1984年5月号 流行通信
最後のオーラを秘める森林生態学 ダリウス・キンゼイの世紀末写真
文・伊藤俊治
19世紀末にアメリカで活躍した森林写真家ダリウス・キンゼイが撮った精緻な巨木の写真を見ていると、自分の目がどんどん精密になってそこに吸いこまれ、その視線が樹霊の浄化作用にかかって変色し再びはじきだされてくるような不思議な視覚体験を味わってしまう。
それらの樹は土のなか深くに太い根をはり、そこから一本の幹をたちあがらせ、空に向って無数の枝の分岐をくりかえし、天と地をつなぐ有機的な構造をつくりあげている。こうした構造により、いにしえの昔から樹は生命の、自然の、宇宙のメタファーとして長くあがめられてきた。そして写真はその誕生から、実はこの樹の神秘的な魔力に妖しく魅せられている。現在の写真術の真の発明者である英国のフォックス・タルボットが最初の写真集『自然の鉛筆』(1840年)に、空に黒いシルエットをつくる多くの木々の写真を収録していることからもそれは明らかだろう。
キンゼイもまた樹に激しく憑かれた。しかしそれはヨーロッパ的な理想や象徴や幻想や抒情としての人間と交流する樹ではなく、人間を拒絶する、驚異的な独自性と形式内容を秘めた無慈悲で超絶したまったく新しいアメリカ的な樹へ、である。
キンゼイの写真はいわばフロンティア終焉前後のアメリカの自然感情の特殊で鮮明な発露である。それ以前のアメリカの風景写真家であるウイリアム・ベルやティモシー・オサリバン、ジョン・ヒラーズらは未開の中西部にわけ入り、大原野や大峡谷、大山脈など人間がまだ踏みこんだことのない壮絶なスケールの空間を発見し、圧倒され、畏怖し、その感覚をたたえた数多くの写真を残しているが、キンゼイの写真はそうした段階を越え、圧倒的な自然を認識し、征服し、同化しようとする人間の精神がそれをしりぞけようとする途方もない自然力とともにダブル・ヴィジョンとなって浮かび上がっている。
深遠な時間のなかで形成されてきた大自然と、そこに人間の痕跡を刻みつけようとする営為の往復運動があらわれているのだ。人間の力と自然の力とが危うい均衡の上にバランスをとり、樹を媒介にしてその相互浸透を示す精霊を発してくる。キンゼイはそれ以後はもうあらわれなくなってしまうその瞬間のオーラを巨大な暗箱のなかに感性として封じこめた最後の写真家だったといえるだろう。
ダリウス・キンゼイは1868年ミズリー生まれ、ワシントンとシアトルで写真店を営み、原生林を伐採する木こりたちと巨木の写真を撮り続け、森林伐採、開拓者生活、森林鉄道の最も秀れた歴史的記録者として高く評価されている。4500枚ものコレクションから厳選して構成された写真集は1975年にアメリカで出版されて以来、次々と版を重ね、ロングセラーを続けている。日本でもこのたび邦訳出版されるが、そこには「森へ」の、あるいは「森から」のメッセージが今でも濃密にうごめいているのが見える。