目次
ユリノキという木
ユリノキはどんな木か、まず、これを知りたいと思います。
1 ユリノキの性質
(1) とても早く伸びる高木
ユリノキはとても伸びの早い落葉木で岩手大学附属植物園の木は、樹令57年なのに幹の直径が約95㎝、樹高が30mを越す巨木になっていますし、同じ岩手大学工学部構内のユリノキは24年令で幹の根元直径が77㎝と太く、高さはすでに23mに及んでいます。
だから生長の早さで樹種を区分するときは、オーストラリア原産のユーカリと同じく「生長極速」の部類に入れられます。
盛岡市内で、植えてから20年位までの盛んに生長する時期に1年で4㎝も太ったという事例が記録されています。
(2) ユリノキの樹令と原産地
ユリノキの生命はというと、原産地であるアメリカから日本に輸入されてからまだ100年になっていないので、その寿命は明らかではありませんが、アメリカでは樹令350年以上と思われる大木は珍しくありません。
なお、ユリノキの原産地はアメリカ大陸の東部海岸に沿いアパラチア山脈とその附近ですが日本島では化石として、今から1,500万年前の地層から出ますので、わが国にはゆかりの深い木です。かつて日本本島に栄えた時代がありましたが、100万年から1万年前の間に北半球を二度三度と襲った氷河期に死滅してしまったものと考えられています。
(3) 変った変形と美しい黄葉
あらゆる植物の葉は葉先がとがっていますが、ユリノキの葉は葉頭(ようとう)をはさみで切ったような形をしていて、葉先(はさき)を持っていません。葉頭のない植物は潅木(かんぼく)のイワシモツケやハカマカズラ、また、高木ではヤハズハンノキ位のものですが、いずれも丸味を持ったものです。
だからユリノキは世界に比類のない珍しい『葉形の木』だといってよいようです。
葉柄(ようへん)が長く、大形の葉が風になびいて、ちょうど、ギンポプラのように、やや白ばんだ葉裏が見えつかくれつする風情は、真夏の涼しさを誘います。
また、他の木々に先きがけて、カナリヤの胸毛によく似たきんちゃ色に黄葉し、まことに美しく、足ばやにやってくる日本の秋を他の木にさきがけて、人びとに告げてくれます。
しかも、一陣の北西の風に、いっきに散りしき、未練がましさが微塵(みじん)もなく、まことに男らしい木です。
なお、ユリノキは葉の形が印はんてんによく似ているので「はんてんぼく」と呼ぶ人もいます。
(4) 香りの高い大きい花
ユリノキの花は、植えてから8年から10年たって咲きはじめますが、全開花期間は約20日間と長く湯のみ茶わんほどに大きい、チューリップによく似た花を開きます。
花びらは淡い緑色の中央に巾広い濃いオレンジ色の帯をしめ、とても美しく、馥郁(ふくいく)としたよい香りをあたりに散らします。
また、水あげがよいので、食卓の水盤に浮かせて楽しむこともできます。
めしべとおしべは他の花では一般に見られない変ったもので、枝と葉が頂上に集って花となった進化の原子的な歴史をよくとどめていますので、植物生理学では貴重な『原始の花』のひとつとして取り扱っています。
最後に、花のつき具合ですが、樹令20年頃から万余の花を咲かせるようになります。
(5) こぼれる花蜜
ユリノキの花のもっとも大きい特長は、たくさんの花蜜を出すことでしょう。
一つの花でユリノキほど多くの花蜜を出す花は、他にないとさえいわれる位で、花弁の間から蜜がこぼれ、満開時にはこぼれた蜜で樹の下が油でも播いたようになり、人びとをびっくりさせます。
私は一昨年、ユリノキの虫媒効価試験を進めるために養蜂家に頼んで、蜜蜂を用いましたがまことに質のよい、糖度(とうど)の高い蜜がたくさんとれて大喜びされました。その養蜂家が養蜂組合の役員の人たちに、ユリノキの蜜を味わってもらったところ、味、匂い、舌ざわりなどが、ミカン、ナタネ、クローバ、アカシアなどの蜜に勝るものとの折り紙がつけられ、養蜂家にとって、ユリノキは『黄金の木』であると賞賛(しょうさん)されたそうです。
