1981年11月 週刊情報
丸二年、毎日ボールペンで描き続けた自己形成小説
著者(細谷正之氏)インタビュー
表題のとおり、全編イラストでつづられた自叙伝。ちょっと前代未聞の試みだろう。
「(九年前)フランスのシェルブールで絵の勉強をしていたときに、ヒマでヒマで。たまたま友人が日本から白紙の束見本(つかみほん)を送ってくれたものだから、それに何気なく描きだしたのがきっかけで」
最初に中学時代の卒業写真を思い出してみたら、53人中52人の顔が描けた。そこで今度は人生にさかのぼって、時代を追ってゆくと……。最終的に五百ページに近い、この自伝大著が完成したわけである。執筆期間は丸二年。ほぼ一日も休むことなく、ボールペンを握り続けたという。 著者は昭和十八年、神奈川県逗子生まれの画家。
幼いころは「可もなく不可もないどうでもよい感じの生徒」で、絵を描いて生活してゆこうと思ったのは大学を出て出版社勤めをしているときというから画家としては遅い出発だ。
「生きることの哲学や思想が絵の裏側にあるべきはずだから、早いうちに技術だけ習得しちゃうよりもかえってよかった」
本書におさめられたイラストのタッチは、奥行きが深くて、かつ独特の味わいがある。
正直言って、一読三驚した。 まずこれほどこと細かに自分の生きてきた風景を思い出すことのできる才能が存在するということ。「小学校の出席簿を名前順に全部詠んじている」というから、頭の回路が凡人と異なっているのかもしれない。
第二の驚きは、イラスト画の素晴らしさで、ひとことでいってそれは読む者の心に、過ぎ去った時に対する懐かしさの念を想起させる。「時の流れに一番の畏怖を覚える」と細谷氏はいう。おそらく、絵の中に垂直な時間構造がつきまぜられているのだ。これは空間芸術=絵の革新といってもよい。
最後に、イラストに添えられた文章がすべて、旧カナ旧字体で書かれていること。ピタリとこれが、個々のイラストにマッチしている。
「出版社時代、漢字を知らなくてずいぶん恥をかいた。それで一念発起して勉強しだしたら、新カナ新字体の矛盾に気がついたのです」
いちいち例をあげて語ってくれたけど、それをここで紹介するスペースはない。
七一年五月、細谷氏にひとつの天啓ともいうべき瞬間がやってくる。この場面(四○二頁)はとても感動的だ。絵を完成した時、死ぬまで絵を描き続けてみようという決心がおとずれたというのだ。
そしてまもなく、この風変わりな自伝が書きはじめられることになる。ともかく一読をおすすめしたい。かくもさわやかな自己形成小説をぼくは知らない。十一月九日から銀座ギャラリーイシヤマで油絵展を開催。(アボック社)
〔日守雅彦氏〕