1998年12月10日 毎日新聞「ひと」
広大なプラジルの原野を駆けめぐり、集めた植物標本は約16万点。個人蔵では、世界有数のコレクションを収め、自宅も兼ねた標本館がサンパウロ郊外に有志の協力で2年前にできたが、長年連れ添った芳子夫人をその直後に亡くす。失意にもくじけず植物に取り組んできた姿は、名誉市民も顕彰式で感動を呼んだ。
故郷の村に私立学校を設立した教育者の七男に生まれた。幼少から植物が好きで、中学時代には植物研究誌を出すほど。19歳で日本植物学会の会員に。著名な植物学者と出会う中、ブラジルが植物の宝庫と知る。「まだ、だれも調べていない。やってやろう」と、21歳でサンパウロの農業学校に入学した。
農業試験場などに勤めながらブラジルの植物研究に打ち込み、1960年にサンパウロ博物研究会を設立、活動の拠点にした。日本からの入植者への支援や開拓博物館の建設にも尽くした。
2年前に出版した「ブラジル産薬用植物辞典」(アボック社)は60年来の仕事の集大成。日本語で書かれた初の本格的なブラジル植物図譜と評価された。
標本の中には、広大な原野がダム建設で水没して姿を消した種類もある。「貴重な生物資源を守る努力をしないと、減るばかりです」と夢の大地から警告する。
顕彰のため約1カ月間の滞日中、世界的な博物学者、南方熊楠ゆかりの和歌山・紀南地方を訪れた。欧米を放浪・勉学した後に故郷の和歌山県にこもって孤高の研究生活を送った南方を、「独学で大成した彼の生き方に共感してきましたから」と。
文と写真:編集委員 斎藤 清明
[独学で大成した南方熊楠の生き方に共感]
静岡県小笠町に生まれ、掛川中(現、掛川西高)卒。1934年、渡伯。85歳。