岩手県と同緯度に位置するアメリカの北部アパラチア山脈の西にあるペンシュルバニア州はユリノキも多く、養蜂の盛んなところですが、ユリノキの蜜は不思議と市場に出回ることはありません。その理由は、養蜂家と大都市の婦人会や消費組合などとの間で予約取引きされるためです。もっとも、美容と育児によい花蜜なのですから当然だと申せましょう。
(6) 花弁から香が
強い風で散ったユリノキの花弁を拾い集め、これをよく乾かして粉にひいたものを香炉(こうろ)で焚(た)くと、とても高貴で軟かな香りをかぐことができます。
少し余談になって恐縮ですが、外国の文献(ぶんけん)のなかに、ユリノキの花弁を焚いた匂いのことをセクシー・フラグランスと表現していたのを読んだことがあります。日本語では性興奮を誘う匂いとでもいいましょうか。もっとも、アメリカンインディアンは昔から新婚夫婦や酋長の寝室に用いたといいますから、あるいはそうなのかもしれません。
(7) 特長的な幹と薬効
ユリノキの幹は電柱のようにまっすぐに伸びる性質をもっています。
若いうちは、帯青褐色のすべすべした膚(はだ)ですが、樹令が15年の頃から、そろそろ黒褐色に変り、このあと、ちょうど強い風が砂丘に造りだす風紋(ふうもん)のような美しい幹膚に変化します。
さらに、幹の皮部が外傷をうけても縫合(ほうごう)性が強く、樹皮再成の力を持っているなど、他の木には余り見うけられない特長をもっています。
つぎに、樹皮を煎(せん)じて健胃剤や解熱剤としても用いられますし、インデアンの酋長が強壮の秘薬として使ったとも伝えられています。これは、前に述べた花を焚いた匂いのことから、うなずけられないこともないようです。
(8) ナメコが好んで
私は、伐り倒しておいたユリノキの丸太材の切り口、材と樹皮との間及び伐ったときに裂けたり破れたりした樹皮の間などに、どこから菌子が飛んできたのか、ナメコ(ナメスギタケ)がゾックリとでているのを再三ならず見かけました。
こんご、ユリノキを造林するような時代が来れば、間伐材はそのまま、養殖ナメコの原木として用いられるのではないか、なんて考えています。
ただ、樹皮がうす目なようですから、原木としての耐用年数に問題が残りそうです。
(9) 移植に弱い根なので
ユリノキの根はゴボー根であって、地下深く入っていきます。
だから、ユリノキは極端に移植を嫌います。5年以上もたったユリノキの移植に成功した事例をいまだに聞いたことはありません。
どうしても、移植しようとするときは、移植の2年も前から、毎年夏と秋に根回わしを十分に行い、鉢付きとして土が落ちないようにむしろなどで包み、その上にしっかりと縄をかけまわしたうえで動かさなければなりません。
だから、あとで植えかえしないよう、あらかじめ植え場所をよく厳味(ぎんみ)し、2年か3年生の小さい苗木を定植するのが最も安全です。
(10) 喉がなるような話
好きなお方は聞いただけでも喉(のど)がなるお話。
幹の根本から出ている太い根に傷をつけて出てくる樹液を採集、涼しい場所に貯えておくと自然にアルコール醗酵(はっこう)をはじめます。
これは樹液に砂糖分が多いため起こるものですが、このことから、ユリノキは『酒のわく木』あるいは『養老の木』と呼んで呼べないことはないようです。
(11) 失点の少ない用材
ユリノキの用材は原産地であるアメリカでは、インデアンの水上の足であるカヌーの材料として専ら用いられました。
乾燥材は腐れ難く、しかも加工や細工(さいく)が容易であるうえ、極く軽いので船材として用いっれたのは当然なことだと思います。
ユリノキ材は白くて木目が美しく、鋸(のこぎり)と鉋(かんな)がよくきくし、塗料や接着剤の着きと仕上げも良好です。また、比較的曲り難く、裂けにくいうえ、釘(くぎ)持ちがよく、釘割れもできないので喜ばれます。
