1984年3月1日 週刊文春
超豪華本を楽しんでしまった。
アボック社出版局発行のダリウス・キンゼイ写真集『森へ』。D・ボーン&R・ペチェック著/田口孝吉訳、中上健次解説の特大豪華箱入本。二七六頁で定価は一万七千円也。
ダリウス・キンゼイは、“キンゼイ報告”の動物学者とはなんの関係もない。今世紀初頭のアメリカの風景写真家である。一八六九年生まれ、二九歳の時にワシントン州の田舎町で妻のタビサと共に写真館を開業、まだフィルムのない時代にガラス乾板で写真風景や人物写真を撮りつづけた。とくにワシントン州の大森林で働く木樵や開拓者たちを写した白黒写真の精緻な美しさはすばらしく、死後もその名は高まる一方。一九七五年にアメリカで刊行された写真集はロングセラーとなっている。
という経歴だけ書くと、多くの方がこの写真集を最近流行の“アメリカン・ノスタルジア”的なものだと思うかもしれない。開拓時代のフロンティア・スピリットに満ちたアメリカ、古き良きアメリカの原風景をとらえたセピア色の写真集だろうと。
ちがうのである。この本の主役は、ワシントン州の大森林の中に聳えたつ周囲三メートル高さ二〇〇メートル以上もの杉や樅の巨樹なのだ。日本人には想像もつかないこれらの巨木の凄みは圧倒的といっていい。そして、それらを切り倒すべく根元に斧や鋸で刻み目を入れた小さな人間たちがこちらを向いて立ったり座ったりしている、という構図の写真が中心になっている。それは、フロンティア・スピリットの表現というにはあまりにも神秘的なものである。見入るうちに大きさの感覚が麻痺してきて、巨樹はじつは普通の大きさの木であり、その根元にいる人間たちは小人か妖精ではないかと思えてくるほどだ。耽美的なメルヘン的世界にも見えるし、大自然の霊気に打たれるかのような気もする。また、その大自然と対決する人間の行為に感銘を覚える人もいるだろう。見る人によって何かを喚起させずにはおかない不思議な迫力に満ちている。一度見たら、忘れがたい印象を残す本だ。
だだし、くどいようだが、お値段は1万7千円である。
〈瀬戸川猛資氏〉
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