難かったことは、彼らのおかげで、当家ではネズミの被害が皆無だったことである。
さて、湿度がウルトラ大好き住人がもう一種類。春先にわが家の池にやってくる、ひょうきん者のガマガエルだ。正式な名前をニホンヒキガエルといい、大きな奴で体長十五センチもある。このガマ公たち、ふだんは山に棲んでいるが、水ぬるむ春のある日に、いっせいにやってきて産卵する。
この話には少し前おきがある。
このガマ公たちが現れたのは、実は私がわが家の周りに埋没していた池と水路とを掘りおこした翌年からであった。これらはすっかり土砂に埋まっていて、その存在すら判らない程であった。私はこの復元作業に丸々一ヵ月ほどをかけた。
かくして現れたのが、大きな底なし池と、家のぐるりの岩を半分ほどもくり抜いて造った大変に見事な水路であった。私はついでに井戸の湧水が循環するように設備した。
水ははじめ井戸から池に落ち、その池の水は長い水路をぬって谷戸の外溝に落ちる。そんな仕組みである。その間には、せきが二ヶ所、ため水用のくり込みが二カ所あって、往時の人々の生活の知恵に驚かされた。
いっぽう、底なし池は相当に大きな規模のもので、生活的には収穫した農作物の洗い場を兼ねているように思われた。
話がガマ公にもどるが、多い年で百匹ぐらいはやってきた。一週間はこの池をめざして、にぎやかに歌声合戦、そして交尾に入る。思い思いにペアを組んだ二つが一つになって、わが家の春の到来である。
そして二週間後、水底いっぱいのゼリー状のヒモを破って、黒い無数のつぶつぶどもが飛び出してくる。さらに一週間後、庭先はそれこそ足の踏み場もないほどに、子ガエルに占領されてしまうのである。
わが家の動物記はまだこの先があって、さまざまな珍事に沸く。小笠原諸島からやってきた小山羊の″みどり丸″、マレー半島産のテナガザル″ウークン″、北海道産のアイヌ犬の″エル″とセントバーナードもどきの″アール″、そしてインド生まれのオームの″パロとピロ″。この話は次号で。
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