ユリノキ材はアカガシやケヤキにはやや劣りますが、ハリギリ(せんのき)、カツラ、ホホノキよりいくぶん硬く、材の乾燥もこれらの材より早く、乾燥中に裂けることもありませんし、乾燥材はブナ材のようによれのこないのが特長のひとつとなっています。
なお、ユリノキの小枝はカキの木のように根元から折れ易いので、木登りするときは注意を要します。しかし、この小枝も翌年になると、とても丈夫になり、野球のノックバットや農具の柄に用いられます。
(12) 木材の広い用途
ユリノキの材は前項で述べたような性質を持つので、アメリカでは昔から、①各種馬車・列車の板材、②器具・建具・家具材、③屋根板材、④導水管材、⑤輸出用梱包材、⑥人形材(ろくろ細工)、⑦オルガン・ピアノの外囲材など、まことに広い範囲で用いられてきました。
しかし、ユリノキはこのあとで申しあげる理由で、しだいに少なくなり、原木(げんぼく)の不足から毎年のように高値を続けてきましたが、最近になって、ピアノやオルガンの内装材とくに鍵盤(けんばん)材としてよいとわかってからは、いっきに高級材に格付けされるようになり、現に、日本への輸入価は一立方米当たり20万円を越すという状態です。
(13) 考えられる用途のこんごの見とおし
(a) パルプ材として
ユリノキ材の繊維はブナやナラのそれよりも長くて細いばかりでなく、数本が束に集っているという特質をそなえているため、丈夫で純白な上質紙を漉(す)くのに適し、しかも、色素の吸着がよいというのですから、アメリカでは多数のユリノキが、パルプ材として伐採されました。
しかし、自然木ではまかないがつかなくなった今では、造林がはじまっています。
ユリノキは生長が早いので、植えてから10年位でパルプ材がとれるといいますし、伐ると根元から萌芽(ほうが)がでるので、この中で一番丈夫な萌芽枝を立てて、二次林を造っているといいます。
ユリノキが造林木として良いということが、日本でもはっきりと理解(りかい)されるようになれば、太平洋戦争後に広い面積に植えられた落葉松(カラマツ)が大口経木として伐採される、いまから20年後、あるいは30年後にいたって、次期造林木の樹種の一つとして選ばれることになるかもしれません。
こうなると、今、植えて置いたユリノキがちょうど壮令木に育っていて、多量に種子を供給し、種取りの母樹(ぼじゅ)としての役目を立派に果たすに違いありません。
(b) ベニヤ材として
ユリノキ材は軽いばかりでなく、接着剤がよく効くので、合板材としても、合板心材としても好適です。
また、こんごの建物はますますコンクリート化して行くことでしょうが、建築が大型化すればするほどその内装材とくに装飾材もまた大型になってきて、大型な用材の需要(じゅよう)が増すものと考えられます。
なお、ユリノキは各種塗料の付きがよいので、心材としてばかりでなく、軽量大型材として広く用いられるようになるものと思われます。
2 病気と害虫
(1) 病気
ユリノキの葉には、これぞという病気がつきませんが、幼苗期において2、3種類の病気が発生したとの報告があります。これも発生の程度の極めて局部的で、全葉に広がることはありません。だからユリノキの葉は耐病性が大きいといえます。
幹や材に「サルノコシカケ」の仲間である「ベッコウタケ」がついたため、枯死したというのが一例だけあります。これは早く発見して薬剤処理すれば枯らさずにすんだはずです。
また、根が「ムラサキモンパ病菌」に犯されて枯れた事例が2、3報告されていますから、ユリノキは桑畑のあと地に植えないように注意すべきです。
(2) 害虫
ユリノキの葉を食害する数種類の昆虫が日本におりますが、いずれもまことに小型な昆虫で、食害を受けても小さい穴があく程度で終り、しかも稚苗のときだけです。2年生以後は葉を食う虫が寄らなくなります。とくに緑の大敵といわれて恐れられている「アメリカシロヒトリ」の食害をうけた事例は全くありません。
