1990年8月10日 (社団)林業技術協会刊 『林業技術』 No.581
―魅せられた樹の博物誌―
サブタイトルにあるとおり、この風変わりな樹に魅せられる人は多いと思う。 特にチューリップのような形をした鮮やかなオレンジ色と緑の交じった花をひと目でも見れば、一生忘れ得ない樹の1つとなるだろう。
このユリノキ(Liriodendron tukipifera L.)、現在は北海道から鹿児島まで200ヵ所以上で生育していることが確認されているが、もとをただせば、アメリカ合衆国からもたらされた種子から増やした苗を、庭園樹や街路樹として植えたものである。
原産地アメリカの北東部アパラチア山脈一帯には、かつてユリノキを優先種とする広大な天然林があったという。しかし、ご多分に漏れず西へ西へと人々が浸透していくにつれて伐り尽くされ、原生林は国立公園などにわずかにその姿をとどめるのみという。
幸か不幸か、この樹は生長旺盛で樹高60mにもなり、幹は通直・完満で枝下が高く、材は白く比較的軽くて強度も大だというから、建築・家具用材はもとより、製紙・合板用材などとして大々的に伐採が進められたのも致し方ないというところか。1920年1年間のケンタッキー州の伐出量が1800万m2を超えていたというから、その規模が知れよう。
さて、著者はわが国のユリノキのルーツにも迫った。 わが国で最初の理学博士にして近代的植物学者伊藤圭介(東大教授・1803~1901)が、明治初期に教育学者で東大に勤務していたアメリカ人から贈られた種子から得た苗を小石川植物園や新宿御苑に植えたものが始祖であろうとの推論に至る。
それがやがて東京の街路樹として用いられたり、盛岡高等農林学校(岩手大学)にももたらされ、戦後北海道にも渡ることになったといういきさつも詳しく書いてある。 いまだ数は少ないが、全国に植栽されるようになったのは、明治・大正期の先人の努力もさることながら、発芽率がきわめて悪いこの樹の播種・育苗に、著者の考えた一風変わった方法が成功したことがものをいっていると見受けられる。
博物誌を銘打ってあるだけに、名前の由来から、形態・生態・花密・薬としての利用・化石の話に至るまで数人の寄稿も含めて話題は豊富である。また、所々に挿入されているカラー写真を見るだけでも楽しい本だ。
(H.Y)