2001年12月1日 朝日新聞「ひと」
「プラジルの花と恋して70年」。差し出される色紙に、こうしるしている。
静岡の旧制掛川中(現・掛川西高)を出て21歳の34年、移民としてブラジルに渡り、独学で植物採集と研究に打ち込んできた。
なぜ植物? 「理屈なんかない。人間より自然、植物が好きだっただけさ」
当時、自由に行けた海外が、プラジルだった。「当地の植物が豊富さというのでね」
渡航する前、静岡や岐阜などで採取し、国立科学博物館に寄贈した約4千点の標本の相当数は、いまも博物館に保存されている。
農業試験場などで働くかたわら収集した標本は、約15万点。個人レベルでは世界最大規模といい、「プラジルの牧野富太郎」といわれる。牧野は、日本を代表する植物学者だ。
88歳とは思えない記憶力だ。46年ぶりに故国に帰った80年以降の来日記録が、よどみなく口をついて出る。
アマゾン地域に入るようになったのは70歳をすぎてからで、前後6回、いる。「自然破壊はすさまじいですね」
ラテン語やドイツ語も独学している。2168種の薬草を分類・編集した「ブラジル産薬用種物事典」などの業績で99年には、吉川英治文化賞を受けた。
この10月、静岡県立大の名誉博士号授与式のため来日し、プラジルの貴重な標本30種を寄付した。
少年のころから『種の起源』のダーウィンが大好きだった。「その足跡を追って、最近ガラパゴス諸島、この1月にはパタゴニアへ」行ってきましたよ」
文・写真 松村 崇夫
65年、ブラジル国籍を取得。「仕事上、日本国籍だと不便だったから」