1998年11月17日 中日新聞 (静岡特報 ふるさと文化)
採集15万点、新種数多く発見/ブラジルの植物研究で功績
小笠郡小笠町はこのほど、同町猿橋出身の植物学者橋本梧郎(ごろう)さん(八五)=ブラジル・サンパウロ市在住=に初の名誉町民の称号を授与した。「ブラジルの植物研究の第一人者として活躍する橋本さんの功績をたたえよう」というもの。豊橋市で開かれた国際植物増殖者会議への出席で八年ぶりに里帰りした橋本さんに、黒田淳之助小笠町長から顕彰状が贈られた。橋本さんは「郷里の皆さんに温かく迎えていただき、心から感激している」と語り、故郷への思いを深めて八日ブラジルに戻った。(浜岡通信部・一ノ瀬千広)
8年ぶり里帰り町民の温かさに感激
橋本さは掛川中学(現掛川西高)を卒業し、昭和九年に二十一歳で単身ブラジルに移住。四十年にブラジルに帰化した。サンパウロ市の農業学校を卒業後、日本学校長やサンパウロ市博物研究標本館長などを歴任し、現在は昨年完成した橋本記念標本館館長。
ブラジルでの調査・研究で採集した植物は十五万点にのぼり、数多くの新種を発見。植物学界はもちろん、生薬学界でもブラジル産薬用植物研究の第一人者として高く評価されてる。著書「ブラジル産薬用植物辞典」は橋本さんの研究を集大成した大著。平成二年には日本政府から勲五等双光旭日章を受章している。
豊橋市の国際会議出席に合わせて小笠町を訪れた橋本さんは、十月七日から今月三日まで滞在。その間名誉町民顕彰式、岐阜市での講演会、知事表敬訪問などの過密スケジュールをこなした。 小笠町で十月十一日に行われた名誉町民顕彰式で、黒田町長から「町の誇り」とたたえられた橋本さんは「名誉なこと。心から感激しており、言葉もない」と感謝した。
二十一歳の若さでブラジルに渡った橋本さん。「日本で植物研究を続けても、すでに多くの研究がされていて大きな成果は望めないと思った。植物の宝庫のブラジルで分の運命を自ら開きたかった」と振り返る。ブラジルでの生活は言葉や生活習慣の違いなどから困難を極め、太平洋戦争中は敵国人として自由な研究活動もできなくなったというが「日本で得た知識をはるかに超えたブラジル植物の魅力の前には大した障害ではなかった」という。
今は調査研究のかたわら、橋本記念標本館で標本整理に明け暮れる毎日。「標本館は生涯の夢だった。標本は十万点以上あり、コンピューターへのデータ入力などに追われている」という。十年前から始めた薬用植物研究も精力的に進めており、南米の有用植物の目録、解説書の発刊を計画中。八十歳を超えた今も「アルゼンチンやペルーなどを飛び回っている」といい、研究意欲は衰えを見せない。「小笠町は大きく変わったが、幼なじみや級友は変わらない」、そして今の若者には「大きな夢をもち、世界的な視野を持って羽ばたいてほしい」と語っていた。
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黒田淳之助小笠町長(左)と山本瑛同町議長(右)に祝福され、名誉町民の称号を受ける橋本梧郎さん=小笠町役場で[写真2]
橋本記念標本館で資料整理の橋本さん=ブラジル・サンパウロ市で