先年、ユリノキの街路樹が多い横浜市でこの害虫が大発生し、1,800本を越す街路樹が大被害をうけましたが、この中にユリノキは1本もなかったそうです。
だから、ユリノキは「虫のつかない木」といっていえないことはありません。
つぎに幹ですが、「シロアリ」が樹皮を輪状に犯し、さらに材の部分まで潜行して、ユリノキを枯らしたという事例が、埼玉県に一例だけ起っています。いまさら、「シロアリ」の猛威には驚かされました。
最後に公害ですが、ユリノキの葉は、ケヤキやトチノキなどの葉と違って、ガス公害に対する抵抗力が強い特質をそなえていることを付け加えましょう。
3 ユリノキの泣きどころ
前節で述べた事柄から、さぞかし、ユリノキは良いことづくめの木だとの印象を受けられたに違いありません。
しかし、このユリノキも泣きどころを持っています。
(1) 衰退期にあたっていること
あらゆる動物にも植物にも、長い目で見ると、繁殖力の強い時代と、そうでなく衰退(すいたい)傾向にたどる時代とがあります。
ユリノキは何世紀前か、何十世紀前からは明らかではありませんが、衰退時代にあたっているとは世界の植物生態学者の一致した見解で、このさいユリノキの増殖について人間が力を貸してやる必要があるとしています。
一本の成木は毎年、何百万粒といってよいほど多量な実を付けますが、驚くほど不稔度(ふねんど)が高く、ほとんどが粃(しいな)です。
これは、いわゆる自花不和合性が強いことを示し、自花授粉をする力が極端に弱いためです。
だから、ユリノキが世界各地で珍木の仲間に入れられているのも、こうした性質があるからなのです。
(2) さし木やつぎ木で増やせないこと
ユリノキの小枝に等温、等湿の実験室内で10分間隔で2分間つづ40日間を、昼夜を通して続けて散水し、はじめて発根に成功した研究結果がありますが、経費が多くかかり、実用化が難しいとされています。発根剤を用いた試験でも、まだ、さし木に成功していません。
また、つぎ木でも同じ仲間の台木を使った研究が少なくありませんが、つぎ木に成功した事例の発表も見当たりません。
こんごもさし木やつぎ木は研究員によって進められるでしょうが、その成功が望まれます。
4 植えかたと育てかた
(1) 好ましい土地柄の選択
ユリノキを早く大きくしたいときは、やはり有機質の多い国土の深いところを選ぶことになります。
赤土や礫土を盛り土した場所に植えるときは、深さ60㎝、直径80㎝位の穴を掘り、畑の土か山の黒土を十分に入れて、この穴の中央に定植します。
(2) 好ましい植え場所
水はけは良いに越したことはありませんが、案外に湿めりに強く、水田地帯の中にある農家の屋敷地内でも十分に育ちます。
ただ、陽樹といって日当たりを好む木ですので、日かげがかった所に植えると生育が遅れるので、こんな場所は避けるのがかしこいやりかたです。
(3) 植付けの要領
深さ60㎝、直径80㎝位の植え穴の底に、よく腐って土のようなボロボロになった「うまやごえ」を一斗入れの石油缶(かん)で一つ位の分量を入れ、同量の土とよく混ぜ合わせ、たっぷりと水をやります。
この上に黒土を地面すれすれに入れ、棒で軽くついて土を落ちつかせますが、土を入れるとき草の根や茎また葉などを絶対に入れないことです。
このあと植え穴の中心より少し寄った所に切口5㎝、長さ3m位の支柱をしっかりと打ちたてます。
いよいよ苗木の植付けですが、根をよく広げてやり、その大きさによっては、植え穴の土を取り除いたりして、幹と根との付け根の部分が地上すれすれに成るような位置に片手で浮かして保ち、片手で少しずつよく砕いた土の横の方から入れていきます。
土をかける程度は西洋皿をかぶせたほどの盛り加減がよく、この上を手のひらでならしながら少し強目にたたいてやって根付けを終り、如露(じょうろ)でゆっくりと水をかけてやります。
