「造園 新たな世界広げる」
岩手・造園家 野田坂伸也さんを訪ねて (堤由紀子氏)気候風土に合った生活を楽しむ場に
持ち主自身が楽しめて、気候風土に合った生活の場としての庭造りを提案する造園家、岩手県滝沢村在住の野田坂伸也(70)を訪ねました。
秀峰、岩手山の東麓に位置する滝沢村に夫婦で暮らします。「隣の家とは1.5キロ離れてるんです」と野田坂さん。父親から譲り受けた裏山周辺の4000坪の敷地で、造園に使うためのさまざまな樹種を育ててきました。
革命的大変化
東京の大学で学び始めたころ、それまで日本庭園しかなかった日本の造園に新しい分野が台頭しつつありました。面白そうだと足を踏み入れたものの、本気で造園に取り組むようになったのは、故郷岩手の小岩井農場山林緑化部に就職してからだったと振り返ります。
ここで一つの発見をしました。「日本庭園は北国には合わない。北国には北国の気候風土に合ったスタイルの庭を造るべきだ」ということです。今では誰でも当たり前だと思うことですが、40年前には北海道でさえ日本庭園を造るのが普通でした。
日本庭園は関東以南の常緑樹の植生が主体の地方で生まれ、発達した庭です。岩手の山野の樹木はほとんどが落葉樹で、四季の変化が鮮烈です。 この特徴を生かしてこそ北国の庭の存在価値があると野田坂さん。「地域、地域で違うタイプの庭があれば、旅をする楽しみも増すと思いませんか」
庭はその後、もう一つの大変化を迎えました。野田坂さんが「庭の長い歴史の中で最大の革命である」と評価するのが、1990年代ごろに海外から持ち込まれた“ガーデニング”という概念でした。「庭は素人には造れない、決まりごとがあって難しい、金がかかる、自分で手入れができない。そんなふうに思い込まされてじっと我慢していた人たちが、これなら自分でもできる、と一斉に庭造りを始めたのがガーデニングです」
庭は最近まで、権力や富を手にした人たちのステータスシンボルとして造られてきました。ガーデニングは庶民階層の人々が庭を造るようになったという点でも、画期的な意味を持っています。そして権威や富の象徴としての芸術作品であった庭は、生活を楽しむ場に変わったのです。
今年オープン
ただ造園業者からすれば、困ったことに一軒の家が庭造りにかける金が以前に比べて大幅に少なくなりました。いかにして安い工事費でそこそこの庭を造るかが、一つの課題となってきました。
その一つの手段として野田坂さんが思い付いたのが、アスファルト破片の利用です。道路工事ではぎ取られたアスファルトを庭に園路や“石垣”造りに使います。2~3年するとコケやシダも生えてきて、しっとりと落ち着いた雰囲気になります。初めて見た人は誰でもアスファルトの見事な変身に驚くといいます。
「師匠についたことのない私にできることはそんなにたくさんはありませんが、庭ができて生き方が変わった、と喜ばれるような庭を造っていきたいです」
野田坂さんには今、ある計画があります。自宅周辺をガーデニングの参考になる植物園として整備する計画です。ボランティアの人たちの手を借りて道をつくり、池を掘り、石積みをしてかれこれ5年。頭に描くのは「あえて標識は立てず、細道をあちらこちらとさまよいながら楽しんでもらう」迷い道のような植物園です。裏山のてっぺんの林を切り払い、岩手山を望む絶景を出現させ、今年とりあえずのオープンを目指します。