1996年(平成8年)7月19日(金曜日) 中國新聞
在住の日本人研究者が集めた15万点年末オープン目指す
ブラジル在住の日本人研究者が採集した十五万点の植物標本を納める「橋本梧郎標本館」が、今年末にサンパウロに開館する。学術的な意味のみならず、日系人社会の財産としての意義を持つ。誕生までのいきさつなどを、設立事務局として奔走しているサンパウロ博物研究会副会長の沖真一さん(五六)=三原市八幡町出身・農業コンサルタント=に聞いた。 (石田信夫記者)
建設へ日系人応援絶滅した貴重なものも
日本でもそうだが、植物標本といえば地味で、ポピュラーなものではない。それがここまでこぎつけたのは、沖さんによれば「あの橋本さんの『遺産』をこのまま眠らせるわけにはいかない」との思いが、日系人を動かしたからだった。
60年をかけた資料
現在八十三歳の橋本さんは静岡県出身。一九三四(昭和九)年にブラジルに移住して現地の農学校を卒業し、技師として農業試験場などに勤務した。
そのライフワークだったのが植物採集。六十年かけてブラジル各地から集めた膨大な資料は、個人収集では世界最大ともいわれる。
ところが、橋本さんが高齢になり、標本の整理や管理が負担になってきた。はじめは日本の大学などへ寄贈を打診したが、膨大すぎるためどこも引き受けに二の足を踏む。「それなら」と、四十五年の歴史を持ち橋本さんとかかわりも深い研究会のメンバーが、自力での建設に踏み切った。
計画では、建物は六百平方メートル規模のレンガ造り。標本館のほか図書室、研究者用の宿泊室などを設ける。用地は寄贈。建築費は二千万円で、うち千五百万円は地元日系人や日本からの寄付などで調達し、これまでに八〇%完成させている。
標本づくりは、労が多い割に学術的にそう高い評価が得られないとして、研究者の間では敬遠されていた時期もあった。しかし遺伝子保存の見地から、あらためて「現物の価値」が見直されている。
一大遺伝子バンク
橋本さんの標本は、多様な植物の宝庫であるブラジルの各地にわたり、しかもダムで水没して絶滅した植物も多数含まれているため、貴重な一大遺伝子バンクとなることは間違いな い。また先住民族から聞き取りして採集した野草を中心にした薬用植物コレクションは研究者の関心を集め、「薬用植物事典」として日本で出版されたばかり。
標本館は、日系人社会にとっての意義も大きい。
日本人移民が初めてプラジルに渡ったのは一九〇八(明治四十二)年。貧しい農業移民からスタートした日系社会はその後、徐々に力を蓄えていき、内部での社会的な活動、あるいは福(…後文不明…)。
それだからこそ標本館は、日系人が足を運んできずな深め、プライドを確かめるシンボリックな施設にもなりうる、とみる。
日本からの拠点に
館は研究会が運営し、オープン後は一般公開するとともに日本からの研究者(…後文不明…)じるセンターができれば大きなメリット」(坂嵜信之・元日本植物園協会副会長)と期待する声も強い。
「不足の五百万円を早く集め、年内のオープンを目指したい。ブラジルに偉大な在野の研究者がいて、それを支える研究会の活動があることを、日本の人たち(…後文不明…)。