なお、根付けにあたっては、根元とその附近を足で踏みつけないことがコツです。というのは、ユリノキの根はゴボウ根だとはいっても、植付けして1年目は、ゴボウ根を出すとともに、盛んに地表に近い所に側根を出すからです。
このあと、支柱に苗木をワラなどで2ヶ所位を縛(しば)り、根元に枯葉を敷いてやります。
(4) 根付け後の管理
根付け後の管理は乾燥させないようにときどき水をやる程度ですが、その他のことについては別の項で述べたことをよく理解し、そのときどきに応じて手を加えていきます。
なお、ユリノキの若木で、最も大事にしてやるのは最頂上枝の先端にある芽です。この頂上芽を欠いたりしないよう注意することが「かっこうのよいユリノキ」を育てるのに欠かすことのできない技術といえましょう。
ですから、植えてから最初の冬越しでは、この最頂上枝に、頂上芽より少し高目に添木(そえぎ)を結び、この上からビニール袋をかぶせ、頂上芽を傷めないよう注意しながら、頂上芽を冬傷から守ってやります。
2年目からは、苗木も芽も丈夫になるので、この必要がなく、自然に放置して凍害(とうがい)をうけることはありません。
(5) どの程度の寒さに耐えるか
ユリノキは北海道の札幌にある北大附属植物園内にもあり、生育は岩手県にくらべ、よほど劣りますが、約60年で幹の直径60㎝、樹高24mに達し、毎年、たくさんの花を咲かせ、6月下旬にここを訪れる人びとの目を楽しませてくれます。
また、これより寒い釧路(くしろ)と美唄(びばい)のユリノキは、花をつけませんし、木の伸びも十分ではありません。
それで本州・四国・九州地方では、標高500m以下の場所で杉が育つ程度の所であれば、ユリノキ本来の生育は間違いはないことになります。
(6) 比較的風に弱いので
生育が早く、大きい葉がよく茂るので、重さに耐えかねて、強い雨風の日に、ときに枝折れすることがあります。だから、理想としては、寒風が吹き抜ける場所を選ばないことです。
それでも、こんな場所にというときは、西北から吹きつける風をよけてくれる立木の風下(かざしも)に植えつけるか、群生といって2本以上を寄え集めて植えます。
間隔は、2.0mから2.5mとすれば、お互に枝を組むので風に対する抵抗力がずっと強まります。
誰れでも知っている新宿御苑のシンボルの木はユリノキですが、広々とした芝生の真中に、3本が三角形に寄せ植えされ、ていていとして空をはきながら、同苑にある2千本を越す世界各国より集めた樹木のうち、最高最美の姿を誇(ほ)こっています。夏にここを訪れると、まるで1本の大木のように見えます。
また、上野公園の東京国立博物館では、正面玄関わきに樹高32m、幹の太さ1.30m余という昭和11年に植えたユリノキの大木がただ1本だけ、――同館前の広場の全面が芝生になっていて、他の樹木は全く植付けされていない――がコの字型に建てられた何階建かの古風な建物のふところに抱かれて思いっきり枝を広げています。だから、この博物館は「ユリノキの殿堂」とも呼ばれています。
以上のことから、農家の場合では屋敷の囲りに昔から植えてある松や杉が風よけになってくれる日当りのよい場所に植えるのが、無難だと思われます。
(7) 「動く緑陰」づくり
屋敷のまわりに植えた木が大きくなるにつれて、田や畑に日かげを作って困ることがあります。
こんなおそれがある場合は、ユリノキでは植えてから7~10年頃に、3~5m位の高さまで全部の下枝を切り落し、樹冠(じゅかん)だけの木に仕立てます。
新潟県の水田地帯では、水田の農道に沿ってハンノキなどを等間隔に植え、電柱の先にもりもりと葉が集って繁るような仕立てかたをして、稲架(はせ)として用いています。
このような木の影(かげ)は、いわゆる「動く緑陰(りょくいん)」といわれるもので、太陽の移動につれて日影も動き、同じ場所を長い時間、日光をさえぎるようなことをしません。
