1993年11月17日 日本経済新聞
◇植物地理学の一助に「索引」を集大成◇
金井弘夫
まず地図4千枚用意
私が数えた日本の地名は三十八万四千九百五十九件である。二万五千分の一の地形図を北海道から沖縄まであわせて四千四百二十二枚用意し、そこに載った地名をしらみつぶしに拾い上げた結果である。
私はこのデータを五十音順と漢学別に整理した全三巻の『新日本地名索引』(丸善発売)を作った。二十万分の一の地勢図をベースに完成した八一年の『日本地名索引』 (アボック社)以来、十二年がかりの仕事となった。
私は現在国立科学博物館に勤めており、本来この仕事は、植物地理学だ。端的に言えば、スミレが日本のどことどこに生えていて、どこそこには生えていないというような分布を調べる仕事である。
しかし植物の標本に書かれた産地をいちいち地図に当たって探すのは、思ったよリ骨のおれる作業だ。植物の名前を示すラベルに記された産地は、飛鳥山とか新潟県駒ケ岳といった程度で何県何町のドコソコとていねいに記してあるものはほとんどない。新潟県にも駒ケ岳はいくつもあるし、飛鳥山をもし知らなければ、日本中の地図に当たらなければならない羽目になる。
こんな苦労をするくらいなら、先にすべての地名を調べあげ、市町村名と経緯度を書き添えておけば、探す手間が省けると思って、地名索引づくりに乗り出したのである。
まずは四千四百枚あまりの地図を買って、そこに経緯度を示す線をつけていく。県境、市町村の境を調べて、色別のラインを引く。こうした基礎作業をした上で、地図を学生アルバイトに手渡し、そこに載った地名をすべて転記してもらうのである。
ところが、アルバイトによって仕事のスピードも、正確さもまちまちなので、その調整が難しい。特に漢学に対する素養が著しく不足している学生には泣かされた。糠や干という文字は、 転記の際、たいてい糖と千にな ってしまう。ソとンの書き方が 区別できない人もいた。結局、最終的には私がすべてのデータに目を通し細かくチェックした。
それでも手に負えないのが、地名の読みである。権現山を「けんげんさん」と読み間違えたり、「槍ケ嶽」を「くらけごく」と書き記したりと間違いは絶えない。
その程度の誤りなら、こちらでも訂正はできるが、一見なんでもない文字、たとえば「~町」が、「まち」なのか「ちょう」なのかについては、簡単には判断がつかない。かといって現地に行って調査する金も時間ももちろんない。したがって、読みについて正確を期すのは、残念ながらあきらめざるを得なかった。
89年に文部省から助成
最大の問題は、資金の調達である。地名には難しい字が多いため、入力はパソコンでは間に合わず、外部の電算処理会社の大型コンピューターに頼らざるを得ない。むろん一回打ち込むごとに決して安くはない経費がかかる。このほか、膨大な数にのぼる地図の購入費やアルバイトへの報酬などなど、出費はかさむ一方だ。
しかしこうした前例のない索引づくりは、いわゆる研究とはほど遠く、助成金もなかなかとれない。むろんいくら将来役立つとはいえ、本業の植物分類の研究費を使うわけにもいかない。
また出版社だって、いつできるかもわからない索引づくりに 最初からつき合ってくれるはずもない。
結局、自腹を切ってスタートするしかなかった。幸い私には 多少元手があった。東大助教授時代の一九六九年から二年間、ネパール政府薬草局のアドバイザーとして海外赴任したときにためた本給分、およそ一千万円 である。家を建てたり、車を買ったりと、いくらでも使い道はあったかも知れないが、結局すべて地名索引づくりにつぎ込んでしまった。
それでも救う神はいるもので、八九年には、やっと文部省の助成金がいただけた。今こうして一息ついているのは、そのためである。
「中村」が最多715件
全三巻、七千三百ページにおよぶ索引をみた方がよく言われるのは「こんなものをよく一人で作り上げましたね。普通、辞典のようなものは何人かが共同して作るものと思っていた」といったことである。しかし私にしてみれば、資金のあてもない、しかも先の見えない作業に人様を巻き込むわけにもいかなかったのである。今でこそ地名は三十八万件あまりとわかってはいるが、作業中は五十万になるか百万になるか見当もつかなかったのだ。
地名データがそろうと様々なことがわかってくる。日本で一番多い地名は「中村」で七百十五件。以下「新田」「原」「本町」「本郷」の順になった。また地名を構成する文字を一つずつ切り離して数え上げると、一番多かったのは「川」で四万一千件あまり。「町」(約三万三千)、「山」(約三万一千)、「田」(約二万五千)といった文字を大きく引き離している。さらに地方別の地名分布をはじき出すと、例えば「麓」は宮崎県南部 から鹿児島県にかけて集中的にみられる地名だとか、「要害」 は岩手南部から宮城の北半分に多いといったことが一目で見分けられる。
地名分布もはっきり
「~沢」という地名が中部以北に多いのに対し、「~谷」という地名は西日本を中心に分布しているという地名研究家、故鏡味完二氏の発見も、地名テータベースではっきり裏付けることができた。
前の索引を作った後、思わぬ人から問い合わせが入った。索引をもとに稲に関する地名をすべて拾い上げ、稲の地図を作ったという民俗学の研究者の方とか、自分の親の一代記を書くために全国にある「山崎」という地名を調べ上げた方とか。今回もそんな思わぬ利用の仕方をしてくれる人がいれば、何よりうれしい。
もともと地名索引づくりは、植物分布図を作製する道具をひとまずこしらえようと思って始めた仕事だ。私の目標はあらゆる植物の日本における正確な分布図を作ることなのである。
しかし今までのところその目標は先送りとなって、六十三歳となる私は来春定年を迎える。私だけでなく多くの人が利用できる道具はできたのだからまあ、悔いることはない。その後は自宅に小屋でも立てて、分布図作りに思う存分取り組もうと思っている。
(かない・ひろお=国立科学博物館植物研究部長)