「読者の広場」
岩手県とくに盛岡市内には、ハンテンボクとも呼ばれる「ユリノキ」の大きい木が目立つ。また近年街路樹や風致木として人気があり、県内各市町村では街路樹として植えられ、今ではユリノキは身近な木のひとつになった。
盛岡市役所前のユリノキは、市の保存樹木指定第1号であり、岩手大学農学部付属家畜病院前の数本の巨大樹や山岸と桜木の両小学校の高木などと、いずれも同齢木。今これらを「ユリノキ一世」とすれば、滝沢村の県林業試験場入口付近や一戸町馬淵川沿いのユリノキ並木は、さしずめ「ユリノキ二世」というところか。
時も折り、この度、毛藤勤治著「ユリノキという木」という、ただ1種類の木とそれにまつわる事柄をまとめた300頁の本が出版された。
これを聞いたとき「なにがなんでも、一つの植物について、こんなに」と抵抗を覚えたが、副題が「魅せられた樹の博物誌」加えて、さらに英語で「ユリノキ物語」と添え書きされていることに興味をそそられることは事実であった。
装幀の美しい本をひもどくほどに、各章毎に挿入のカラーグラビヤに食いつくように見いった。そして読むほどに、第一に気がついたことは、国の内外を問わず多数の文献や資料を広く通読し、ユリノキと人間とのかかわり合いを見逃さずに、つぎつぎと明快に紹介していることだ。しかもいままでわが国に入ってきた多くの渡来樹種と同じく、決してよそもの扱いをしていない。
呼び名いろいろ、原始の花、奇異な葉形、生長迅速、寿命、蜂を呼ぶ、幻の原生林などにはじまり、ユリノキの日本渡来考、新宿御苑のシンボル上野のユリノキの殿堂、銀座の並木、その他あまたのエピソードが、物語り風な筆致でよどみなく進められている。
とくに「チューリップの花かご」、このファンタジックなメルヘンは、テレビの「大草原の小さな家」の情景が起想されて楽しい。
また小泉苗樹の一篇は、かつての小泉多三郎盛岡市長の新婚当時に育成した苗木が、今は巨大木となっているユリノキの下で、当時、少年だった三田俊定岩手医大学長が、その思い出を語る懐かしさに満ちたエピソード。かと思えば一転して、他篇には受難のユリノキたちの話がでてくる。ここでは著者のユリノキに寄せる哀愁が心をうつ。
各編には、いつでももの言わぬユリノキがあるだけで、著者のいたわりといつくしみの心が、表面に出ることなく、一貫して伏流水として、よどみなく流れている。だから、本書をとおして、この木にはじめて接する人々でも、おそらく抱くだろうと思われる感動を随所でうける。
加えて、ユリノキの生態、化石、薬理等について、斯界の名だたる先生方の寄稿文は興味に尽きない。さらに、さきに小笠原植物図譜をまとめた著者の二男の筆になるシナユリノキの記述は、読者を未知の国に誘う。
文中の要所に挿入した56枚の写真と、9枚の図は通読の道しるべの役を果たし肩をこらせない。
読み終えて、私はひそかな自信を得た。それは、「これからは、ことユリノキについては、人後に陥ちることがない」ということと、全巻をなすどの章から読んでもユリノキの理解に苦しむことのない。つまり読者の自由な選択に一任した編集のさえをも感じとれたことだった。
もともと、著者は農学畑の人で、林学の専門家ではない。植物生理学の専攻だったから、この20年このかた、クサキョウチクトウの育種を手がけ多数の新しい園芸品種を作出した。ほかに緑化木としてユリノキ、ハナキササゲ、クログルミ、ミツバチノキ、エゴノキ、アオキ、コバノマサキ、カザンテマリ、ウノハナなどと広く育苗の実験を今でも続けておられる。このうちユリノキの育苗数は1万本を超えているという。だから著者は、岩手県における「ユリノキ三世の生み親」だというにふさわしい人だと思う。
(八重樫良暉・元岩手県立緑化センター所長)