住宅や家畜の運動場の日影づくりにユリノキを植えるときは、この仕立てかたを選びますが、ここで注意したいことの第1は、必ず1本仕立てとすることです。地ぎわ近くで幹が二又(ふたまた)にならないよう、2,3年の頃に強い枝を一本残し、弱い枝は全部切り取ります。その第2の注意は、動く緑陰づくりのユリノキは、日影を作ろうとする場所から3~5m位の距離をとって植えることです。
建物の近くに植えると、動く緑陰ができても、せっかくの日影が家屋の頭越しになったり、家畜の運動場ではまんなかに影ができて面白くないものになります。
なお、住宅のすぐ近くに植えると、4年目あたりから、茂った葉で窓がかくれてしまうおそれがあります。
5 ユリノキの花ことば
人間は、古い昔から草や木の花の色や形の美しさ、さらに、葉や幹の姿にも深く感動して詩情をそそられ、洋の東西を問わず、数多くの詩文を残しました。
それが、神話、伝説、教説、説話、逸話、民話などや故事といったものなどによって伝承されているうちに、いつしか詩文の中の表現が、その植物、そのものの意志あるいは意味として与えられるようになり、こうして生まれたものが「花ことば」だとされています。
私は、このように、人間の詩情によって与えられた樹木の花ことばを、色々な本をあさり、300余を集めました。その一つがまことに「あらわし得て、まことに妙」という言葉どおりであって、豊かな雅趣と文学的な妙味に、つきることのない感動をうけました。
しかし、このなかで、最も、私の胸を強くうったのはユリノキの花ことばでした。
ユリノ木の花ことばは、ルーラル・ハピネス、すなわち『田園の幸福』だったからです。
いっぽう、ユリノキは無数の木々の大調和のもとで形造っている森林の中心的な存在だとして、ドイツの世界的に有名な森林学者、シェンク氏がユリノキを『森林の貴族』と呼びました。
いずれにもせよ、多くの木々が、常に、静かななかにも、力強い和平共存の状態を保ち、まことに幸福と繁栄そのもののような緑の国、つまり、緑の濃い森林を作り出していますが、そのなかにあって、ユリノキは、いつでも、最も高い木として、明るい目で他の木々たちを見守っているのです。
さればこそ、ユリノキは「田園の幸福」という、うってつけの花ことばを与えられたものと思われます。
ユリノキのあるふるさと、ここに住む田園の人びとも、また、田園都市の人びとも、ともに、この花ことばのように、平和で幸福な生活を営むに違いありません。
というのも、ここには、きっと、乳と蜜の湧き流れる明るく幸福に満ちた真の田園かつくり出されるからです。
[付] ハナキササゲについて
ハナキササゲはノウゼンカズラ科の植物で、植えてから30年位で20mにも達し、ユリノキに劣らないほど成長の早い木です。「黄金樹」ともいわれ、樹下に広い緑陰をつくります。花はトランペットに似た形で、長さ4~5cmの白い筒状の花弁の中に、やや広い黄色のすじが通り、この上に紫褐色の斑点をちりばめ、とても明るく楽しいものです。
一つの花房には各小花枝に十数個の花を咲かせ、まことに豪華美麗で、ごく淡い芳香をただよわせます。
日当りで、地味の良い所では5~6年で開花をはじめますが、20年もたたないで樹全体が花で被われるほどに多くの花を咲かせます。
この木の材は、軽い割合にとても丈夫なので、飛行機のプロペラ材として賞用され、木目が美しいので、高級な家具やオーディオ・テレビなどの外装にも用いられます。
ハナキササゲの化石は、日本島の第3紀新生代の地層からユリノキの化石に混って発見されます。だから、ユリノキを「兄の木」とすれば、ハナキササゲは、さしずめ「妹の木」と呼んでよいと思います。
なお、原産地はユリノキと同じ北アメリカ東部です。
(注)(1)植え方、育て方はユリノキに準じてよいこと。(2)広い場所に単成木として植えるのが最も好ましいこと。(3)花数の多いヨシノザクラと同じく、老化が早いので、15~20年目毎に後継ぎ苗木(種子を春まきして簡単に苗が作れる。)を植えておくこと。
執筆…会長 毛藤勤治[岩手大学講師、農博]